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絵描き歌が孕む根本的な課題

6月6日と言えば、わが家の場合は従妹の誕生日!となるのですが、世間的にはUFOが落っこちて池が2つできる日?なのかもしれません。

はい、現代の4~50代のあたりなら「はいはい」と首肯できる話だと思います。

ドラえもんの絵描き歌のワンフレーズですね。

これにちなんで今回は、絵描き歌が孕む根本的な課題について触れてみたいと思います。

いや、話は単純なのです。

「完成図のイメージがなかったら描けるわけねえじゃん」

そう、これだけ。

世の中にはさまざまな絵描き歌があり、とりわけ昭和50年代のアニメでは主人公だけでなくさまざまなキャラクターの絵描き歌が作られています。バラエティー番組の中でも「オレたちひょうきん族」のコーナーとして絵描き歌がありましたし、古くから親しまれているものまで含めると、まず片手では収まりません。

だけど、先入観(=完成図)はもとより、ある程度歌詞を概観しておかないとかなりヤヴァイ展開になること請け合いで、それが笑いになるならまだいいですが、マジものを期待されていたらその時のガッカリ感たるやとなれば、その場のいたたまれなさは筆舌に尽くしがたいものがあります。

だって、描くだけ描かせておいて最後にぐるっと回すとかも大概だし、そもそも最初の描き出しがどこかなんて指示すら「歌詞には」ありませんから、ジグソーパズル以上に「もと図」がなかったら、これはかなりな無理ゲーになるというわけなのです。

実はこれ、日本地図や世界地図でも同じことが言えるのです。もっと言えば、数学のxy座標上における軌跡も同類に含めることができるかもしれません。
どちらもある程度、脳内に実像(完成図のイメージ)があるからこそ、サラッと綺麗に描いてみせることができるのだと思います。

むかし聴いたことがある絵描き歌、いまペンを手に取って見ていきなり描いてみたところで、思い通り描けますか?
自分はおそらく、ドラえもんとパーマンぐらいしか自信がありません(笑)

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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