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どうせどいつもこいつも少数派

日本国憲法の平等権に関するくだりに、こういうものがあります。

14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

ここでいう「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」というのは2つの意味があると考えていまして。

ひとつはどれも個人がひとつずつ何かしらの要素を持ち合わせているというもの。
並べてみると、こういう感じでしょうか。
人種ーー肌の色。民族。地球人ならだいたいどれかの種族に属するでしょう。
信条ーー宗教や主義。「無宗教」もある意味、ひとつの主義でしょう。
性別ーー立ち位置がどうあれ、「男」「女」という語句を使わずに設定するのはかなりの力技となります。
社会的身分ーー職業や肩書きなど、何かしら氏名以外の呼び方があろうかと。
門地ーー家柄のことを指しますが、広く解せばその人の生まれどころ(ルーツ)となります。これが存在しない人というのは、ミステリアスというよりは、ズバリ何かが隠されているということでしょう。

そしてもうひとつは生まれてきた以上、簡単には変えられないものであるというもの。
信条や身分は自分の意志で変えていくことは可能でしょうが、それ相応の強いこころざしと力が必要です。生を享けたその時のものを、それと同時に「否」と断ずることは、一般的な話ではないと思うのです。

さて本題。

世の中にはいろいろな方がいらっしゃいます。だけど、世間で知られているカテゴリーに2つ3つ、それぞれ個人を分類していくと「なあんだ、みんな結局少数派じゃんかよ」という話です。

例えば自分の場合、よく話のネタに「誇り高きマイノリティ」という設定を用います。論拠は薄っぺらいひとつだけ。自分の血液型がAB型であるということ、それだけです。
ただ、これが何で「マイノリティ」になるかというと、この国の人類をざっくりABO型で分類すると、AB型が約10%となって最も少ないといわれているから。

これだけで充分少数派なのに、ここに性別や都道府県設定を乗っけて「男性」とか「大阪府出身」とかでカテゴリーを増やすと、0.1×0.5×47分の1≒0.11%ですって。性別を外したところで0.21%。ちなみにA型は約40%だそうですからこれの4倍になりますが、それでも0.4×47分の1≒0.85%ですか。

となれば何となくでも「なあんだ、みんな結局少数派じゃんかよ」と思えてきます。
「みんな言ってる」とか「国民が望んでいる」とか、空々しさばかりが見え透く昨今は、そういうところから浮き上がってきているのかもしれません。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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