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【百線一抄】022■渓谷の山風をトロッコでー嵯峨野観光鉄道

ふらりと街の喧騒を離れて緩やかな時の流れを感じたい。都心の近
くからいつもの列車とは違う雰囲気で小旅行を楽しみたい。京都駅
から約15分、嵯峨嵐山駅から少し歩くと大きな駅舎がお出迎え。
嵐電嵯峨駅からでも数分、阪急嵐山駅からだと渡月橋を渡ってここ
に集まることができる。嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵯峨駅である。

嵐山エリアは旧来から有名な観光地であったが、長らくの間、観光
客は大多数が観光バスやクルマで訪れるか、それこそ近場に住む人
の流れは嵐電や阪急が中心であった。もとより国鉄の時代から、近
くを山陰本線が走っていたわけだが、何ともなく観光客の賑わいを
避けるかのように別次元の空気感を漂わせていた。機関車が旧型の
客車を連ねて、遠くの土地へ繋がっていることを示す窓下の行先板
の地名だけが、京都と山陰側を繋ぐ路線であることを示していた。

昭和の時代が終わりを告げ、平成に入った最初の春。旧来の空気感
を一気に吹き飛ばす変化が訪れた。山陰本線に電車が走るようにな
る。それだけでなく、保津川沿いをのんびり走っていた区間は別に
レールが敷かれ、トンネルと橋で一気に亀岡と繋がって、気がつけ
ば目を見張るばかりの通勤通学路線へと大変貌をとげたのである。

無情にも役目を終えた旧線は、時間とともにたいてい放置されて野
辺に溶け込んでいくのがサダメ。一足先に同じように昇華した福知
山線とは異なった展開が保津峡の地にもたらされることになった。
回り道となってしまう保津川沿いの線路をほぼそのまま活用して、
観光路線としての役割に特化し、トロッコ列車を走らせる。旧来と
全然異なるストーリーが、嵯峨野エリアの人の流れや観光スポット
を大きく変える原動力となった。トロッコ列車は大成功となった。

嵐山観光の後にトロッコ列車に乗ってトロッコ亀岡へ行き、そこか
ら保津川下りで戻ってくるという流れがモデルコースといわれる。
しかしながら、列車は来た道を戻って再び始発駅に向かうのが必然
となるため、トロッコ亀岡を出る列車は利用者が少なめとなる。空
いている可能性も多くなることから、ツウな旅人は嵐山観光を後に
振り分け、先に嵯峨野線で馬堀駅まで向かって、トロッコ列車のぶ
らり旅を楽しんでいる。最後に一言。まずは川沿いの席を選ぼう。
向きはどうあれ、である。トロッコ列車は全席指定席なのである。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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