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2番好きが敢えて推す“1番の醍醐味”

正直に言って、自分は「2番手」というポジションが好きだ。

トランプの大富豪をやっていて、都落ち(大富豪陥落)があるルールの場合において最強だと感じているのは“富豪”だし、中高で務めた生徒会役員も4期とも”書記”だ。仕事に関することについても陣頭指揮を執ったプロジェクトよりも、リーダーの横であれこれ動き回ったプロジェクトの方が、職場での評価は概して高い。早い話がボスキャラではないわけだ。

一方で、身の上になると親族の中で本家の長男(従兄弟筋で最年長)という育ちと、どうしようもなくいじられキャラである側面もあってか、結果的に采配を握らざるを得ない舞台に立たされることも両手両足の指で足りないほどあって、困ったことに「1番手」としての経験値もそこそこ積んでいる。

だからというわけではないのだが、自身では2番好きをあっさりと標榜しておきながら、周囲、とりわけ教え子や後輩には「1番」の大切さを率直にかつ力強く、推している。そう、2番ではないのよ。やっぱ1番が大事

これを臆面もなく語ることができるのは、冒頭の写真の話題をおいて他にない。鉄道雑誌「鉄道ファン」2003年8月号の掲載記事のものである。

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詳細は拙稿をblogにて掲載しているのでそちらに譲るが、この記事がきっかけとなって「1番の醍醐味」を知ることになる。自分で言うのも何だが、それまで「クラスで1番」とか「学年で1番」、「社内で1番」といった井の中の何ちゃらレベルのタイトルホルダーでしかなかったところに、突然「世界一」レベルのタイトルが転がり込んできたのだ。

実際のところ、実感が伴ってきたのは記事として掲載された時点ではなく、自分があずかり知らないところでこの事実を知った人が多数いて、それが直接または間接的に伝わってくるという“報告・告知”の数が一定数に達した頃になる。具体的に言えば、初期においては職場内のスタッフや顧客(この場合は生徒や保護者)のほぼ全員に知れ渡ってしまった段階、さらには掲載から5年以上経っている状況にも関わらず、別の職場やイベントのオフ会で「もしかしてあの記事のご本人!?」と声をかけられたり驚かれたり、握手を求められたりという場面に何度も遭遇すると、さすがにいくら鈍感でも実感するしかないだろう。

早い話が、「1番」と「2番」では身の上の話としても、これだけの反響や周囲の評価に違いが生まれてくるということなのだ。もちろん、振れ幅も大きくなるので、その分だけもれなく不本意な声価も付いてくることも看過することはできない。とりわけこの国の人間は、何かにつけて見下したくてしかたがない向きがかなり多く、声を大にして皮肉るのが人物評におけるステータスだとすら考える御仁もそこここにいるのだ。

それでもやはり「1番の醍醐味」は大切なものだ。未だもって好きである「2番手」との違いがわかっているからこそ、自分は言い切れる。それは何なのか。

それは「『1番の醍醐味』を知ることによって、自分をより成長させ、追いすがる周りを引き上げる余力すらも紡ぎ出せる」という事実を手に入れることができたこと。

仕事における自分の立ち位置や仕事に向かう姿勢だけでなく、友達づきあいや人とのつながりに対しても、背筋を伸ばして堂々と振る舞えるようになったのは、やはり「1番の味を知る」ことができたおかげだと思っている。

そう、2番ではないのよ。やっぱ1番が大事

めざすべき頂上は、いつも自分の指先の少し奥にある。
そのくらいが、自分の成長にとってはちょうどいい♪

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

#自分にとって大切なこと


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