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【百線一抄】007■数多の炭鉱を繋いだ鉄路ー室蘭本線

ある人は特急が走る大幹線と言い、ある人はSLの客車列車が最後
まで走っていたところだと言い、またある人はだだっ広い駅に1両
のディーゼルカーが停まり、ポツポツとわずかな客を拾うだけだと
吐き捨てるように言う。全く異なるイメージがわいてくる路線、室
蘭本線の情景はこのように見る場所や時期によって大きく異なる。

敷設が進んだ歴史を見ると、室蘭ー岩見沢間を結んだのが最初であ
り、明治末期の国有化によって室蘭本線となった。長万部へと延伸
されたのは昭和に入ってからで、本線の役割が函館方面へと振り分
けが進むとともに、複線化工事とともに通過する列車の本数もみる
みる増加していった。当時は夕張山地で産出される石炭を運ぶ貨物
列車が主役で、積み出し港となる室蘭を目指して多数走っていた。
驀進する蒸機と何十両もの貨車が強く印象づけられる路線だった。

稼ぎの中心を為していた石炭輸送だが、石油へのエネルギー転換が
進むと一気にその数を減らし、炭鉱の相次ぐ閉山とともに規模縮小
が進められていくことになる。そして岩見沢ー苫小牧間は列車も少
なくなり、室蘭までの直通列車も消え、施設だけが当時の盛況を語
るのみとなる。存続が難しい区間にまで追い込まれている状況だ。

見晴らしのよい風景が続く太平洋岸の区間は、車窓だけでなく前方
からの眺めも最高である。それもそのはずで、このエリアには国内
最長の直線区間が存在しており、その距離は30km近くに及ぶ。
のんびり走る鈍行列車でも心持ち速く走っているように感じるのは
山沿いではなく平地をひたすら進んでいることも無関係ではない。
まちの歴史も比較的古くから営みがあるところが多く、和人の定住
に関する記録を紐解けば、古くは室町時代あたりまでさかのぼる。

今は支線としての地位となった東室蘭ー室蘭間は、札幌直通の特急
電車を除くと短い列車が時々往復する路線となっているが、過去の
資料を見ると、東室蘭より西側の区間で長期運休が生じたときには
通常は青森-函館間を往来する青函連絡船が、室蘭まで繋いでいた
記録がある。もちろん期間を限ったものながらも、主要路線として
貨物や旅客を運んでいたという事実が、結構最近まであったのだ。
もちろん、室蘭本線は今も1本の北の大地の長大幹線なのである。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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