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【百線一抄】036■やくもがたゆたう山道を穿つー伯備線

何パターンか存在する山陰と山陽との縦断経路。その中で最も目が
付く路線が倉敷と山陰本線を結ぶ伯備線だろう。伯耆と備中エリア
の縦断ルートを構築する路線で、標高は高くないもののどっしりと
横たわる中国山地を越える山岳路線でもある。SLが全盛だった頃
は3台の機関車が列車を牽いて山に挑む路線として有名であった。

まず建設が始まったのは山陰側からであった。追って山陽側からも
段階的に延伸が進められ、昭和初期には新見を経由して山陰側と山
陽側がつながった。ただ、遅れて開業した木次線や芸備線が松江と
広島を結ぶことでそちらが陰陽連絡の主軸となり、岡山を直結する
流れはあまり注目されていなかったらしい。戦後に入ってから急行
が京都から山陽本線経由で走るようになり、数種の準急列車も加え
られたものの、いずれも小規模なものばかりで地味な存在だった。

明らかに注目度が上がったのは1970年代に入ってからである。
懸案だった新幹線の岡山延伸が決まり、中国地方の路線図を大きく
塗り替える流れの中で、伯備線のテコ入れが始まったのである。ゆ
るやかな勾配の区間や蛇行する区間を中心に複線化や線路の付替え
を推進し、特急列車の設定や増発が一気に展開することになった。

繰り出す快進撃は全線電化によって絶頂となった。電気機関車が貨
物列車を牽引するようになり、特急「やくも」は新たに振子型電車
の投入が進み、大幅に所要時間が短縮された。JR化後は、さらに
移動時間の拡大が図られて早朝から深夜まで特急が設定され、勢い
づいた「やくも」は線内無停車の列車を設定したり、岡山駅のコン
コースの改良を進めて乗継時間を短縮したりした。一部の速達列車
にはパノラマ型グリーン車も連結され、内装の更新も進められた。

月日の経過とともに名実ともに陰陽連絡線の雄となった伯備線は、
近年も交通系ICカードでの利用区間が拡大され、首都圏と山陰を
夜行で結ぶ「サンライズ出雲」も運行開始から20年を経過した。
鈍行列車も国鉄型電車の奮闘が続く路線だが、時期により運行され
る「ウエストエクスプレス銀河」が旅の魅力を倍加させる。「サン
ライズ出雲」と並ぶ夜の備中高梁駅では、刹那の名優の競演を楽し
むことができる。陰陽分かつ嶺脈を射貫く光は燦然と輝きを放つ。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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