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【百線一抄】043■100年越しの延伸開業に何思う-ひたちなか海浜鉄道

阿字ヶ浦駅という終着駅がある。長いホームに1両や2両の列車が
引き返す風景を見るに、ローカル線の「過去の栄華の成れの果て」
みたいな感慨を抱いてしまうが、その感覚は周辺エリアの変化を見
てからだと大きく違うものになるだろう。何を隠そう、約100年
の時を経て、この駅から路線を延伸することが決まっているのだ。

のどかな空気感が沿線を包むひたちなか海浜鉄道湊線は、大正期の
地域内路線として勝田-那珂湊間が開通し、昭和初期には海水浴客
の輸送を目指して現在の阿字ヶ浦までつながった。大洗と並ぶ夏の
行楽地として盛り上がり、多くの乗客を運んだ。戦時体制下の県内
交通統合によって茨城交通の一路線となるが、高度経済成長の波は
路線の利用客が次第に遠ざかっていく流れを生んだ。娯楽の多様化
による海水浴客の減少は、必然的に経営を圧迫する要因となった。

苦境が明らかとなったのは2005年、まさに21世紀に入ってか
らのことだった。経営状況の厳しさから湊線の廃止案が浮上、会社
分割による新会社へ移管する形で現在の運営体制ができあがった。
列車の増発や通学定期券の見直し、多様なイベントの立ち上げなど
場面に応じた積極策を繰り広げつつ、周囲の注目を集めていった。

難しい局面に突き当たることもあった。新体制での動きがようやく
かたちとなりはじめた頃に襲いかかったできごとがある。東日本大
震災である。復旧に約4か月を要しただけでなく、観光客の遠のき
は進むべき道程に大きな影を落とした。そのような状況の中、人気
者となった居候がいた。駅猫おさむである。おさむはまさに招き猫
のごとく旅人を呼び寄せる原点となり、彼の居場所である那珂湊駅
を一躍、猫好き以外にとっても知る人ぞ知る名物駅へ引き上げた。

主な利用客は地元の通勤通学客。その一方で、阿字ヶ浦駅の北西に
設けられた国営ひたち海浜公園に訪れる人も増えており、行楽期に
は路線バスの臨時便が出るほどにぎわう。夏の野外音楽イベントは
ざっと2、30万人が訪れる大規模なものとなった。アクセスをよ
りよくするための施策として、ひたちなか海浜鉄道を公園近くに直
結させる計画が立ち上がったのだ。新駅の設置や車両の更新など、
利用客の確保や増加に向けて、更なる取り組みが進む路線である。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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