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死にたい貴方に贈る言葉、送る言葉

まず知っておいて頂きたいのは、私自身も常に希死念慮を持っているという事です。強い・弱い・どの程度の苦しさかは置いておいて。


貴方が死という、永遠の安らぎを手に入れたいと思った理由はなんですか。

いじめ、ハラスメント、家庭内不和、離婚、借金地獄・・・様々ですね。誰一人同じ理由を持って死んでいく人はいないですね。

気づかないほど自己嫌悪に陥っている方もいらっしゃいますが、ただ一つの死にたい共通点は、「他人がどうにかしてくれれば、生きていける」という理由でもありますよね。

いじめだったら、いじめてくる人が最初からいなくて、みんなの輪の中に入っていければ、生きていけたのではないですか。借金があっても、その借金を手に入れる過程において、他者との関わりにさらされたはずです。

生まれつきの障害があるなら、それを理解せずに厳しく接してきた人がいれば、その人との関わりが上手くいっていけば良かった。

「死にたい」と打ち明けた友人に笑われ、家族に打ち明けると「そんなこと言わないで」と否定された。

お医者さんに相談すると「自分を否定しないで」と自分の人格が悪いように言われた。

・・・

私はこう思うのです。「自死」というのは、現代社会という高度な文明の中で「間接的殺人行為」なのだ、と。

あるいは社会全体が貴方を殺したのだと。

他者がもっともっと、貴方の事をよく見て、貴方の持つ性質を理解し、そして対応していれば、貴方は苦しまずに済んだわけです。

貴方は悪くなかったのです。自分の中で処理しきれない、「できない」ことって、人間は山ほどあるのです。「むずかしい」ことはもっとたくさんあります。

あなたは「生きることがむずかしかった」だけの話なんです。ただそれだけなんです。

でもだから、周りが気を配って、なんとか生きれるように努力してあげなければならなかった。少なくとも家族は、そして次の段階では友人が、さらに次の段階ではそれ以外の他人が。

これは生存権の問題です。どんなにむずかしい人間でも、生きていてもいいんだ、という話なんです。


人々は無責任に「死んではいけない」というのです。そして駅から電車にダイブした瞬間に「迷惑をかけるな」と言う。

でも社会を構成する1人の人間であるならば、あるいは電車が止まって迷惑だと思うならば、自死をする人を助けるべく少しの努力をするべきだった。

もう言いますが、自死というのは、貴方の責任の中だけで起こる事ではないのです。貴方が死ななければならない理由は、自分だけではない他人も関わってくるはずです。

それを自分だけで抱え込んで、他人の問題まで全部解決しようと思ったら、首を吊るしかないと思うのも当然なんです。


無責任に「自殺なんてするな」という他者の言う事を信じて、自死が悪いと決めつけないでください。

貴方も、世界に生きる全ての人間、死んでいった人達、全員が立派だった。必死に生きようとして、生きて、死んでいったのです。

人間というのは他人に生かされる生き物なんです。社会性のある生物なので当然です。

貴方を殺そうとしてくる人々の言葉に、行為に、耳を傾けないでください。


そして私自身も、もう社会の一員ですから、貴方を救おうとする義務があります。

私は色々な葛藤の中で「生きる」ことをやめました。「死ぬ」のもやめたいです。人間は生きるか死ぬかと二択ではないと思ったからです。

生きよう生きようとして、辛くて苦しくて、でも生きていなければならない。それでは生きていけないですね。

でも私が「苦しい」と叫んだとき、助けてくれる人がたくさん居て、本気で悩んでくれるから、もう少し息をしていようと思う訳です。


私自身は貴方を救う義務があります。貴方の生存権と幸福追求権を保証しなければならない社会の一員として。

だから私は声高に「死ぬな!」と貴方に言います。

もう苦しまなくていいです。悲しむ必要もありません。少なくとも貴方は死ななければならない人間ではありません。

貴方以上に苦しまなければならない人間が大勢います。でも貴方は苦しむ必要はないんです。もう死ぬほど追い詰められたから。


教えてください。なぜ貴方は苦しんでいるのか。私自身が苦しくない範囲で、それは途方もなく広いですが、話を聞かせてください。

私のTwitterのDMで構いません。私はフォローしていない方からのDMも受け取ります。他の相談先を探したり、色々な助けようと動いている人達を紹介します。


何度でも言いますが、社会の一員なら、死ぬほど苦しんでいる人を助けようとする義務があります。強い弱いは関係ありません。少なくとも貴方は弱い人間ではない。

貴方を助けようとしない、殺そうとしてくる人達に、騙されないでください。

貴方の幸せを祈っています。


インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。