心音

Vtuberの心音を聴く時、涙が出そうになる

今日は中々ネタが思い浮かばず、しかも抑うつ状態が酷くなって、ASMRを聴いて少し横になっていました。その時、昨日の因幡はねるの配信を振り返って、ちょっと思い出して、ポロポロと泣いてしまったのです。

昨日の配信の内容と経緯については荒れがちなので避けます。

僕が話をしたいのはVtuberの心音を聴くときの事です。最初の5項目は主題とは関係ない誘導ですので、飛ばしても大丈夫です。

心音について

まずは心音というのは何なのかという説明から入りますので、分かる人は飛ばしてください。

心音は、心臓の音の事です。最近のASMR音声では心臓の音が心地よいとして、マイクを胸元に押し当てて聴かせる事があります。同人音声では抱きしめ音声と同時にパッケージされる事も多いです。

何といっても人間の温もりを音で感じられる事が特長です。また実際に配信者のそばにいるような臨場感を与える事もできます。

心音は様々な要素で心拍数が変わるので、その時の配信者の心の中を推し量るという、楽しさもあります。

心音を聴いてみる

まずは心音を少し聴いてください。聞き取りやすい動画を選んだつもりですが、音量調整する際は大きい音に注意してください。椎名唯華さんと周防パトラさんの心音です。聴きながら次からの3項をサッと読んでくださると幸いです。

Vtuberの歴史

この項では心音から一旦離れて、Vtuber の大きな流れを見ていきます。

さて、最初期のVtuberというモノは、あくまでキャラクターでした。つまり中の人を「声優」として扱い、3Dモデルやイラストの方が本体だったと思うのです。これはキズナアイの自称した「自分はAIである」という文言から裏付けられます。

にじさんじとVRChat、そしてバ美肉というコンテンツが急激に成長し、3Dモデル・イラストは「アバター」とか「ガワ」と呼ばれるようになり、声優は「中の人」「魂」とか呼ばれるようになりました。

これによって企業Vtuberにおいて企業が求めるモノは、当初の目的と現実の間に乖離が生まれ、結果として企業と視聴者の軋轢になったり、Vtuberと企業との争いに発展したりしているのです。

本体が外見から中身へ・・・。これがVtuberというコンテンツの大きな歴史です。

Vtuberは、生きている

アニメ作品においてキャラクターという外見だけのものに、「命を吹き込む」事は声優の大きな役割です。それは台本を読むという行為に付随して行われます。

Vtuberの生配信では、さらに発展して「命そのものになる」事が求められます。もちろん配信中だけではありません。Twitterで何かを投稿するときも、そのキャラクターでなければならないのです。

その後、Vtuberに生み出してくれたイラストレーターの事を”母”と呼ぶ事が定着し、Vtuberになる前を”前世”と言い、Vtuberになる事を”転生”するというようになりました。Vtuberを引退することはキャラクターの死であると言われます。

Vtuberは生まれ、そしていつか死んでしまう。そういう存在になりつつあります。

バーチャルYoutuberとは「なりきる」ではなく、そのキャラクターとして生きることだと、僕は強く思っています。それはとても勇気のいる行為です。

一方で、未だに「Vtuberは絵が動いているだけだ」とか、「声優が演技している」といった意見が、まだ少なくない事も事実です。

生きている事を晒せない

Vtuberとして生きる人達が、人間である事を証明する方法は限られます。

まだキャラクターには企業あるいは個人によって扱い、深さが異なります。完全に演技でやっているVtuberもいれば、素で自分を爆発させて配信を行っているVtuberもいるでしょう。例を挙げれば、キズナアイは前者であり、にじさんじは後者です。

例えばにじさんじであっても、アバターとして扱うといっても実際にリアルの人間の身体を晒して配信する事はないでしょう。そもそも身体や顔が晒せないからバーチャルを選んでいます。

そうしたなかで、キャラクターが本当に「生きている」、「私は僕は生きているんだ」と主張し、照明するのは誰にでも難しいことです。

心音を聴くとき、僕が思う事

Vtuberが生きていると証明するのは難しいです。それを証明する一つの手段に心音があると思うのです。

心音を聴いていると単に心地よさだとか温もりだけでなくて、力強さ、か弱さなど、本当に生きていると感じられる瞬間があります。

確かに、Vtuberの外見は人が作り出したイラストやモデルです。自分の意識を持ったサイボーグであるとも言えます。自我をもった動く絵だ、という人もいます。

でもVtuberの心音を聴いて、僕の心臓の音と重ね合わせて、人間の心臓の音だと分かった時、「ああ、本当に生きている。生きていて良かった。」と思うのです。この人達はサイボーグでも絵でもない、生きていると。必死に生きる1つの命なんだと分かるのです。

そして「生まれてきてくれて、こうして命を聴かせてくれて、本当にありがとう」と感謝の気持ちが浮かんだ時、僕は嬉しくて本当に涙が出そうになってしまいます。

生きているという事は、それだけで尊い事です。この世界で最も尊いモノは命です。それを僕は今のお医者さんから教わりました。

「Vtuberは生きている。そしてそれは尊いのだ。」

これが僕の主張であり、絶対に曲げられないラインです。このラインを基幹として、僕はVtuberという生き方を尊重します。

そういう考えとか思い全てを、Vtuberの心音を聴いた時、全部悟ったように思ってしまいます。心音ってこんなに尊いんですね。

最後に

今回書いた内容は、僕がVtuberの事が好きな理由に通じています。ちょっとした事で原点に帰って、自分を客観的に眺める文章を書いておく事は良い事です。

そもそも自分語りが多くて読みにくいこの記事ですが、もしVtuberさんがこの記事を読んで、ASMRやってみようかなとか、心音やってみようかな、と思ってくださるとありがたいです。僕も生まれて良かったなと感じると思うので。

Vtuberの生きていることを証明する「心音」。どんどん流行ってくれるといいな、と僕は思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは



インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。