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昼休みの散歩②:HS

私が勤めている会社は、関東平野の北端に位置する山の裾野にあります。天気の良い日には、昼食後に山の景色を眺めながら散歩をしています。

散歩を始めてから数年経ちますが、シンプルな自然の風景を味わいながら、ぼーっと歩いていると、季節とともに変わる自分の心や身体の状態に気づくとともに、いつも同じように心に引っかかっているネガティブな思いが堂々巡りしていることに気づきます。

勤務の休憩時間の散歩なので、仕事や職場環境についての不満や不安と絡んだ内容が多いと感じます。日頃は成果につながる様に合理的なやり方で仕事に向き合っていますが、社内外の組織には多様な人が働いていて価値観や流儀が色々で、関わるうちに不満や不安がだんだん鬱積するようです。

玉光神社宮司が教える瞑想の中に、歩くことになりきる練習があります。いつも何となく堂々巡りしている心を整理するため、散歩をしながら移動という行為になりきる練習をしてみます。

最初は、移動という行為で主体となる自分が歩く筋肉の動きを意識します。また歩かれている道も意識します。そして移動している行為が、移動している自分と移動された道とがバラバラではなく、かみ合っていると感じながら散歩してみます。しばらく歩いていると、景色に気を取られることなく雑念から離れ、一つの移動という行為の流れができてきます。

後で振り返ってみると、行為になりきっている状態というのは、スムースに行為をしている今に集中していたと思いました。そのときには自然に雑念を手放して少し横に置いておいた様な気がしました。堂々巡りしているのは過去の経験に照らした不満やそれを元にした未来への不安かなと感じました。そして、自分の心の中にある物差しをあてて勝手に悩んでいると感じました。その物差しは仕事を効率的に行うためには役に立ちますが、自分を縛る元にもなっている様です。また不安な気持ちも、先が見えないという誰にも分からない未来への不安で、自分が勝手に考えているだけかなとも思いました。結局、自分の経験の蓄積が作り出した価値観がなんとなく自分のストレスにつながっている様です。

30分程度の散歩ですが、四季の移り変わりを感じながら時には景色を堪能し、時には歩く瞑想で自分と向き合うことで新たな気づきが得られ、心のあり方が少し整理されるような気がします。