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長い翌日-救済-12

私が小説を乱読し、時に嗚咽したのはなんだっただろう。高校の時、ワープロが欲しくてセブンイレブンでバイトをした。それは小説を書く環境を整えたかったからだ。私が小説を読みときに嗚咽したり、音楽を聴いて動揺したり、ああいう事。それを私がしようと思ったのはどんな理由が、謎があったのだろう。
 小説に慰められた。道徳なんてもんじゃない。小説もそれを書いた作家も、お互い様よね?と私に迫ってこなかった。勝手な推測かもしれない。好きな作家に太宰治がいるが、金銭面を例え抜いても、太宰自身が詩を書く人を天使と表現しても、トンボ、透き通る、と書いても、小説に拘ったのは「詩よりも平易で、優しさが伝わりやすく」、を形にするとサービスとなるだろう。太宰は作品にサービスを込めたかったのではないだろうか。
人間同士の関係性に名前をつけて、困ったときはお互い様。醤油切らしたらいつでも言って、私もその時は遠慮なく。その程度のことを人は大声で言いたがる。モラルだ!と叫びたがる。とてもヒステリックに、そして非難がましく、正統的に。
 セブンでハイボールでも買ってこようか。今夜はコーヒーではなく、アルコールを飲もうか。飲まなくなって、それほど飲みたいと思わなくなってから長い。けれど今とても飲みたい。一人で飲んで、くだを巻きたいのだ。道徳?大切だ。幼稚園生の社会性だ。グロテスクにそれを学ぶ。ああ、そうだ、道徳なんぞ、とても自明でありつつ、グロテスクだ。生だから腐りやすい。匂いだってする。さまざまなものに影響されちまう、そんな程度のもんじゃないか、と、くだを巻きたい。
 違う、小説から受けた感動はその内容、ストーリーにも感銘を受けたが、その作品そのものを受け取り、本当の涙を流し、洗いたてのタオルを濡らした。私はイソップ童話を書きたいと思わない。小説を読む。小説を書く。読む私、書く私、その遥か彼方からやってくる、外側から来るもの、それを持ってあなたに対し、耳元でひそひそ話をしたいのだ。
それが私のしたいことだった。私の書く姿がそれだった。見えた。黒いブーツを履いて、見えなかった壁を、蹴破ってみせた。やっと見えたから。3回の…、木村先生、街灯、彼、各々の外側から、はるか遠くからやってくるそれに突き動かされ涙し、救済された。
 私はそういう風にあなたの耳にひそひそ話をしていく。それのみが私の自慢、宝物、昔セキセイインコのふみちゃんは空の高くに飛んで行った。けれども、ふみちゃんはちゃんと帰ってきたのだ。今、鳥かごの中にいる。私はその鳥かごのみが財産だ。それのみ持って、汗をかく。
 
追記:
パソコンから目を離し、壁に貼られたメモを読んだ。
「必ず午前中に始めること」
丁寧できれいな字だ。そういえば、泣いたのは4回じゃないな。5回だろう。今日の仮眠に夢を見た。師匠が笑う夢を見た。私は仮眠から泣きながら起きたのだし。何度も泣いた。救済された。長い一日。

古里/田畑満

 【古里】
作詞:高野辰之
兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷

こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷

古里
作詞:高野辰之

作曲:岡野貞一

Coverd by田畑満(RQRQ)

小説を書きながら一人暮らしをしています。お金を嫌えばお金に嫌われる。貯金額という相対的幸福には興味はありませんが、不便は大変困るのです。 ぜひ応援よろしくお願いします!