長い翌日-救済-8
最後の患者だった。Bluetoothのイヤフォンを外さないが、実を言うと音楽は聴いていなかった。
診察室で最初、へらへらと、
「病気の症状っていうわけでもなくて、ごめんなさい」、
と切り出せたが、無理だった。信仰する場の説明の仕方になってしまう。懺悔にはならないが。
「書けなくなりました。あるけど、書けない。何も見えないです。それは確かに見えてるけど、もう何も見えなくて。私がぶつかっているのは、話しながら整理していくと、きっと、書く、それは楽しい。それ以上の何かだっていう風にも思う。私はそれ以上の何がしたいんでしょう?書く、それ以上の何をやりたいのですかね?厳密に言えば、楽しい、それ以上の何かっていうことを左右するのも、それのような気がする。『私の趣味は音楽鑑賞と読書です』っていうことですよね?私は絶対にそこに陥らないと、師匠に育てろと、書けと言われたその時から、意識していた筈なんだ。見えない。書けないんです」
主治医の木村先生は時折、カルテにメモをしながら、私の言葉を聞いていて、私の方を見て、
「ぶつかったんだよ。それは往々にしてある。いつ書けるようになるだろうなんていう予言はできない。ただ、これだけは注意するんだよ。生活の一コマ一コマ、ひとつひとつを、丁寧にやっていくんだ。丁寧に。そうしていればいい」
「丁寧に、ですね」
「来週またおいで。君の問題の解決の共有っていうわけではないかもしれないし、その過程かもしれない。全然別なものかもしれない。その共有は。俺は君の問題とか君を五感で理解したいのさ。きちんとわかりたい。そして俺もそれに対する答えを出し、君と共有したいっっていうわけだ。もう一回言うよ?それは決して、君の今抱えている問題の解決の答えっていうわけじゃないかもしれない。けれど一方通行っていう訳にはいかなんだ。ここは病院の診察室だよ。ミュージシャンがスタジオでレコーディングしているっていう訳じゃない。ある認識を共有できて、初めて診察した、と言い得るだろう?」
「分かります。私は書き手だから、放れば…、」
「そういうこと。ハイ、わかったよ。一つひとつを丁寧に。また来週」
私は涙をぎゅうぎゅうハンカチタオルで拭いて、ジャケットのポケットからBOSSを取り出し、マスクを下に下げて、飲んで少しだけ笑った。
ほっとするタイプの涙だった。心の内にあった、切迫した感じ、少しだけ肌の表面を爪で掻くようなイライラは静かになったって思う。もう帰宅時間だ。蟻が目標に向かって、その隙間を通っていくようにみんなで改札に向かい、改札を通っていく。ケータイをポケットにしまった。かかっているのは「スリーパーズ強制収容所」。心は静かなはずだった。けれど重い。ギターを弾く。音が歪みながら延々と止まらない。興奮はやってきつつも上りきらない。この駅のホームにはドアがついていないけれど、自殺する理由が今私にあっても、別に飛び込む心配はどこにもない。そんな興奮もテンションもなかった。駅を降りると自転車の駐輪場がすぐにあり、それを囲む白いフェンスにおびただしい数の新しいのぼりが立っている。「値下げしました!」。疫病と関係があるのだろう。容易く予想できる。それを過ぎると喫煙所があり、その隣に交番がある。ふっと1年くらい前のストーカーによる殺人予告を思い出した。当時付き合っていた男性と私、両方を殺害するという予告だった。夜中、通報した。眠剤を飲んだ後だった。若い、大きなお巡りさんが4人ワンルームにいた。目の焦点が合わない。質問に答えることがやっとで…、などと思いだしそうになるが、今の意識にその記憶の詳細は、それほど上ってこない。平坦なギターのリフレインがそれを防いでいるような感覚だ。上ってくれば堰き止める。そういえば、さっきからずっとそんな感覚が続いてるような気がする。パチンコ屋の目の前を通った。人が出てきて、自動ドアが開いた。一気に押し寄せる、轟音。それに反応するようなこともない。さっき、そう、多分、病院に行こうとアパートの階段を降りたあたりからだ。保つ意識のそのすぐ下にブロック機能がついている。木村先生と対面し、木村先生に私の出来事を説明し、木村先生の言葉を聞いていたとき、地震のように裂け目ができて、涙が上ってきて、目から零れ落ちた。安堵した。けれどまだそのブロック機能は働いている。徐々に裂け目は閉じていくみたいだ。寒さに冷えていくように。今の私にはそれが普遍なんじゃないかって感じられる。ブロック機能は小刻みな高低の波が微細にあるのだろうけれど、感じているのは平坦な面みたいだ。イトーヨーカドーが目の前にある。暗い空に覆われたイトーヨーカドーだ。帰宅途中の食材の買い物。みながみなそう生活するのだな、と改めて思う。そしてまた、私もありきたりな、当たり前の人間だな、と思う。店頭のキャッシュカードやポイントカードを作るブースはそう人も集まらない。ちらほらいる程度だ。外はもう暗い。この時期の夕方っていうのはやけに短い。もう夜と言っていいと思った。イトーヨーカドーの入り口のカゴやカートが置かれているスペースに入った時、その場の明るさ、夜との対比、店内のざわめき、夕方の特売の雰囲気、お惣菜コーナーの前に立つ帽子を被った店員、パンコーナーの売り切れてしまった隙間に、どうしてだか、梶井基次郎の「檸檬」を思い出した。レモンに出てくるようなビビッドな色は此処から見えない。けれど、このイトーヨーカドーの入り口から見える店内の…雰囲気はビビッドといるのかもしれない。あの…一種偽物じみた明るさ。このスーパーの明るさは私が過去生きていたときの明るさのような気もするし、私の少しだけ先の世界にある明るさのような気もする。5分後?10分後?村上龍の小説、「5分後の世界」は私のフェイバリットだ。
イトーヨーカドーの店内にカゴを持って入り、あ、私、ノープランだと気がつく。ノープランなら…、それこそ、出来合いのお弁当であるとか、お惣菜を買えばそれでもいい。けれど、今の私はそういう感じじゃなくって、野菜炒めを作るどうでもよさ、みたいな気分だった。少しずれたら、カップの味噌汁と辛子明太子やわさび漬けを買って、ご飯に乗せて食べるような。スーパーの中を急ぐわけでもなく、そうゆっくりと、といった風でもなく歩く。私の散歩の仕方と少し似ている。周囲の風景が移り変わっていっているのは周知の上だ。その移り変わりにどうも関心を持てないまま歩くというのが私の散歩の特徴だ。クズ野菜を集めて袋に詰めたような、例の野菜炒め用のやつをカゴに入れた。鶏ガラスープのストック、家にあったっけ?一応詰め替え用もカゴに入れる。豚コマ(小)、やっぱりまだ商品の位置を把握していなかった。やはり無駄に歩いたことになるわけだけど、そう自分の持ち物を無駄遣いしてしまった、というような気持ちは湧いてこない。
曲紹介:スリーパーズ強制収容所/田畑満
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