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クック船長殺害事件と「まれびと信仰」

ジェームズ・クック(1728-1779)はイギリスの探検家で、3回の太平洋の航海でタヒチやオーストラリア、ニュージーランドの周辺を航行。さらに、ヨーロッパ人で初めてハワイ諸島を発見したことでも名高い人物です。

クックは3回目の航海でハワイを発見し、地元のハワイ島民といざこざを起こしてその途上で殺されてしまったのですが、一時はクックはハワイ島民に「神様」と呼ばれ崇拝の対象になっていました。

なぜハワイ島民は「神様」であるクックを手のひら返しで殺害したのか。それにはハワイ島民が持っていた「まれびと信仰」と密接な関係がありました。 


1. まれびと信仰とは

まれびと信仰とは、「海の彼方から神がやってきて、幸せをもたらす」という観念のことです。
主に太平洋の島々に多く、日本だと沖縄や奄美にも伝わっています。
「まれびと」という観念を有名にしたのは、民俗学者の折口信夫。「海の向こうにある死者の国からまれに神がやってきて村人たちの生活を豊かにしてくれる」という考えは、異国からの客人を神様のように歓待してもてなす風習の根底にあるものとされています。
日本の「先祖の魂が1年に1回地元に帰ってくる」というお盆の習慣も、まれびと信仰と無縁ではないと考えられているようですが、太平洋の島のような民族の移動があまりない地域では、新たな技術や見たこともない産物をもたらしてくれるのはたいてい異邦人や外来者だっただろうから、まれびと信仰のような観念が発達するのは非常に自然なことのようにも思えます。
逆に様々な民族が興っては消えたユーラシア大陸では、「外から災いがやってくる」という考えができても、「外から幸せがやってくる」とはなりにくかったのではないかとも思います。

2. ハワイのマカヒキ祭り

さて、ハワイでは元旦に「マカヒキ(Makahiki)」というお祭りが祝われます。1月のマカヒキ祭りの期間には、毎年「ロノ(Lono)神さま」という神様が海の向こうからやってきて、作物の成長・豊穣・多産・恵みの雨をもたらしてくれる、と信じられていました。
ハワイの伝承では、もともとロノ神は実在の王様であったそうです。

ロノ王は島々を訪れて妃を探して欲しいと兄弟に頼んだところ、美しい女性が見つかったので、虹を伝って島に降りてきて、その女性と結婚した。2人はケアラケクアで暮らしていたが、ある日島の青年と彼女との関係に疑問を持ったロノ王は、勢い余って妃を殺してしまう。後に誤りであったことが分かり悲しみくれ、死の方角である西に向かってカヌーを漕いで行ってしまった。 ロノ神は「カヒキ(Kahiki)」の国というところからやってくる。
カヒキは水平線の彼方の時空を超えたところにあり、彼の国では昔死んだ王様や先祖たちが住み、植物が生い茂り、皆が幸せに暮らしている。そして1年に1回ハワイにやってきて、人々に様々な恵みを与えてくれる。

1月は「死の季節」から「実りの季節」への移行の月であるし、またプレイアデス星座が現れることから、ロノ神が世界を支配していると考えられました。

3. 歓迎されるクック船長

イギリス人探検家ジェームズ・クックは、1778年1月にハワイ諸島のカウアイ島を発見。ヨーロッパ人で初めてハワイに降り立ちました。この時のハワイ島民の歓迎ぶりは大変盛大なものであったそうです。

無数のカヌーがブタ、イモ、パンの木を満載にしてクックの船の周りに集まってきてくる。女たちは喜び歌い、男たちは武器を持たず船によじ登ってきてクック一行を歓待する。

やがて地元の司祭がやってきて、クックに赤いタバ(木の皮で作った布)を着せ、ブタを供犧として捧げた。そしてクックを島に連れて行き、ヒキアウの神殿に案内したそうです。

人々は口々にクックのことを「ロノ神さま!」「ロノ神さま!」と叫び、地面にひれ伏しました。
クックがハワイに着いた1月、島はちょうど「マカヒキ祭り」の真っ最中だったのです。おめでたいお祭りのタイミングで現れた見慣れぬ服を着たクックは、ハワイ島民にしてみたら「ロノ神の降臨」以外の何物でもなかったわけです。

4. ハワイ人「なんであいつ帰ってきたんだ!?」

ハワイの神事と、クック一行の行動の偶然の一致は続きます。

2月1日、クックの船の老水夫が死亡したのですが、ハワイでは正月の終わりに「人身供犠」が行われる習慣があり、水夫の死をハワイの人々は彼らの神事の文脈で解釈しました。
クックはハワイの王に彼を埋めて欲しいと頼みました。ハワイ王は了承して、ヒキアク神殿に埋葬してくれました。さらに2月4日、クック一行は船に乗り島を離れようとしたのですが、この日は丁度ハワイの祭りの終了の日でした。マカヒキ祭りでは、2月4日にロノ神は島から去ることになっており、怖いくらいに行事とクックの行動が一致していたのでした。

ところがクック側に不運なことが起きます。
強い風雨のために船のマストが破損し、修理のためにハワイに引き返さざるを得なくなったのです。

困惑したのはハワイ島民。ハワイの文脈にはありえない出来事が起こってしまいました。

もう祭りは終わったのに、なぜロノ神は帰ってきたのだ?

しかもハワイの伝統では、祭りの後に王とロノ神が儀礼的な戦いをして王が勝ち、再び王が主権を回復するという文脈がありました。

1月あまりロノ神が最上位の存在だったのを、再び日常の権力に戻すという儀礼的なものですが、クックが帰ってきてしまったことで島の秩序にも混乱をきたすことになってしまったのです。

当然ながら、ハワイの人々は以前のような歓待はせず、クック一行を冷たくあしらいました。特に王や首長たちは、自分たちの権力を脅かす「ロノ神」に明らかに敵対心をあらわにしました。

王たちは「なぜ再び帰ってきたのだ!」とクックに執拗に尋ね、いくら「船のマストが破損し修理が必要だからだ」と答えても聞き入れようとしませんでした。

そんな中、船に積んであったボートが島の者に盗まれるという事件が発生。ボートを守ろうとした水夫はボコボコに殴られました。クックはカラニオプ王を人質にし、それと引き換えにボートを取り戻そうとしました。

クックは2月14日に武装した水夫を連れて再上陸。島では「首長の一人が殺された」という情報が流布しており、クック一行への敵対心に満ち満ちていた。クック一行は武装した島の男たちと衝突。混乱の中で、クックは短剣で刺されて死亡してしまいました

島の者たちは、自分たちが殺したクックの遺体を丁重に神殿に埋めて神に捧げました。

そして儀式が終わった後、司祭は水夫にこう尋ねたそうです。

「来年も、クックさんはハワイに帰ってこられるでしょうか?」 

まとめ

当時のイギリス人からしたら、ハワイ島民の言動は全く訳がわからないものだったに違いありませんが、 こうしてハワイの伝統文脈と照らし合わせると、ちゃんと筋が通ったものだったことが分かります。

ハワイの文脈では神様は物を食べるし、寝るし、排泄もする人間に近しい存在だったようですが、ハワイ島民はクックを最後まで神様だと認識していたし、「殺した」という認識もきっとなかったに違いありません。
お約束を破ってしまったおっちょこちょいな神様を、「正してやった」くらいに思っていたような気がします。
お話としても民俗学としてもかなり興味深い事件なのですが、だいたいの文化の違いによるコンフリクトってこういう「常識の違い」から起きますよね。

小さいところでは新婚夫婦の喧嘩の元でもあり、大きなところでは国家間の戦争にまで至ることもある。文化の多様性ってのは、いいことみたいに言われますけど、こういう面倒くさい側面もあるのですよね。

参考文献

シリーズ世界史への問い1 歴史における自然

第10章海のコスモロジー 吉田禎吾

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