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ちゃんと読むとスゴイ聖書の逸話

聖書はそれ自体が聖典なので、疑問を挟む余地がない存在です。
5つのパンと2匹の魚で5000人を腹一杯にさせたとか、腐りかけた死体を復活させたとか、自身も死んで3日後に生き返ったとか、色々ミラクルはありますが、これはまあ、イエスの手柄だからいいんです。
ただ思わず読み飛ばしそうになるものの、よく読むと衝撃的なことが平気で書かれていたりします。


1. 神、人間とレスリングしてタップアウト負けする 

ヤコブはイサクの息子で、イスラエル民族の祖とされる人物です。
母リベカと共謀して盲いたイサクを騙し、双子の兄エサウに与えられるべき長子の権利を奪ってしまい、それがきっかけで流浪の旅をすることになってしまいます。

その旅の途上、ヤコブはどういうわけか、夜通し神と取っ組み合いのレスリングの試合をし、最終的に神を降参させています。

ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人の組打ちするあいだにはずれた。その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。彼は答えた、「ヤコブです」。その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。ヤコブは尋ねて言った、「どうかわたしにあなたの名を知らせてください」。するとその人は、「なぜあなたはわたしの名を聞くのですか」といったが、その所で彼を祝福した。そこでヤコブはその所の名をベニエルと名付けて言った、「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」(後略)

「創世記」32章24節〜32節

最初ヤコブはいま取っ組み合いをしてるのが神だと気づかず、「降参しねえと関節技解かねえぞ」とか言っちゃってる。で、「おメエ強えよ。オレ神だけど負けたわ」と言われてようやく「ウソ!?マジ?」ってなってる。

ヤコブはももの関節を負傷してるぐらいなので相当な激戦だったようですが、人間でも神に戦って勝てるってのは結構衝撃的な話ですよね。

2. イエスには兄弟がいる(らしい)

イエスは処女のマリアから生まれたことになっており、マリアの聖性を信ずればイエスは一人っ子と解釈するのが正しいように感じますが、聖書にはしれっとイエスには何人かの兄弟がいたことが言及されています。

イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って言った。そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った。「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。

「マルコによる福音書」第6章1節〜4節

イエスはこれらの譬を語り終えてから、そこを立ち去られた。そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力のあるわざとを、どこで習ってきたのか。この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」

「マタイによる福音書」第13章53節〜56節

若干書き方は違いますが、内容はほぼ同じです。
イエスを昔から知ってる村人たちは博識になって帰ってきた彼を見て驚き言った。「こりゃ、ぶったまげた〜。アンタ、マリアさんとこのイエスじゃあねえか。他の兄弟たちもオラんとこにいるがよ〜」みたいな感じでしょうか。

このまま読めば、イエスの両親マリアとヨセフは結構子作りに励んでいたことになります。この謎の兄弟たちの詳しい説明は他にはなく、マリアの聖性を認める聖書学者たちは「父ヨセフの連れ子」だとか「兄弟とは血の繋がったものではなく仲間みたいな意味」だとか様々な説を出していますが、万人が納得する説は永久に出てこなそうな気がします。

3. ダビデ王、人妻を妊娠させ夫を戦で殺させる

ダビデ王の外道っぷりは有名ですが、よく読むと本当にこの人は外道だなあと感心するほどです。
サムエル記下第11章から12章にかけてのエピソードをかいつまんでまとめると以下の通り。

ダビデ王は家の屋上から美しい女が水浴びをしているのを見つけて、さっそく呼びつけてヤッてしまった。しかも妊娠させてしまった。この女は部下ウリヤの妻のバテシバという女で、ダビデ王はバテシバを妻にするためにウリヤを戦争の最前線に立たせて死に追いやった。これに怒った神は、「お前の子を殺してやる」とナタンという男経由でダビデ王に告げた。するとダビデ王はヘイコラ神にひれ伏して断食を始めた。けど願いは聞き入れられず、生まれた子は7日後に死んでしまった。これを知ったダビデ王は、断食を辞めて起き上がって風呂に入り、パリッとした服を着てメシを食った。部下は思わず言った。

家来たちは彼に言った、「あなたのなさったこの事はなんでしょうか。あなたは子の生きている間はその子のために断食して泣かれました。しかし子が死ぬと、あなたは起きて食事なさいました」。ダビデは言った、「子の生きている間にわたしが断食をして泣いたのは『主が私をあわれんでこの子を活かしてくださるかもしれない』と思ったからです。しかし今は死んだので、わたしはどうして断食しなければならないでしょうか。(後略)」

「サムエル記」12章21節〜23節

死んじゃったから意味ねえじゃん。死んだ後神様に祈ってもしょうがねえし。 合理的と言えば合理的ですが、反省の一言もないのは結構ショッキングですよね。

4. なぜかカインにはめちゃくちゃ甘い神 

アダムとイブの2人の息子、アベルとカインが兄弟喧嘩をし、カインがアベルを殺したのは誰もが知っていると思います。
その後カインはどうなったか。
実は彼は神の厚い庇護の元、別の町で女を見つけて子どもを産んで町を作っています。

 アベルは羊を飼うものとなり、カインは土を耕すものとなった。(少略)主はアベルとその供え物とを顧みられた。しかしカインとその備え物は顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。(少略)カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。(少略)カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見つける人は、誰でもわたしを殺すでしょう」。主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺すものは七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見つける者が誰もカインを撃ち殺すことのないように、彼に一つの印を付けられた。カインは手の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがってエノクと名づけた。

「創世記」第4章2節〜17節

カインが「本当すいません。マジで、死刑になっても文句ねえっすわ…」と反省しまくってるところ、「いいよ!大丈夫!お前を殺す奴は七倍の苦しみを味わうようにしたげるわ」と、急に優しい神。いいのかそれで。

「お前は地上の放浪者になるだろう」と言ってるのに、町に住ませて奥さんと子どもも授からせてるのは、どういう風の吹き回しでしょう。アベルをえこひいきしてカインの供え物を顧みなかったことを神なりに反省したんでしょうか。

ちなみに、カインの孫の孫の子(来孫)の名はレメクと言い、彼は「オレを殺したら苦しみが七十七倍だ!」とか言ってます。
この発言に対し、神は一切コメントをしていません。

5. ばっさりカットになってるイエスの奇跡の逸話

福音書は正典として認められているものが4つ(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)あり、それぞれイエスの誕生から復活までがおおざっくりと記載されています。それぞれ記載内容は微妙に異なるものの、おおまかなストーリーは共通しています。

例えばイエスは十字架に貼り付けになった3日後に、墓の中から這いずり出て、外をスタスタと歩き回っていますが、それぞれの福音書には以下の章に記載があります。

マタイによる福音書 28章
マルコによる福音書 16章
ルカによる福音書 24章
ヨハネによる福音書 20〜21章

部分的に記載内容は異なりますが、墓参りに訪れた女たちがイエスの遺骸がないことに気づき、その後びっくりする弟子たちに会って「これから私の教えを世界に広げなさいよ」と言うところまではおおよそ共通です。

ルカによる福音書では、最後はイエスが天に登っていったところまで記載があります。弟子たちはイエスが本当にいなくなったことを別に悲しみもせず、本当の神様に会ったことをむしろ嬉しがっている様子が描かれています。

それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れていき、手を上げて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、[天に上げられた]。彼らは[イエスを拝し、]非常な喜びをもってエルサレルムに帰り、絶えず宮にいて、神をほめたたえていた。

「ルカによる福音書」第24章50節〜53節

様子が少し違うのはヨハネによる福音書。
第21章でイエスはテベリヤの海に現れ、弟子たちと会話します。イエスは弟子たちに尋ねる。

「ねえ、お前オレのこと好き?信じてる?」
弟子たち「そりゃそうっすよ」と答える。「てか、裏切り者って誰なんすか?」
イエスは答える。「別にお前知らなくていいじゃん」。
という会話が繰り広げられて終わります。
が、最後にこんなことが書かれてます。

これらの事についてあかしをし、またこれらの事を書いたのは、この弟子である。そして彼のあかしが真実であることを、わたしたちは知っている。イエスのなさったことは、このほかにもまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。

「ヨハネによる福音書」第24章〜25章

この他にももっともっと逸話がいっぱいあるんだけど、書けないからざっくり省きます!
という「◯◯先生の次回作にご期待下さい!」的な終わり方です。

ヨハネによる福音書を書いた作家が何でこんな終わり方をしたのかよく分かっておらず、本当に枚数が足りなかったのか、ネタ切れだったけどイエスの凄さを強調するためにこう書いたのか、続きを後輩の聖書作家が書くことを期待したけど誰も書き足してくれなかったのか、いづれも可能性ありますけど、本当のところはどうなんでしょう。

まとめ

我々がよく知っているエピソードでも、福音書ごとにそれぞれ違った書き方がされているし、前後と比べると「なんで!?」という部分も多いので、改めてじっくり聖書を読んでみると結構発見があって楽しそうです。

 聖書は何世紀にも渡って色んな人の手で編集されているので、矛盾点もあるし辻褄が合わないことがあるんですが、歴史上の聖書学者の方々はこれらの不明点を一つ一つ検証し、他と整合性が合うように解釈していかねばならないので、本当に大変ですよね。


 参考サイト

"5 Shocking Scenes You Won't Believe Are in the Bible" Cracked

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