コロンブス以前にアメリカ大陸に到達したかもしれない人々
西洋中心史観が見直され始めている現在においては、このようなタイトルは意味をなしません。アメリカ大陸には約1万4,000年前からシベリア経由で人類が進出し、独自の文明を築いてきました。
それでもコロンブス以前に誰かがアメリカ大陸を見つけていたかもしれない、というお題は人々の関心を集めます。
アメリカ先住民とユーラシアの東西文明との接触がもっと早くに実現することで、例えばアメリカ先住民文明が巨大なものになっていたかもしれない。どこかの民族がヨーロッパよりも先にアメリカの富を獲得していち早く発展したかもしれない。経済圏を築いたかもしれない。
あくまでIFの話ですが、コロンブス以降にアメリカ大陸が歴史に与えた影響が余りにも大きかった故に、それがなかった世界線のことを妄想してしまいます。
ポリネシア人
ポリネシア人の先祖は現在のフィリピン付近から東へ拡大し、約5,000年をかけて、フィジー、サモア、トンガ、ニュージーランド、マルサケス諸島、ハワイ、イースター島へと進出していきました。
ポリネシア人の東の拡大はさらに続き、南米に渡っていたことはほぼ間違いありません。南米原産のサツマイモは、ヨーロッパ人と接触する何世紀も前から、マンガイア島やハワイで栽培されていました。2007年、チリで1321年から1407年までの鶏の骨が発見されました。また、イースター島の人々を分析した結果、1300年から1500年の間の南米のDNAが彼らの遺伝子プールに現れたことが分かっています。
南米の人がポリネシアに進出したという説もありますが、5,000年の航海術を有したポリネシアの人々が南米に進出した可能性が高いと考えられています。
古代日本人
古代日本人がアメリカ大陸に到達した証拠がいくつか見つかっています。
エクアドルのバルディビアで、南日本で作られた縄文土器に似た土器がいくつも見つかっています。約6,300年前に現在の鹿児島県の喜界島の火山が爆発し、西日本が壊滅的な被害を受けた後、船に乗って東を目指した人々が一部アメリカ大陸、現在のエクアドルにたどり着いた。これらの土器は彼らが持ってきたものではないかと考えられています。
他にも、日本でしか発生しなかったウイルスや、陶器を活用した矢じりの利用など、古代日本の影響が中米、カリフォルニア、エクアドル、ボリビアにも及んでいたことが指摘されています。
しかし恒常的な交流があったというわけではなく、日本の漁師や海洋民が難破の末にアメリカにたどり着いたといったケースが多かったようです。
ムーア商人・ホシュカシュ
アラブの歴史家アブ・アルハサン・アリ・アル=マスウディ(896~956年)は、歴史書『黄金の草原』の中で、ホシュカシュというムーア人が大西洋に出航したことを記述しています。
長い間、彼らがどうなったのか誰も知らなかったが、やがて彼らは豊かな戦利品を持って戻ってきた
この本には、ホシュカシュがどこで戦利品を手に入れたかは書かれていないが、イスラム学者はコロンブスよりも600年以上も前にカリブ海の島々を旅していたと指摘しています。1960年代、ベネズエラの海岸に打ち上げられたコンテナの中から、多数のローマ・コインと2枚の8世紀のアラビア・コインが発見されました。これらがアラブ人が南米まで到達していた証であると主張する人がいます。しかしまだ根拠が薄く、本当のところ定かではありません。
クロンファートのブレンダン
聖ブレンダンは5世紀頃のアイルランドの聖職者。
瞑想の土地を目指して60名の修道士とともに船に乗って航海の旅に出かけます。その物語は「聖ブレンダンの航海」として中世に半ば伝説化しました。
聖ブレンダン一行は、「火の玉を吐く巨人」や「人間の言葉を話す鳥」などに出くわしたり様々な苦難を経てとうとう「霧がかかった島で、果物が溢れ、宝石に満ちあふれた」島にたどり着いたそうです。
一部では、ブレンダンがたどり着いた土地はアメリカ大陸であり、コロンブスよりもはるか以前に西洋人はアメリカに到達していた、と主張されています。
アイスランドのレイフ・エリクソン
アイスランドは9世紀後半から10世紀前半にノルウェーの移民によって成立しました。アイスランドへの人々の定着が終わった後に、再び人々は西方への移民活動を開始します。
10世紀後半、赤毛のエイリークという男がグリーンランドに植民地を築き、彼の息子のレイフ・エリクソン(幸運のレイフ)がさらに西方に進出しました。
レイフはノルウェーからグリーンランドへの航海中に偶然西方の道の土地にたどり着きました。当時の記録によればこの未知の土地は3つに分かれており、北から「ヘッルランド(平石の国。バフィン島か?)」、「マルクランド(森の国。ニューファンドランドか?)」、「ヴィーンランド(葡萄の島。ニューヨーク周辺か?)」。
ヴィーンランドはもっとも居住に適していると考えられたため、ソルフィンヌル・ソルザルスソンと妻、彼らに従う数十名がグリーンランドから北アメリカに入植しました。入植してすぐ、サガの中ではスクレイリング人と記載されているアメリカ先住民と遭遇し、当初はうまくやっていたもののやがて衝突が起き、アイスランド人たちは入植を断念し故郷に引き上げていきました。
この一連の話は長い間空想とされてきましたが、1960年代にニューファンドランドでヴァイキング時代の遺跡が発掘され、アイスランドのサガが事実であったことを裏付けたのでした。
バスク人漁師団
コロンブス以降、様々なヨーロッパ人が船で南北アメリカ大陸を冒険していました。1535年、フランス人のジャック・カルティエによってセント・ローレンス川を発見した時、彼は約1,000隻のバスクの漁船がタラを獲っていた、と報告しています。
もしかしたら、コロンブスのアメリカ大陸到達のニュースを聞いて、すぐさま鯨や魚を追って北アメリカまで行った可能性もありますが、バスク人は比較的閉鎖的な民族であったため、彼ら独自でアメリカ大陸に行くルートを独自で開発していた可能性もあります。しかしまだ証拠がありません。
まとめ
固定概念で、昔の人たちは生まれ育った土地でずっと生きて死んでいったような印象があります。しかし現在の考古学の成果により、我々が想像する以上に、人々の往来は盛んだったことが分かっています。例えば、ロンドン近郊から1世紀ごろの中国人の骨が発掘されたりしています。
そういう点を考慮すると、アメリカ大陸に日本人がいても、中国人やアフリカ人、インド人がいても決して不思議ではないはずです。
ですが、少数の人々の交流や一部の文化の流入にすぎず、コロンブス以降のように組織的かつ不断に人や物資の交流が行われるのは、国家の成熟や市場の発展、技術の発達、新しい土地に対する人々の意欲の拡大、などがあって初めて成立したのでしょう。
参考サイト
"Borne on a Black Current" Smithsonian Magazine
"10 Peoples That Might Have Discovered America Before Columbus – 2020" LISTVERSE
『アイスランド小史』 グンナーカールソン 著 岡沢 憲芙,小森 宏美 訳 早稲田大学出版部
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