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ノストラダム以外にもたくさんあった「世界の終わりの予言」

ぼくは子どもの頃、本気で1999年に世界が終わって自分も死ぬと思っていました。当時よくテレビでノストラダムスの特集をやってたからかもしれませんが、漠然とした恐怖感があったのを覚えています。

このような「◯◯年地球滅亡説」は実は太古の昔からあり、史上多くの子どもや大人をビビらせてきたのでした。
ということで、今回はこれまで唱えられてきた「世界の終わりの予言」をピックアップします。


1. 紀元前634年

伝説によるとローマの建国は紀元前753年ですが、ローマの人々は建国120年で国が滅びると信じていたらしいです。
当時のローマは王政で、第三代国王トゥッルス・ホスティリウスの治世でした。この王は隣国のアルバ・ロンガ族を服属させたり拡張時期にあたり、特に大きな混乱なく時は過ぎたようです。

2. 1000年1月1日

ヨハネの黙示録には、キリストが地上に再臨してから1000年の間、キリストが地上を統治する「千年王国」の記述があり、0年から999年まではキリストが統治していたのであるから、1000年1月1日に世界は滅びると、時の教皇シルウェステル2世や多くの聖職者たちは唱えていました。
当時のヨーロッパでは人々は絶望し、もう世界は終わるのだからと乱暴狼藉を働く者や、せめて徳をつもうとエルサレムの巡礼に赴く者など対応は様々だったようです。

3. 1284年

 教皇インノケンティウス3世は、歴代の教皇の中でも特にイスラム教徒を憎み十字軍に熱心だった1人でした。
しかし当時のヨーロッパの国王や諸侯は十字軍派遣に消極的で、この時代に結成された第4回十字軍は同じキリスト教徒のビザンティン帝国を攻め滅ぼすなど迷走していました。
十字軍の関心が薄れる中でインノケンティウス3世が言い出したのが、「1284年はイスラム教が成立して666年目にあたる。このまま放っておけば世界は滅びる!」というもの。どこまでの人が信じたか分かりませんが、この年には特に大きな事件は起きてません。

4. 1524年2月1日

ドイツの占星術師ヨハネス・ストッフラーは、「1524年2月の1日は、魚座の星座が空に上るため、世界は大洪水で滅びるだろう」と予言しました。
これを信じた多くの人は、ノアのごとく方舟を作って高いとろこに避難しましたが、当時はパラパラと雨が降っただけで終わったそうです。

5. 1656年 or 1658年

1492年にアメリカ大陸に到達したことで有名なコロンブスですが、彼は大変信心深い男で、彼が考えるキリストの二度目の復活の前に人類がなすべき一覧事項を「預言書」という名前の書物にまとめています。
それによると「エデンの園は必ず見つけ出さねばならない」とか「皇帝は統一されねばならない」など書かれており、記述の中には1656年か1658年が世界の終わりであると記されているそうです。その根拠は不明です。

6. 1666年

1666年は、ヨハネの黙示録で獣の数字と記述される数字「666」の年。
黙示録で記される獣が海から地上に上がってきて正義が倒され悪が支配するこの世の終わりを人々は恐れました。前年度は黒死病でロンドン市民の1/5が死亡したし、9月には大火事が起き3日3晩町を焼き何万もの家を焼き尽くしました。 
当時の人にとって見れば、まさに世界の終わりを感じさせる年でした。

7. 1806年

1806年、イギリス・リーズに住むメアリー・ベイトマンが飼う雌鶏が「キリストがやって来る」と読み取れる模様の卵を生みました。
たちまちリーズの町はパニックになりました。卵はイースターの祭りで扱うようにキリスト教徒にとっては「復活」のシンボルであり、卵にキリスト復活の文言が記載されるとうのは受け入れやすかったわけです。
キリストが復活するとなると、最後の審判が近いというわけで、人々がパニックになった理由も分かりますね。
結局1806年は何も起こらなかったわけですが、メアリー・ベイトマンはその後知人に毒のプリンを食わせた容疑で絞首刑になりました。

8. 1813年

 イングランドの農民の娘ジョアンナ・サウスコットは、ある時から未来の予言を聞く能力を有すようになったそうです。
その予言能力によってジョアンナは飢饉や不作の年を言い当て、またアイルランド大飢饉の発生を予言したことで一躍注目され、預言書を出版し瞬く間に約10万人の信者を得てしまいました。
1813年、64歳になった彼女は「処女懐胎」を告白。
生まれる子はメシアであると発言したことで、彼女の信者はイエスの復活と最後の審判を覚悟したのでした。
しかし、翌年ジョアンナは子を産むことなく死亡しました。

9. 1843年4月23日

1800年代の中頃、アメリカ・ニューイングランドの農民ウィリアム・ミラーは、聖書を事細かに研究し、神の意向を「完璧に理解した」そうです。
そうして布教を始め、キリストの再来を待望するセクトを形成しました。彼によると、キリストの復活と最後の審判は1843年4月3日に訪れるらしく、その教えを信じ多くの信者が家を売却したり、資産を譲り渡したりしましたが、結局何も起こりませんでした。
しかしミラーの教えを受けた信者は後にセブンズデー・アドベンチスト教会(安息日再臨派)を開いて現在でも活動しています。

10. 1910年

古代から彗星は「凶事」とみなされてきました。
彗星が現れると、大災害や皇帝・国王の死去、大戦争の兆しなど、様々な不吉な事柄が近い将来起こると考えられました。
1900年代前半に、そんな彗星の尾にシアン化物という有毒物質が含まれていることが分かり、そのすぐ後の1910年にハレー彗星が地球に接近するというニュースが流れました。
人々はパニックになり、「ハレー彗星の有毒物質が地球に降り注ぎ、人類は皆滅亡してしまう!」と大騒ぎになりました。 

11. 1994年3月23日

アメリカ人のバハイ教徒ニール・チェースは、1994年3月23日にニューヨークが核爆弾による攻撃を受け完全に破壊されると予言。さらにその40日後にハルマゲドンがやって来る、と予言しました。

12. 1999年

「1999年7の月、空から恐怖の大王が来るだろう。アンゴルモワの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために」
めちゃくちゃ有名な、ノストラダムスの大予言の一説です。
この原文の解釈は複数あるようなのですが、そのまま捉えると「1999年の7月に大戦争始まるよー」です。アンゴルモワはよく分かんないけど、マルスは戦いの神です。空から戦いがやって来るって言ったら、そりゃミサイルか核爆弾でしょう。
実際、1999年7月に起こった世界的事件と言えば、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の発売くらいでしょうかね。

13. 2011年5月21日 & 2011年10月21日

ハロルド・キャンピングはアメリカのカリフォルニアの伝道者で、ラジオ・パーソナリティ。
彼は2011年に2回、世界の崩壊を予言しており、それが5月21日と10月21日でした。彼曰く、その日はノアの大洪水の7000年目に当たるというのですが、実は彼が世界の崩壊を予言したのはこれが12回目でした。
それでもキャンピングの信奉者は、資産を譲渡したり家を売却したりなどして世界の崩壊に備え、地元のパブは「世界終了記念」のパーティーを催したりしましたが、結局世界は終わらなかったばかりか、キャンピング自身が2013年に亡くなってしまいました。

14. 2012年12月

マヤの天文学は非常に発達していたことで有名ですが、彼らのカレンダーは2012年12月で終了していたため、この日が世界の終わりではないか、と終末論者やオカルト信者たちが騒ぎ始め、「安全な場所」に大挙して避難するなど世界的な騒ぎになりました。結局何も起こらなかったのですが、実はグレゴリオ暦とマヤ暦の計算ミスで、実は世界の終わりは2016年6月3日だった、という説が出されました。
結局、この日も特に何も起きませんでした。

15. 2013年8月31日

ロシア・ロマノフ王朝末期に宮廷に取り入り隠然とした権力を持った怪僧ラスプーチンは、死ぬ前に世界の終わりに関する予言を残しています。
「2013年8月31日に、恐ろしい嵐と業火がありとあらゆる大地を覆い、生命は死滅し、墓のような静寂な世界となるであろう」
「そうして生き残った僅かな生存者の前にキリストが現れ、数日後にまた天に戻る」
この日は中国・雲南省でマグニチュード5.9の地震が起き、数人の死亡者が出ましたが、世界は崩壊しませんでした。

まとめ

 世界の終わりの日の予言を信じるのは馬鹿馬鹿しいと思いますが、実際のところ、本当の世界の終わりの日(=人類の終わりの日)はどういう形で訪れるのか、と考えざるを得ません。
多分ですけど、ある日突然みんなが一斉に死ぬんではないと思います。

徐々に気候や環境が変わっていって、社会機構が崩壊して文明が後退し、死亡率が出生率を上回っていき、食うものにも事欠き、子を産む意味がなくなり、数百年かけてだんだん人類は死滅していく。
そっちのほうが現実味がないでしょうか。

世界の終わりがいつかは分かりませんが、とりあえず自分がその最後の1人でなくてよかったなあと無責任なことを思ったりします。

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