見出し画像

公式に「存在しなかった」ことにされた人たち

歴史は「正史」 を元に作られます。

正史は時の権力者が自分たちを正当化するために書くので、いろいろ事実をねじ曲げて書いたり、曲解したり、都合の悪いことは削除したりしているものです。

その中で、正史からは名前が消されてしまった人たちも多くいたはずですが、「歴史から名前を消されたことでかえって有名になった人」もいたりします。


 1. ニコライ・エジョフ (1895 - 1940)

1937年に当中央委員会政治局員となったエジェフは、スターリンに対する絶対的な忠誠を示すべく、少しでも反スターリンの疑いがある者をことごとく粛清しました。

例えば、重工業人民委員部次官ゲオルギー・ピュタコフを公開裁判にかけ、かつてトロツキーを支持していたことを理由に銃殺。ハルビンからの帰国者を「日本のスパイ」と弾劾して3万人近くを銃殺。これ以外にも、自身の息のかかっていないものをほぼ全て解任するか銃殺しました。

ところがあまり派手にやって目立ちすぎたことがスターリンに反感を持たれ、1939年にソ連共産党中央委員会の役職を全て解任された上で逮捕。翌年に銃殺されます。

エジェフはすべてスターリンの望むままやったまでなんですが、スターリンはエジェフ銃殺の理由を「エジェフはドイツのスパイで、ソ連の無実の人間を大量に虐殺した」と述べたそうです。
エジェフ粛清後は彼の家族も全て殺害され、公式記録がエジェフの名前は全て消されるか塗りつぶされ、またエジェフが映った写真もすべて加工されて存在が全て消されてしまいました。

 エジェフ失脚前

失脚後

2. ハトシェプスト女王 (BC1479 - BC1458)

ハトシェプスト女王の夫であるトトメス2世は22歳の若さで死亡。
 次の王はトトメス3世が指定されていましたが、まだ幼かったため「繫ぎ」としてハトシェプストが王位に就きます。
 ハトシェプストは平和外交を敷いて穏健な時代を築きます。時勢にも恵まれて大きな災難や戦争もなく、約9年間の間執権し死亡。

その後トトメス3世が王位に就きますが、なぜかハトシェプストの業績や事績の記録は抹消されてしまいました。

保守的な宗教勢力など、女性が王位に就くことを快く思わない勢力がその後力を付けたせいではないかと考えられています。

3. アメンホテプ4世 (BC1353 - BC1336)

エジプト第18王朝の国王アメンホテプ4世(アクエンアトン)は、妻ネフェルティティとともに宗教改革を通じた国家の刷新を計画しました。
これまではマイナーな神であった太陽神アテンのみを唯一神とする宗教改革を断行し、王と同様の権力を保有していた宗教勢力をたたき落とします

自身の名前も「アクナトン(アテン神のお気に召す)」に変え、テーベの北330キロに新首都アケタトンを建造。強力に国家改造を押し進めます。
しかし病にかかって道半ばにして死亡。
アメンホテプ4世の改革は旧勢力によってたたき壊され全て元に戻された上で、業績はすべて抹消されてしまいました。

4. エリザベス・オファレル (1884 - 1957)

アイルランド共和主義者たちがイギリスからの独立を目指して武装蜂起した「イースター蜂起(1916年)」において、看護婦ながら独立闘争に参加。イギリス当局によって蜂起軍が次々と敗れ去る中、最期まで逃げずに指導者のパトリック・ピアースらと行動を共にします。
しかし1週間後とうとう蜂起軍は敗北。オファレルとピアースは共に白旗を持ってイギリスに降伏の意志を伝えます。
以下が歴史的な降伏の瞬間の写真です。本当はピアースの手前にオファレルが立っていたのですが、なぜか消されてしまっています。

よくよく足下を見ると、靴、くるぶし、脛のあたりまでが完全に消えずに残っていることが分かります。

なぜオファレルが消されたか詳しい理由は分かっていません。
蜂起後、ピアースは銃殺刑になっていますがオファレルは助かっていることから、女性だから不名誉な銃殺刑をさせないようにした。

あるいは歴史的な独立闘争の決定的瞬間に女性が目立っているのが不都合だった、ということなのかもしれません。

5. ゲタ (189 - 211)

ゲタの父親はローマ帝国セウェルス朝の初代皇帝セプティミウス・セウェルス。
パルティアやアフリカ、ブリタニアなど積極的な外征を重ねて、ローマの領土を拡張させた人物です。セウェルスの死後、共同皇帝となったのが兄のカラカラと弟のゲタ。

この兄弟は大変仲が悪く、政治方針、法律解釈、外交政策などほとんど全ての意思決定が対立したそうです。兄弟喧嘩はエスカレートし、最期は母の目の前でカラカラと結んだ百人隊長がゲタを暗殺。その後カラカラは全ての公的記録からゲタの名前を抹消させました。

以下は父セウェルスと母ユリアと共にいる兄弟の絵なのですが、左下モロに顔が削れています。露骨ですね…

6.マクシミヌス・ダイア (270 - 313)

元々はダキア(現在のルーマニア)の農民の生まれですが、 軍に入隊してのし上がり、母方の叔父ガレリウス帝の引き立てで副帝に就任します。
ガレリウス帝が死亡した後、マクシミヌスはリキニウスとローマ帝国の東半分を共同正統治することになります。 

しかし、リキニウスはコンスタンティヌスと連携を始めたため、対抗してマクシミヌスはイタリア半島を支配する皇帝マクセンティウスと連携しローマ東半分の唯一の皇帝の座を狙おうとします。しかし最期はツィラッルムの戦いに敗れて後に自殺。
そのような経緯もあり、しかもマクシミヌスは強固な反キリスト政策を取っていたため、後に彼の功績や記録、コイン、肖像などはことごとく抹消されました。 

7. ジャック・パーソンズ (1914 - 1952)

ジャック・パーソンズはカリフォルニア工科大学の創設者の一人で、天才的なロケット工学者。
彼が合衆国に与えた功績は大きく、パーソンズの研究成果は第二次世界大戦のアメリカ軍の武器開発に大いに活かされ、そのナレッジを基礎にして後にNASAが設立されました。

一方でパーソンズは自身を「反キリスト」であると公言しており、それが原因で学会から追放され、文献やリファレンスからも全て名前が消されました

まとめ

消される前と後の写真比較なんか見ると、ゾッとしますね…
体制維持のためとはいえ、1人の人間の存在を社会的に抹殺することがいかに恐ろしいことかを感じさせます。
今回挙げた人物も、ほんっとに氷山の一角で、我々がまだ知らない「歴史から完膚なきまで完全に消された人物」も大勢いるのでしょう。

そして、それを指示したのは僕たちが大好きな、あの人物なのかもしれません。

有料マガジン公開しました!

はてなブログで公開していたブログの傑作選をnoteでマガジンにしました。
1記事あたり10円でお安くなっています。ぜひお求めくださいませ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?