斎藤環(精神科医)

筑波大学 医学医療系 社会精神保健学 教授 医学博士 精神科指定医 精神科専門医

斎藤環(精神科医)

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最近の記事

『EUREKA』、「別のバス」はもう来ない

 すべてではない    ユリイカ、この映画にはすべてがあると、まだ言うわけにはいかない。この映画はけっして完璧ではない。なぜならこの種の映画が完璧であるために不可欠な、いくつかの美質が欠けているように思われるからだ。例えばここには「退屈さ」がない、ここには愚鈍さがない、ここにはノベライズという蛇足がある…。しかし、それでも、ここにはすべてがあると言わなければならない。もしあなたが、ここにおいていまだ露わにならざるもの達の影を、声を、リズムを感じられるならば。  そう、すべて

    • 石原慎太郎との対談(週刊朝日別冊「小説トリッパー2001年秋季号)

      (はじめに)  石原慎太郎さんが亡くなられた。意外に思われる人もいるだろうが、私はたまたま石原さんの知遇を得ていて、ひところは折に触れて対談や会食の機会があった。確か2020年の春にも電話が来て「コロナ空けたら食事でもしましょう」と約束していたのだった。再会がかなわなかったことは残念でならない。ご冥福をお祈りします。  石原さんとはじめて出会ったのがこの対談だった。ほとんど政治の話はしていない。政治以外の石原さんの自分語りをかなり引き出したという点では結構珍しい対談だった

      • 偏見を助長する描写とは何か

         以下は、拙著『コロナ・アンビバレンスの憂欝』の「あとがき」からの抜粋である。  私が作品における精神障害の描写が偏見をあおっていると判断する場合の基準は、次の通りである。 ・そのキャラクターがほぼ匿名の存在として描かれ、きわだった属性として精神障害者であることのみが強調されている。 ・たとえ「診断名」への言及がなくとも、精神障害者であるという認識を誘導する形でステレオタイプな描写がなされている。 ・精神障害者への偏見を強化するようなステレオタイプとは、以下のようなも

        • 「意思疎通できない殺人鬼」はどこにいるのか?

           7月19日に公開された藤本タツキの漫画「ルックバック」は傑作だった。CSM以来の藤本ファンとしては、この作家の底知れない引き出しの多さに驚愕したし、予告されているCSM第二部への期待感がいやがうえにも高まった。とはいえ、私は自分がこの作品のほんとうの素晴らしさを理解できているとは思わない。本作は「漫画家についての漫画」であると同時に、これまでになく藤本の個人史を投影したとおぼしい作品だ。それゆえ、実際に漫画制作に関わった経験のある人ほど、その素晴らしさを深く理解できるであろ

        『EUREKA』、「別のバス」はもう来ない

          亡き王女(猫)のための当事者研究

           幸運にも、この二〇年ほど、近親者の死に立ち会ったことがない。二〇年ほど前に祖父母をほぼ同時に亡くしたが、入院期間も長かったこともあり、悲しくはあったが、すでに諦めの方が先立っていた。  フィクションで泣いた経験は山ほどあるが、現実で泣いた経験はここしばらくなかった。私は並外れて冷淡な人間なのか、誰かの死で泣くということも滅多にない。みんな泣いているのになんで自分は泣けないんだろうと不思議に思うことも良くあったが、まあかつては患者からも斎藤ロボとかいう渾名をちょうだいしたこ

          亡き王女(猫)のための当事者研究

          エヴァンゲリオン -空虚からの同一化-

           まずはっきりさせておこう、「自分探し」など徒労に過ぎない、ということを。     精神分析、とりわけフロイト/ラカンの教えによれば、人は「語る存在」であるがゆえに、癒やされない欠如を抱えている。人は自らを語りつくす言葉をけっして手にすることはない。人は他者の言葉のネットワークの中に「存在させられる」、それだけだ。そしてここから、精神分析がはじまる。  「新世紀エヴァンゲリオン」(以下「エヴァ」)というアニメーション作品がすぐれているのは、まずこの点だ。主人公・碇シンジの「

          エヴァンゲリオン -空虚からの同一化-

          「鬼滅の刃」の謎 あるいは超越論的炭治郎

          ※ 本論は12月9日に開催されたゲンロンカフェのトークイベント「伊藤剛×斎藤環×さやわか 『鬼滅の刃』と少年マンガの新情勢」で述べたいくつかの論点の備忘録として書かれた。ネタバレについては一切配慮をしていないので、原作未読・アニメ未見の方には注意を促しておく。 「鬼滅の刃」のわかりやすさ  「鬼滅の刃」(以下「鬼滅」)が空前のブームを巻き起こしている。アニメ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は公開三日目にして興行収入48億円という空前の記録を樹立し、12月12日までの興行収

          「鬼滅の刃」の謎 あるいは超越論的炭治郎

          ミサンドリーとリプロライツ

          私の「炎上」を機に、Twitter上でリプロライツの議論が活性化しています。私自身の主張はかなり単純なのですが、ツイートで毎回同じことを書くのは骨が折れるので、ここにまとめてみました。ご一読くだされば幸いです。 まず大前提ですが、ジェンダーギャップが大きい現実、男性優位の社会や制度、家父長制的な慣習が遺残している現実、女性表象の「もの」的消費の現実が問題であるのは当然です。こうした状況に対する対抗運動としてフェミニズムはきわめて重要な意味を持つと考えています。ただし、私は「

          ミサンドリーとリプロライツ

          「平沢進」論

          「境界性のミーム、あるいは輪郭と旋律はいかに抵抗したか」 (『ユリイカ2020年8月号 特集=今 敏の世界』)より抜粋  出棺は平沢進で  今敏は、自身に決定的な影響を与えた表現者として、繰り返し「平沢進」の名を挙げている。彼は言わずと知れた古参の平沢ファンで、『千年女優』『妄想代理人』『パプリカ』ではサウンドトラックも担当してもらうほどだった。そればかりではない。膵癌によるあまりに早すぎる死(享年四六歳)に際しては、おそらく今の生前の意思により、告別式ではずっと平沢の

          ひきこもり報道に希望すること

           以下は、「薬物報道ガイドライン」を参考に、ひきこもり報道に「こうあってほしい」と望むことをまとめたテキストです。 【望ましいこと】 ・ひきこもりの当事者や家族、支援者などが、報道から強い影響を受けることを意識する ・ひきこもりは個人の要因のみならず、家族や社会などの複数の要因が複雑に絡み合って起こる「現象」であるという視点 ・ひきこもりの「異常さ」よりも「まともさ」に焦点をあてていく姿勢 ・社会的に排除され、孤立している当事者の苦しみや困難に寄り添う姿勢 ・支援としては

          ひきこもり報道に希望すること

          人は人と出会うべきなのか

          「というのも、各々は直接的に他者のうちに自分を知るからであり…しかもそれによって、各々が、他者もまた同じように彼の他者の内に自分を知るのだ」(ヘーゲル『イェーナ体系構想』法政大学出版局)  「臨場性」はなぜ必要か  コロナ禍の中で、心から消滅して欲しいと思ったのは「ハンコ」である。  大学が入構自粛になっているのに、ハンコを押すためだけに出勤することの徒労感。そういえばうちの大学では、会議からはほぼ完全に紙資料が駆逐されて、タブレットで会議資料を閲覧することになりはした

          人は人と出会うべきなのか

          “感染”した時間

          花々を見て、煙のまとわりつく木々を見て、のぼっては下るカラスの群れを見て立ちつくすわたしに、ピーターが何か言った。「野菜に囲まれて物思いかい」だったかしら。「おれはカリフラワーより人間がいいぞ」だったかしら。ある朝、朝食どき、テラスでのことだった。ピーター・ウォルシュ……もうすぐインドから戻る。六月?七月?どちらだか忘れた。だって、あの人の手紙は恐ろしく退屈なんですもの。覚えているのは語られた言葉、あの眼差し、ポケットナイフ、笑い顔、不機嫌。何百万の物事が何もかも消え失せて、

          “感染”した時間

          失われた「環状島」

          奇妙な健忘  歴史上もっとも奇妙な健忘状態、その一つとして「スペイン風邪」を挙げたとしても異論は少ないだろう。鳥インフルエンザに起因するこのA型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)は、全世界でパンデミックを引き起こし、最も多い推定で1億人が死んだとされている。掛け値なしに人類史上、最も大量の死をもたらした災厄である。いかなる飢饉も天災も戦争も独裁政権も、スペイン風邪には及ばない。にもかかわらず、その経験は忘れられた。ここへ来てスペイン風邪関連の書籍が売れ行きを伸ばし、人々

          失われた「環状島」

          コロナ・ピューリタニズムの懸念

           疫病は倫理観を書き換える。14世紀にヨーロッパの人口の約30%(地域によっては80%)を死亡せしめたペスト(黒死病)は人々の死生観に影響を及ぼし、「メメント・モリ(死を思え)」なる標語を生んだ。一方、18世紀におけるイギリスでのペストの流行は、故郷に疎開して思索に集中できたアイザック・ニュートンに万有引力の着想をはじめとする「三大業績」をもたらした。15世紀から16世紀初頭にかけて急速にヨーロッパに広まった梅毒は、イギリス人の意識と社会的身ぶりとを変え、ピューリタニズムをも

          コロナ・ピューリタニズムの懸念

          健やかにひきこもるために

          中国のあるSNSからの依頼で、新型コロナウィルスが蔓延してひきこもりがちな生活を送らざるを得ない場合の注意事項についてコメントしました。せっかく書いたのでこちらでも公開します。 いまひきこもっているのが一番安全という状況なので、ひきこもりがちな生活に慣れる必要があります。ひきこもり専門家の立場から、できるだけ健全にひきこもる生活スタイルを考えてみました。 ※ 「ストレス対処法」や「睡眠」の項目は、中井久夫「ストレスをこなすこと」(『精神科医がものを書くとき』ちくま学芸文庫

          健やかにひきこもるために