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石原慎太郎との対談(週刊朝日別冊「小説トリッパー2001年秋季号)

(はじめに)

 石原慎太郎さんが亡くなられた。意外に思われる人もいるだろうが、私はたまたま石原さんの知遇を得ていて、ひところは折に触れて対談や会食の機会があった。確か2020年の春にも電話が来て「コロナ空けたら食事でもしましょう」と約束していたのだった。再会がかなわなかったことは残念でならない。ご冥福をお祈りします。

 石原さんとはじめて出会ったのがこの対談だった。ほとんど政治の話はしていない。政治以外の石原さんの自分語りをかなり引き出したという点では結構珍しい対談だったのではなか。石原さんの稚気、衒いのなさ、ユーモアが前面に出ていて、今でも面白く読めると思う。追悼の気持ちを込めて再公開する(テキストの公開については編集部の許諾は得てあります)。なにしろ20年近く前の対談なので、不適切な内容の箇所もあるだろうが、あまり修正はしなかった。なお、人名などは一部伏せ字にしてあります。


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石原慎太郎を精神分析する


石原——どういう専門ですか。
斎藤——最近話題になっている「ひきこもり」という現象がありまして、それを専門にやっています。いまそういう若者が非常に増えていて、ある調査によると百万人以上いるとも言われています。
 石原さんは高校生の時、不登校されてたんですよね。
石原——そう。僕はひきこもらなかったほうだけど、もう学校は嫌だったね。教師が嘘ばかり言っているのがわかったし、あの頃から学校は偽善的だった。感性なんて全く認めない環境でしたから。
斎藤——ちょっと意外だったのは、そのころから偏差値至上主義的な風潮があったんでしょうか。石原さんも東大に行くように教師から勧められたりしたそうですね。
石原——偏差値のメカニズムについては詳しくわからないけれども、いずれにしても、俗物主義的で、画一的な人間を好んでいたね。この頃の新人も画一的だな(笑)。斎藤さんはどういう意味で現代文学にご興味があるんですか。
斎藤——精神医学のなかに「病跡学」という分野がありまして、これは例えば「三島由紀夫は分裂気質だった」とか「夏目漱石は神経症だった」とか、天才のテキストやバイオグラフィーを病理的に解釈していくという学問なんです。
石原——ああ。僕はどのカテゴリーですか。
斎藤——それを今日ぜひ伺いたいと(笑)。
石原——もう決めているんじゃないの。
斎藤——実はちょっと決まっているんですが。
石原——教えてよ、先に。
斎藤——田中真紀子さんの発言で「軍人・凡人・変人」という分類がありましたでしょう。
石原——あれは完全に「神経症」だな(笑)。
斎藤——なるほど。「ヒステリー」とはおっしゃらないんですね(笑)。ドイツの精神科医クレッチマーによると、脳に病の原因がある場合は別なんですが、要するに人間の気質というのは「分裂気質・てんかん気質・循環気質」の三つに分類されるんですね。つまり、分裂気質は分裂病で、てんかん気質はてんかん、循環というのは躁うつ病に対応するんですが、これは田中さんの「軍人・凡人・変人」と見事に対応しているんですよ。変人が分裂気質、軍人がてんかん気質、凡人が循環気質になる。石原さんについては軍人、イコール、てんかん気質というカテゴライズですが、これは中心気質とも言います。失礼ながら表現する人には稀な気質を持っていらっしゃるのではないかと。
石原——てんかんには興味がありましてね。片桐操という少年が拳銃を奪って警官を殺してしまった事件がありまして、僕はその事件を題材にして『嫌悪の狙撃者』という小説を書いたんです。
 あの犯人にはてんかんの蓋然性があったんですよ。それまで発病したことはなかったけれども、ある注射を打つと、必ずてんかん症状が起こる。彼は二回ぐらいその実験をされているんですが、立ちくらみするといった蓋然性の高い結果が出ていたんです。僕はそのことを最高裁の判決が出る前に問題にしたんですよ。これは検察側、裁判側にとっても非常に厄介な問題で、それが事件の引き金になったのかならなかったのか証明のしようがないことですから、新しい凡例を持ち出されると裁判も困窮してしまう。「ああいう問題の提出をすると、かえって片桐に味方したようで味方しなかったんですよ」とある法務記者から注意されましたが、結局、あっという間に死刑の結審が行われた。その後、僕の小説が発表された途端、急ぐようにして刑の執行がされてしまったんです。
 僕はそのときに、てんかんという病は気の毒だなあと思いましたね。余人にはわからない衝動が潜在的にあって、それが当人には意識されないかたちでリアライズされてしまう。事件の前に一度でも、てんかんの症状を起こしていたら、彼は情状酌量されたと思いますね。
斎藤——うーん、「衝動」ではなくて……「症状」と言った方が正確ですね。最近の事件でも、完全責任能力から不完全責任能力までグラデーションがありますので、そのときの病状がどうだったかということによると思いますけれど。てんかんに興味がおありだったというのは、てんかん気質者の持つ一種の他者性みたいなものと関係していると思うんですが、ただ、てんかん気質といっても非常に幅が広い。
石原——それは広くないと困るよ、僕としても。そういうスリーパターンに押し込めることもちょっと乱暴なんじゃないか。
斎藤——ええ、これは一九二〇年代にできた分類で、貧しいものではあるんです。ただ、通常の性格分類よりも普遍性があるため、ここまで生き延びたのだろうと思います。
石原——田中真紀子はどれに当たるんだろう。
斎藤——田中角栄が循環気質の系統ですから、たぶん同じだろうと私は思っていますけれども、大体、政治家になる人間というのは循環タイプが多いですね。とにかく社交的でコミュニカティブな人が多いですから。あくまで比喩的表現ですが、「変人」の小泉さんは分裂気質に当たるわけで、要するにコミュニケーション能力において劣るはずの人が宰相になってしまったという珍しい例です。
石原——彼にはブレーンがいないから、見ていて本当に気の毒なのよ。うちの女房の縁戚だからときどき注意するんだけど、確かに彼は人の言うことをあまり聞かないね。
斎藤——そこなんですね。およそコミュニカティブでない人があれだけの人気を博するという事態は、社会学的にも興味深い現象かも知れません。パブリック・イメージという前提で言うなら、森前首相に至る歴代首相は、ほとんど循環気質の系譜でしたから。そうした流れから急に小泉のような首相が出てきたというのはなんとも意外でした。
 そこで石原さんについてなんですが、言動や書かれたものを拝見するかぎり、従来の政治家イメージと違うものを感じるんですね。さきほどの「てんかん気質」に近い気質に、精神科医の安永浩氏が提唱した「中心気質」というものがあって、ちょうど子どもの天衣無縫にして純真爛漫な心性が大人になっても維持されている人のことです。
石原——僕は江藤淳から「おまえは無意識過剰だ」と指摘されたことがあるけれども、これはとても言い得て妙でね。いまでも、そういうところはあると思う。それはもうちょっとオン・ザ・コントラリーで眺めてもらいたいけれど、無意識過剰の人間というのは、非常にポジティブな過剰さを持っているんですよ。そのへんを今日は分析してもらいたいね(笑)。
斎藤——いや……(笑)。ただ、そのときの江藤さんの視線は、すぐれて病跡学的なものですね。もちろん私などにはわからない、政治的なニュアンスもこめられているのかもしれませんが。江藤さんから見れば、石原さんのように意識から外れたものが核にあって、そこから様々な達成をなしとげる資質というのは、やはり羨ましかったんじゃないでしょうか。著名人で中心気質の人はそれほど多くないんですが、世に出れば、国民から長く愛されるスターになりやすい。例えば私の見たところ、夭折した天才レーサーの浮谷東次郎や、北野武が同じ気質ですね。あと、長嶋茂雄がいます(笑)。
石原——彼はちょっとなあ、本能的すぎてあまり知性を感じられないけど(笑)。ビートたけしはすばらしいね。仲もいいし、あんなインテレクチュアルな人間はいない。実にセンシャルなものを持っていますよ。
斎藤——やはりそうですか。どこか相通ずるものがあると直感してはいたんですが。
石原——ああいう人間は僕のレトリックで言うと、ルネサンス的な人間なんだ。
斎藤——そう思います。表現において非常に総合的な横断性があって、意識による呪縛から逃れているように感じるんですよ。
石原——ああ、意識に呪縛されたことはあまりないな。
斎藤——なるほど、そうですか。われわれの精神分析的な言い方からしますと、すべての人間は神経症なんですね。つまり、内省をする能力を持っていると同時に、内省によって縛られているという構造があるんです。それゆえにお互いに共感したり、語り合ったりできるんですけれども、石原さんはまさに、あくまでも比喩的表現として、江藤さんが「無意識過剰」と言われたように、どうしてもそこからはみ出すものを持っている。こちらとしては端から見ていても、すごくビビッドに感じるわけですよ。
 私は、文芸評論について専門外だからわかりませんけれども、精神科医にしてはいろんなものを読んできたほうだとは思うんですね。そのなかで見ていますと、やはり石原さんの書かれているものというのは異質なんです。いわゆる「私小説」というのは、「こういう感覚は自分にもわかる」とか「こういう葛藤は自分も感じたことがある」みたいな共感の構図があるわけじゃないですか。しかし、それがぜんぜんないんですよ。「共感できないんだけど、感動的」というか。
石原——あなたは面白いね(笑)。福田和也の分析よりずっと面白いよ。
斎藤——ありがとうございます。
石原——それで僕はてんかん気質だと。
斎藤——はい。作家でてんかん気質といえば、ドストエフスキーが代表格ですね。分裂気質ではカフカがいます。フランスだとル・クレジオがそれに当たると言われていますね。非常に病的な印象を与えますが、作品は歴史に残る。いっぽう循環気質というのは意外とオリジナリティがないものですから、歴史に残るほどの人は案外少ない。ただ、この気質ではゲーテが典型と言われるように、総合力のある天才が出てきます。日本で言えば手塚治虫が最も成功した循環気質者ですね。
石原——文学を精神分析の弁法で斬るのも必ずしも絶対じゃないけどね。
斎藤——もちろんです。ただ、こうした見方がそれなりに正当かと思ったのは、まさに石原文学の特異性を考えた場合に、それをうまく形容する言葉をたぶん誰も持ち得ていなかったと思うからなんですね。最近、福田さんが石原論を上梓しましたが、それまでは石原慎太郎について正面から論じられたものはなかったわけでしょう。
石原——しかし、あれはややイージーなもんだな。僕は福田君にそう言ったんだよ。「君ね、自分の書いた部分は三分の一もないじゃないか。すべて僕のコート(quote 引用)じゃないか。ずるいよ」って。彼は「それでも私は考えに考えて書いた」とは言っていたけれども。
斎藤——福田さんが石原さんのものをほめると、やはりそこに政治的なものを見て取る人がたくさんいる。でも、私はそれを全く感じないんですね。私の両親は二人とも日教組ですし、子どもの頃から朝日新聞ばかり読んできた人間ですから(笑)、そうした立場からすると、政治的には反発を感じてもおかしくないわけです。ところが福田さんの意見には、非常に共感できる。
石原——福田君とは、僕はエッセンシャルというか、ファンダメンタルなアイデンティティが共通してあるという感じがあるんですよ。彼は共感という言い方してるけれど、それはそれでありがたいし、そういう人間とは本当の友人になれるしね。ただ、そうではない人間のほうが世の中には多くいますから、ある文学がすべての読者を席巻するわけでは決してない。でなければ文学もまたあり得ないことだから。
斎藤——ただ、福田さんが石原さんを非常に評価するポイントは、私も同意見ですが、やはり単に努力と鍛練だけではどうしても獲得できない、さしあたり「才能」としか言いようがない何かがあるからなんです。
石原——それはそうでしょう。政治家は才能がなくてもなれるけれど、作家というのは感性と才能がなかったらね。
斎藤——そうなんですが、才能にもいろいろな質があるということなんです。その質について病跡学的に何か言えるかもしれないという関心もあるんですが、ただ石原さんの場合、解析が非常に難しい。例えば私は石原さんの『わが人生の時の時』という小説集がものすごく好きなんですけれども、浅薄な見方をすると、あそこにはオカルト的な話がたくさん出てくるわけですね。でも、なぜか怪異譚を読まされたという印象がほとんどない。
 いわゆる純文学系の小説を読んでいても、オカルト的な主題は意外に扱われにくいんですね。ところが、石原さんの作品には堂々と出てくる。車を運転していると、ハイヤーに追い抜かれて注意される。これは亡くなったお父さんだと気づいて、以来、乱暴な運転はしなくなるという「路上の仏」とかですね。
石原——何か修身みたいだな(笑)。
斎藤——飛行場を轟々と上昇していく火の玉の話(「鬼火」)もありましたね。私はオカルトには関心が薄いほうなんですが、どれも本当に驚くような表現ばかりなんですよ。
石原——これはあり得る話だと思うんですよ。もう亡くなってしまったけれども、沖縄に鳥浜トメさんという親しくしていたお婆さんがいて、彼女からそれに近い話を聞いたことがある。終戦のすぐ後らしいんだけど、手伝いの者と隣の村まで行く途中の特攻隊の宿舎のあった高台で、彼女を迎えて一面にガスの栓をひねって火をつけたようにバッと鬼火が燃えたのを見たと言うんだよ。これはわかるね。すばらしい話だと思う。
 それでトメさんが亡くなったとき、当時の首相だった宮沢喜一に彼女を国民栄誉賞にしてくれという話をした。鬼火の話もしたんだけれど、彼は「でも、そういうことをやると、きりがござんせんからねえ」なんて言うから、「あんた、そのうち罰が当たって、のたれ死にするぞ」って言ってやったんだよ(笑)。
斎藤——もう一つ思い出すのは、人魂を網で取って水につけたら、鼻水みたいなものが残って気持ち悪かったという話(「ひとだま」)です。この描写もすごい。このリアリティは間違いなく文学的なものだと思うんですが。ここまで来ると、もう精神分析を放棄せざるを得ない(笑)。
石原——僕はわりとストレートにそういう話を信じるし、リアリティも感じられるんですよ。何年か前に五木寛之と対談したときも、「石原さんは人智を超えたものをぱっと信じてしまう。これは僕にとって困るんですよねえ」と言うから、「いや、これは体質、資質の問題だから、どちらが知的とか正しいという問題ではないでしょう」と答えたんだけどね。五木は「他力」で、僕は「自力」とされているけれども、実は僕のほうが「他力」なんだよ。でなければ父親との邂逅とか人魂なんて信じないよ(笑)。何なんだろうね、この資質というのは。
斎藤——もう脳にあるとしか言いようがないですね。心ではなくて脳にあるとしか言いようがない。
石原——脳も心じゃないですか。
斎藤——いや、そうなんですけど、言ってみれば脳がコンピュータで言えばハードウェアにあたり、心がソフトウェアだと考えた場合に、ソフトではなくハードに備わっているとしか言いようがないと思ったわけです。ハードの部分というのは分析できませんから、そこが「才能」とか「中心気質」といった言い方にしかならない理由だと思うんです。
 そこを新人論につなげて言えば、文学が衰弱したことの要因として、一つには落差というものがなくなったことと関係しているように思えるんです。いまはもう東西対立もなければ、貧富の差もない。とにかく落差が世界の至るところで消滅してしまった。本来ならそこから生まれてくるリビドーとか羨望のエネルギーとかが、小説を書く一つの原動力だと思うんですが。「落差の消滅」は、例えば「辺境がなくなった」と言い換えてもいい。ところが、石原さんの脳のなかには辺境がまだあるような気がするんです。これが一種の「体験力」みたいな資質につながっているんじゃないでしょうか。
 例えばオカルト的と申しましたが、オカルトにも合理の体系があるわけで、オカルト的な資質を持った人は、自分の体験をどうしても合理的に体系化しようとするわけです。しかし、石原さんはそうではない。
石原——僕は合理化しようと思わない。
斎藤——そこですね。そこのとどまり方が非常に稀有だと思うんですよ。
石原——そうですか。そのほうが要するにバリアントとして、生き方の間口が広くていいような気がするんだけどね。
斎藤——そういう距離感のある付き合い方が、いまは難しいと思うんですよ。
石原——生のままでいけば、そういうものが受け入れられると思うんだよ。小林秀雄のお母さんが救世教の熱心な信者でね。僕のおふくろもそうだったんだけれど、おふくろは病気を治してもらって、本当に生き返った。小林さんの母親もそういう経験があって、彼は母親から浄霊をしてもらったと言っていました。何かそういうものに対するアクセプタンスは合理性とかそんなことではないでしょう。もちろん小林さんの母親に対する愛着もあるだろうけど、小林さんは、そういうところで気がおけない人でね。非常に間口の広い人でしたよ。


モノマニーの不在=狂気の軽症化


石原——石原論もありがたいけれど、今日のテーマは新人論でしょう。僕のことで言えば、あなたが指摘したように、あるがままのもので書けばいいんですよ。僕があの年齢で『太陽の季節』を書いたというのも、いまから振り返ってみると若いなりに、まさに人生の滴りなんです。あの年代における僕自身の体験であり、かつ弟が体験してきたことにこちらからコミットしたり、離反したりといった狭間で、僕の抱いている情念が、つまり願望も羨望も憧れも嫉妬も含めて、凝縮していったものなんです。だからいまの新人ももっとナチュラルに書けばいいと思うんだよ。
斎藤——そのナチュラルがわからないんですよ。だからほとんどの場合、「意識してナチュラルに書く」といった逆説にはまりこんでしまう。
石原——作家は結局、無意識から発しないと書けないと思うけどね。
斎藤——いや、それは石原さんだけだと思いますけど。
石原——技巧は別ですよ。
斎藤——もちろん技巧は別でしょう。ただ、例えば石原さんはご自分のスタイルについて意識されることはありますか。いったん書いた文章を「これは俺のスタイルじゃない」という理由から直されることもあるのでしょうか。
石原——それは推敲、添削はしますよ。
斎藤——その場合、「自分らしくない」という理由からの訂正もありますか。
石原——それはないね、全く。
斎藤——ないですよね。そこなんですよ。
石原——だって、ものを書けばすべて自分らしくなってしまうでしょう。
斎藤——いや、おそらく「なってしまう」こと自体が才能なんですよ。
石原——そうか、他の人は自分に対して意識したりするわけか。
斎藤——例えば、中原昌也という三島賞まで受賞した破天荒な新人がいるんですが、ある意味でトラッシュ的な文学なんですけれども、共感できない分だけ他者性の手応えみたいなものがあって面白いんですね。ただ、彼のインタビューなどを読むと、いかに当たり前ではない表現をするかというところで、非常に凝りに凝って書いているわけです。彼にしてみれば、ものを書くということに対して意識的にならざるを得ないんです。
石原——ああ、それは気の毒だね。
斎藤——これは中原昌也に限らず、いまのほとんどの書き手にとって、もうナチュラルというものは無理なんだと思わざるを得ないんですね。こうした状況の背景として、一つには精神分析が大衆化されてしまったということがあると思います。つまり、こう書けばこう分析されるという自意識が、あらかじめ書き手のなかにあって、一行書くにも自己分析をしながら、という作業になってしまう。それが多くの小説をつまらなくしているのかもしれません。
石原——あなた、●●●●の小説は読んだことありますか。
斎藤——はい。
石原——彼女はとても小才のある人だけれど、本質的なものはないんだよ。
斎藤——小才。よくわかります(笑)。彼女こそ、悪い意味で自意識が希薄なんじゃないでしょうか。
石原——何がないのかと言えば、彼女の小説には感情がないんだよ。小説の主題というのは、愛だと思ったら憎しみだったり、優越感だと思っていたら劣等感だったり、そこから醸し出される複雑な感情というものが根本的なモメントとしてあるべきなんだよ。
斎藤——彼女もオカルト的な話をするんですが、最終的には自然との交感といった方向に持っていきますね。
石原——でも、それが変にクールなんだよ。インテリジェントなんだけれども、ぜんぜん面白くない。
斎藤——こちら側に、何も訴えてくるものがないと。
石原——ないね。彼女の書いているものは、人智を超えたもの、何か存在というものに対する畏怖というか、厄介さみたいなものについては何も伝えて来ないね。すべて心理分析になっていて、要するに情念とか情感というものがない。つまり感情というもの、それを彼女が持っているか持っていないかは知らないですよ、しかし、彼女の描く作中人物が持ちえないというのは作家として限界でしょう。彼女は何かひらめくと取材をして、レクチャーを受けたりするらしいけれど、精神分析にしても、心理学にしても、情報としてとてもかしこく学習してしまっている。例えば携帯電話といったものに対するアニミズム的な解釈の仕方も、図式としては整理されているけれども、それだけでしかないんだ。
斎藤——そうですね。情報があって教養はないという。
石原——意識的な書き手が増えたというけれども、意識的であるということは、言い換えれば、要するにマーケティングなんですよ。だから何か情報を提示して、こういうものが受けるだろうとマーケティングした瞬間に、もうそれは時代遅れになってしまうんだよね。これは文壇に変な功利主義が跋扈して、小説家というものが社会的な存在になりすぎてしまったせいですよ。その責任はどうやら僕にあるらしいんだけど、そこまで責任は持てないからね。
 芥川賞、直木賞にしても社会的行事になってしまったでしょう。僕のときの授与式なんてシンプルなものでね。僕を推した選考委員は、肩身が狭くなってしまったからあまり来なかったし、もちろん佐藤春夫とか瀧井孝作とか、反対した人は来なくて、いたのは吉川英治や村上元三といった直木賞の選考委員ばかりで、ざっくばらんな感じだった。僕は子どもの頃から父親にホテルのレストランへ連れて行かれては、そこでのマナーを一種のオブセッションとして教えられていたんだけど、吉川英治という人は口を拭いたナプキンで目を拭いたりしている(笑)、「文士というのはいいなあ」と思いましたね。まあ、その程度のものでしたよ。
 ところが、いまや文壇の登竜門になっていて、受賞することへのインベンストメント(投資)として、マーケティングをするなんてことになっている。いちばんくだらないのは○○○○だね。あんな漢和辞典を引かないと読めないような作品は選ぶほうが愚かですよ。そんなものが新人の価値であるわけがない。ただのペダントリーで、マーケティングの最たるものでしょう。逆に車谷長吉のような、風俗を全く無視して書きながらも、かつ非常にしたたかで、功利に長けている書き手は好きだね。本当に隅に置けないやつだと思うよ(笑)。
斎藤——ああ、お好きだったんですね、車谷さんのことは。
石原——芸術家というのはモノマニーがなかったら自立できませんよ。最近は文芸記者にしても、よく芥川賞選考の前日に電話をかけてくるけど、彼らは自分で採点しただけで、当て込みの仕方がみんな同じパターンになっているから、誰もくだらない作品を推すんだよ。「ばかなことを言うな」と思うね。そんな作品、選考委員ぐらいになれば、誰も歯牙にもかけませんよ。
 とにかくモノマニーがないせいか、総体的に作品が貧弱になってきているね。小説のボリュームについても、直木賞は長篇を対象としているんだから、芥川賞が対象にしないのはおかしいと思うんですよ。三島賞は長篇も扱っているけど、僕が選考委員をしていたときでも、モノマニーのある人に出会うのは稀でしたね。『カブキの日』を書いた彼は才人だし、小説も面白くて、この人はモノマニーがあると思ったけれど、あのあと出てこないんだねえ。
斎藤——それはわれわれの業界でも、似たような現象が指摘されています。モノマニーがないとおっしゃいましたが、全般的に病気が軽症化してきているんですね。つまり、昔は芦原将軍のような、ものすごい狂気をもった人がいたわけですが、三十年くらい前から、あらゆる狂気が軽症化しつつあると言われるようになりました。とりわけ妄想については、昔は壮大な妄想体系を構築する患者がいたわけですが、今はほとんどいない。
石原——つまり、みんな病人だということじゃない。
斎藤——そうなんです。狂気の総量は変わらないんですが、個人に凝縮しなくなったという印象です。
石原——なぜですか、そうなったのは。
斎藤——やはりメディアの影響が大きいと思います。テレビやビデオの普及に、最近ではインターネットが加わって、ありとあらゆる視覚的な情報が共有されるようになってしまった。そんな中で「狂気はこんなものか」というイメージが先取りされてしまうと、ある程度以上深く狂うことができなくなってしまうんですね。いま完全に隔離された環境ってほとんどありませんから、ひとりで深く病む人が減ったかわりに、軽く病む人が大量に出てきて、それが例えば「ひきこもり百万人」という現象としてあらわれてくる。これは見方を変えれば、日本経済にも影響しかねないくらいの規模でしょう。
 これにフリーター百五十万人が加わりますから、いま二十代、三十代の若者の二百万から三百万の人は実質的には無職で、しかも自分自身の欲望すらわからないような状況に置かれているとも言えるわけです。こうした何の圧力もない無重力状態で、去勢を知らないがゆえに去勢されているかのような若者が大量に出てきている。彼らは石原さんの世代と比較した場合に、もう明らかに異質な若者だと思うんですよね。
石原——この頃の若い人は、作家にしても恐くないからね。僕と同じ世代の物書きは恐がられていましたよ。少し上の世代、だから「第三の新人」なんかは、愛されてはいたけれども、要するに陰では軽く見られていた。「こいつはそんなに恐くないな」と思われていた。ところが、僕のあと、開高健、大江健三郎、小田実なんかが出てきたことで、それはやはり恐がられたわけです。あの頃は、高見順が言った「時代と一緒に寝る」という、時代の変化の中で作家としての新しいシンシャリティーがあったんですよね。
 けれども、いまはもう文壇もなくなってしまって、サラリーマンの社会と同じでつまらんね。だからこそ、「こいつ恐いな」と思わせるような新人に出てきてほしいけれど、二十五年も政界にいて、その間に若い人の作品で「なかなかだな」と思って、書き手として意識したのは村上龍ぐらいだったね。
斎藤——村上龍は意識されましたか。
石原——彼は評価しましたよ。非常に視覚的で、センシャルな描写ができるというのは、絵描きでなければできないものがあって、僕はいい作家だと思いましたね。最近ちょっとマーケティング的な書き方をしているけれど。
斎藤——ちょっと迷走気味という感じがしないでもないですが、ただ、村上龍も映画を撮ったり多彩な活動をしますけれども、総合的という印象はないんですね。むしろ自分探しをしているような感じがあって、石原さんのように一枚岩と言いますか、例えば政治と文学に身を置かれても乖離しない、どこでも同じ発想が活かされているという感じはあまりしませんね。
石原——そうかもしれない。f


メディアとしての文学とマンガ

斎藤——石原さんが出てきた当時、やはり小説という表現領域は輝いて見えたんでしょうか。
石原——他に社会的な表現のメソッドというのはあったようであまりなかったからね。つまり、人間というのはいつも連帯を求めているもので、その形態の一つとして文学もあり得た。『金色夜叉』の頃からだけど、娯楽小説も含めて、新聞よりは文芸作品のほうがハイブラウなものだったからでしょうね。人間の情念とか感性に触れてくるメディアとして小説はあったんですよ。けれども、いまはメディアが氾濫しすぎている一方で、それらが情報の媒体としてセンシャルか、あるいはインテレクチュアルかといったらそうでない。こうした状況の中で、小説というのは踏まえる場所を失ってしまって、氷の融けかかった海を歩いていく逃亡者みたいなところがあるんだよね。
 作家としても、これだけ情報が氾濫してしまうと、あらかじめソフィスティケーションとして押しつけるかのように情報が提示されてしまうから、自分とは関係のないものだと思いつつも、目に触れてしまえば潜在的には残ってしまう。それが意識のレベルで、センシャルで情念的なものを規定して、固定観念には行かないまでも、先入観としてソフィスティケーションのかたちをつくってしまうところがある。情報が実は真の情報たり得ていない時代というのは、ものを書こうとする人間にとっても、非常に厄介だと思いますね。
斎藤——石原さんがデビューされた当時は、表現手段にしても、情報流通の手段にしても限られていたことが、いまから思えば環境的に良かったという言い方もできますね。
石原——全くそうですね。
斎藤——いまは逆に表現媒体の選択肢がありすぎて、昔であれば小説を書いていたような才能が音楽の領域に流出したり、文学的なセンスを持っている人が、マンガを書いたりしている。いまや小説がマンガの模倣をするという状況ですから。
石原——僕はどちらかというとビジュアルな人間だから、子どものマンガなんかを読んで、「恐いなあ。この人は、どうしてこんなことを考えるんだろう。読む人間も、何を発想するのかなあ」と思うことはありますよ。
斎藤——マンガは、お読みになるんですか。
石原——ええ、ときどきね。九〇パーセントはつまらないものですが、確か遠くに高層ビルが見える空き地があって、雑草が生い茂っているんだけど、そこで女の子が死体を見つける話は面白かったね。彼女の死体に対する関心の投入みたいなものが描かれていて、設定は非現実的だけども、ひょっとするとあるかもしれないというリアリティがあるんだよ。
斎藤——それは、おそらく岡崎京子の『リバーズ・エッジ』ですね。
石原——それから、つげ義春。絵はへたくそだけどね(笑)。マンガにインスパイヤされることはありますけど、それで小説を書こうとは思わない。ただ下手な小説よりは、よっぽど面白いと思うことがあるね。
斎藤——そうですね。口語表現ひとつとっても、やはりマンガのほうが表現の先端を行っているかなと思わざるを得ないところはあります。
石原——それはなぜですか。活字というものの遅さだろうか。
斎藤——遅さもあるでしょうけれども、やはり消費のされ方として、マンガのほうがより作家の顔が見えるんですよ。作家性のようなものが、もう見た瞬間にわかる。そういう特異性を感知できるというのは、つまり、小説で言えば文体に相当するようなものがマンガ表現にもあるということでしょう。文学を味わうなかにも、文体を消費する快楽のような部分が相当あったかと思いますが、いまは漫画のほうが、よりインスタントなかたちでそういう消費活動に寄与している。
石原——僕なんかは、下手な絵のほうが面白いと思うんだよ。
斎藤——そうなんです。日本のマンガというのは、ちょっといびつな発達を遂げたところがあって、例えば絵のデッサン力はほとんど問われない。お話のレベルで一定の水準をクリアしていれば、すぐ商業誌に載って、すごい人気になるというくらいですから。石原さんもご存じの小林よしのりというマンガ家がいますが、デビュー当時の絵はとてつもない下手さ加減でしょう。
石原——あれは、いまでも下手だよ(笑)。
斎藤——あれでも、いまは昔の絵が信じられないくらいうまくなっています。初期の『東大一直線』という漫画は、もうデッサンとかいう以前の異様な絵で、それでも大変な人気を博したんです。まさに見た瞬間に彼の名前が出てくるような絵だったんですね。それが書き手の独自性というか、文学の世界で言うところの文体に当たるものなんです。
石原——なるほど。それは大事だね。
斎藤——その点、石原さんの小説には、あきらかに文体があり、顔が見えるわけですが、それでも瞬時に伝わるかどうかという点では、音楽、マンガに一歩遅れざるを得ない。結局いま、絵が描けない、楽器もできないという人が小説に行かざるを得ないみたいな、消極的な選択肢になってしまっている。
石原——いちばん不器用なやつなんだな。僕は歌もうまいし、絵もうまいぞ。自分で言うのもなんだけど(笑)。
斎藤——そこですね。だからまさに「ルネサンス的」とおっしゃったような才能の流入が起こりにくい状況がある。いま不器用と言われましたが、それが本物の不器用さなら、まだちょっと期待できるようにも思うんです。むしろ悪い意味での小器用さ、小賢しさみたいなものの弊害かもしれません。
石原——文壇にも面白いやつがいなくなってしまったからね。中上健次がいたころなんか面白かったよ。ああいう、しっちゃかめっちゃかな作家がいなくなってしまったんだな。
 それと、いま新人にとって厄介なのは、編集者にろくなやつがいないせいもあるだろうね。文学の編集者として、例えば、昔は木村徳三のような、本当に職人としか言いようのない編集者がいたんですよ。文壇がなくなったこともあるだろうけれども、出版社が編集者を育てなくなってしまったんです。
 これは大事なことで、やはり競馬馬を走らせる馬喰のようなものだから、若い作家にとっても、本当に気の毒なことだと思いますね。作家と編集者との間には、激しい議論があってしかるべきだけれども、それがない。文壇そのもののポレミックスもなくなってしまったんだ。
斎藤——そうした意味でのポレミックスもまた、サブカルチャーの領域に流れています。激しい議論を戦わせたり、喧嘩をしたりするのは、いまやマンガやアニメの業界ですよ。クリエーターたちが流出していることもありますが、作家と編集者のクリエイティブな共同作業が作品の質を上げるという点で際立っています。
石原——マンガの業界は、そうなっているんだ。
斎藤——売れているマンガは、やはりクオリティを維持していかなければなりませんから、全体を見渡せる編集者が必ず付いています。
石原——それは面白いな。
斎藤——才能を活かすためにタッグを組まないといけない。だからマンガというのは、同じ作家でも雑誌によって全く作風が変わります。これは編集者が違うからです。明らかに昔の文学的なクオリティとか良さといったものが、マンガのほうに移行してしまっている。ここにも消費との関連性や、読まれるという視線の意識が関係していると思います。


同時代作家の文章について

石原——斎藤さんは、新人が時代と一緒に寝るということの栄光を得る資質として、どのような作家であれば、そうたり得ると思いますか。つまり、才能の発露として自他ともが許すコミュニケーションを得ることができる存在であろうとするならば、どのような姿勢が必要だと考えられますか。
斎藤——それは非常に難しい。ただ、石原さんの対談や作品を拝見しますと、肉体の意識が独特と言いますか。
石原——肉体というよりは存在だね。
斎藤——はい、それに対する自意識のありようをいかに鍛えるかが大きいと思うのですが、それはいま大変困難になっていますし、そうした意識を持とうとした瞬間、バーチャルな壁が立ちふさがってしまう感じなんですね。そもそも石原さんの時代からそうだったと思えるんですよ。つまり表現者として、これは突出した存在としか言いようのない人であれば別ですが、例えば文章を書くという行為一つとってみても、どうしても意識が肉体の邪魔をしてしまう。
石原——ものを書くことに対する意識さえ、要するにオブセッションになっていると。大江なんかはそうじゃないかと思うね。気の毒だけど、説明的で、いまはもう読めないよ。
斎藤——確かに大江さんの文章は、かなり意識的に書かれていますから、肉体から出ているという感じはあまりしませんね。
石原——開高の文章は、良かったと思うなあ。
斎藤——どうなんでしょう、私は開高さんと石原さんとは、ある意味で対極の存在だと考えているんですけれども。開高さんが循環気質的であるということもありますが、そのエピキュリアン的なと言いますか、感覚のディテールにこだわった表現は、あれはかなり意識的に選択された身振りですよね。肉体というか、一種の官能性に基礎を置く点では共通部分もあるのかも知れませんが、経験の解釈やその表現のレベルでは、全く違った資質でしょう。
石原——それはあるね。開高には『夏の闇』という非常にいい作品があるんだけど、女と二人でボートを漕いでいるシーンがあって、男が甘い言葉をささやくんだ。これが彼の西欧的なスノビズムなんだけれども、「私の可愛いウンコちゃん」なんて言わせるんだよ。フランス語に「ウンコの欠片」という独特な表現はあるけれども、それを日本語に訳されると途端に興ざめするでしょう(笑)。それで「これはおまえにとっての観念でしかないから、ほとんどの人はわからないよ」って指摘したんだよ。開高は「ふ、ふん」って笑っていたけど、あれは『夏の闇』という作品の唯一の瑕瑾ですよ。
 それで開高は、最後に『珠玉』という小説を書いたでしょう。そのなかに女の子と一緒に風呂へ入って自分の体におしっこをさせるシーンがあるけれども、今さらこんなことを覚えたのか、ウブだな、そんなこと珍しくも何ともないじゃないかと思ったんだけど、とにかく、この小説は観念で書かれてないんだよ。『珠玉』は実に哀切な作品で、開高も自分の死を自覚していたから、この小説のために一カ月半、スリランカの原石商から宝石のレクチャーを受けながら取材をして、実際に何千万もするトパーズを掘って帰ってきたらしい。小説はそういう恐さを持っているからね。やはりセンシャルなものに対する観念とか情報というのは、体験しない限り単なる情報でしかないんだよね。
 つまり、大阪に本社を持っている一流企業の社長たちが、このインターネットの時代でも絶対に週に一回、多い人は二回ぐらい霞ヶ関や永田町に出向いて政治家や大臣と会い、情報のオリジンと対話しながら確認するようなことですよ。そこで初めて自分の感性や情念を通して情報が情報になるみたいな。やはり世の中には本当の通というものがいるんですよね、酒にしても、女にしても、感覚の世界の極道みたいなのが。彼らがうなずくようなものを書かないと、すぐにメッキが剥げてしまう。
斎藤——そうですね。開高さんのエッセイは好きなんですが、ただまあ、ひけらかすとまでは言いませんけれども、自分のなかでも消化できていない知識なり情報を、そのまま出してしまっている印象がちょっとあるんです。それを発酵させたり昇華したりといった迂回を経ていないと言いましょうか。あるいは釣りにしてもそうなんですけれどもね。
石原——それで僕が思い出すのは、江藤と開高と大江と僕の四人で「新潮」の記念座談会をした後の雑談で、大江が「石原さんのヨットはジェニュイン(本物)だけど、開高さんの釣りはどうもな」と、あなたと近いことを言っていた。「石原さんは黙ってて、開高は喋りすぎ」みたいな言い方をするから、「お喋りな人間でいいじゃないか。でも、開高の釣りは本物だと思う」と言った覚えがあるな。
斎藤——上手いことの無残さみたいなものがあるんじゃないかと私は思ったんですけどね。
石原——彼は、釣りは本当に上手かったよ。
斎藤——ですから、上手いというのはテクニック的な問題ですよね。
石原——書いていることじゃなくて、釣りそのものがね。
斎藤——ええ。例えば井伏鱒二と対話している姿なんかを見ていますと、どうも井伏さんには一歩譲っている印象がある。おそらくテクニック的には遜色ないか、開高さんのほうが上手かったかもしれないわけですが、ジェニュインさという点では譲らざるを得ない。
石原——なぜ井伏鱒二が、あれほど評価されるのかと思ったけどねえ。
斎藤——政治や思想といった文脈に回収しにくいものをたくさん書かれたということが大きかったように思うんですけれども。それはまさに政治的に読まれることによって、非常に琴線をくすぐる表現になるわけでしょう。
石原——それはあるだろうね。


ストイシズムが欠如している

斎藤——新人の才能に話を戻すと、やはり病気になれないということですね。クレージーとは言いませんけれども、やはり先ほどおっしゃったように、モノマニー的なものを持つことが難しいという状況が一つの壁になっていると思います。
石原——冷めているわけではないんでしょう。何か他のことにエネルギーを取られているからじゃないの。
斎藤——いや、やはり冷めているとしか言いようのない部分があると思いますね。言葉は悪いですけれども、妙に小賢しくなっているところがあるんです。偏差値が高いから、逆に冷めてしまうというか、熱狂しつつある自分を意識しているところがあって、例えばこう言うと語弊があるかもしれませんが、福田和也さんが骨董の話をしたり、いろいろと趣味的な話をしますけれども、そこにも努力してモノマニー的なものになろうという自意識を感じてしまうんですね。
石原——福田和也は骨董の話をするの。
斎藤——骨董、大好きでしょう、あの人は。
石原——僕の前では話したことないな(笑)。まあ、彼は博学だけどね。
斎藤——ええ、ですから大変な努力家で、その点はほんとうに尊敬に値するんですが、どうしても後づけという感じがありまして、どこか必然性を感じないところが。
石原——すごいことを言うねえ(笑)。
斎藤——まあ、私は文壇関係者ではないので、恐いものなしでいろいろ言いますけれども(笑)。
石原——柄谷行人なんかも似ているところがあるんだろうか。彼には全くセンシャルなものを感じなかったけれど。
斎藤——ないでしょう(笑)、それは徹底してないと思います。ただ、突き抜けていく資質を頭のなかに持ってはいると思うんですね。よく「思考マシーン」と言われますけれども、考えに考えているうちに、自分を超えたものまで考えてしまうところがある。当初、予想もしなかったところに連れていかれてしまうようなことが起こりやすいタイプです。はじめの分類で言えば分裂気質なんですけれども、思想家のタイプとしてはヴィトゲンシュタインもそう言われていますね。これは感覚に引きずられないからこそ、ものすごい抽象の地平を切り開ける資質があるわけです。
石原——しかし、ものを抽象化していくにはそのための基盤というのがあって、だからこそ抽象化というのは高尚な作業になるわけだけれども、最初からそうなら仕方がないだろうなあ。
斎藤——入口は貧しくても、出口は予想外のところに行ってしまうんですよ。
石原——ついでで申しわけないけれども、現代におけるストイシズムについてはどのように考えていますか。僕は十五年ぐらい前からストイシズムは必要だと、一種の生理的危機感から言ってきたんだけれど、現代においては不可能なんだろうか。
斎藤——ほぼ不可能だと思いますね。これはひきこもりともつながる話ですけれども、不登校にしても、ひきこもりにしても、まさにストイシズムの欠如から大量発生している現象なんですね。ただ、ひきこもっている人ぐらい禁欲的な生活をしている人はいないんですよ。まるで修道僧のような禁欲生活をしている。だからストイシズムが欠如した結果によって、一種、病気としてストイックに生きざるを得なくなってしまったという、非常に皮肉な事態になっている。
石原——なぜひきこもってしまうんですか。
斎藤——これには様々な事情があります。きっかけは不登校とか、いじめが原因だったりするんですけれども、一度こもってしまいますと、それが結果としてスティグマ性を帯びてしまうわけです。つまり、ひきこもっている自分は惨めだから、世間に顔向けできないという自意識が生まれてくる。親さえも我が子の存在を恥じるようになって、「出歩くな」と命じたり、とにかく身内で抱え込もうとする。こうして、世間体と自意識の悪循環から長期化してしまうわけです。きっかけは些細なつまずきだったりするんですが、結果としてもう二十年もこもったなんていう人はざらにいます。全く一歩も出られない。
石原——新潟で起こった監禁事件の犯人なんかもそうなのかな。
斎藤——彼に関しては純粋なひきこもりと呼べないところがありまして、やはり小児愛、ペドフィリアと呼ばれる資質があったわけでしょう。
石原——すると彼女が成長してしまったから持てあましたと。
斎藤——それもあるかもしれませんね。まあ、ペット的な感覚で、恐らく性交渉的なことはなかったのでしょうけれど。
石原——そうですか。
斎藤——しかし、こうした現象を見ていると、やはり性欲のあり方にしても、石原さんの時代からは見事に様変わりしていると言えますね。それと連続している「おたく」という現象についてはご存じですよね。
石原——ええ。
斎藤——彼らは要するにバーチャルな、アニメとかマンガの美少女を愛玩して、そのイメージで性欲を発散するんですけれども、彼らが描かれた幼女や少女に欲情するからといって、現実にもペドファイルかというと違うんですね。現実の生活では、普通の成人女性のパートナーがいる。どちらがどちらの代替物ということではなくて、ただモードが切り替わるだけなんですね。こうしたセクシャリティのあり方は、一種の適応形態なんですけれども、近代的な価値観からすると奇形化と言わざるを得ないのかもしれません。


石原慎太郎の特異性とは?

斎藤——経験の特権性といいますか、精神医学に「事故傾性」と言いまして、どういうわけか事故にばかり遭う人というタイプが言われています。「事故に遭いがちな人」というほどの意味で、そういう用語が精神医学という理性の体系のなかにあること自体、ちょっと奇妙なんですけれども。自傷傾向が言われたりしますが、見方を変えれば、特権的な経験をたくさんできる人ということでもあります。石原さんには、そうした傾向もあるのではないか。これもやはり、新しい世代には失われてしまった、一種の才能だと思います。
石原——そういう意味で、僕の本当の職業は何かと言われれば「人生家」ということになるだろうね。無類の人生家だとは思う。生きている間はアクシデントも楽しんでしまうというか、宇宙全体を流れている時間にすれば、人間の一生なんて微小なものでしかないのだから、その意義を人生かけて受け止めるということだね。だから僕は自分を実存主義者と言って憚りません。
斎藤——「人生家」というのは見事なキャッチフレーズですね。
石原——僕はそれでしかないんだよ。
斎藤——しかし、そうした体験をありのままに書くと、普通は私小説的な臭みが出てしまうものですが、それが全く感じられない。これも誰かが『わが人生の時の時』についてでしたか、「私から出て私を超えている」と書かれていて、なるほどなと思ったわけです。これは一種のナルシズムなんですが、しかし、そのあり方が通常のものとはちょっと違うんですね。
 これも今日は是非とも伺いたかったんですが、果たして石原さんのナルシシズムはどこに向かっているのか。ナルシシズムのない人間はいないという前提ですから、もちろん石原さんが鼻持ちならないナルシシストという意味ではありません。たとえば三島由紀夫のように、鏡に映った自分に対するナルシシズムが一方にはある。石原さんのナルシシズムは、そういう鏡像的なものとは対極にあるのではないでしょうか。
石原——鏡を見入って、鏡に映った自分に話しかけることはよくあるんですよ。いつも鏡に向かって、自分という相手に「あまりうぬぼれるなよ。吠え面かくぞ」と言ってやっている。
斎藤——そうですか。それは非常に興味深いお話です。
石原——僕は確かに人から見れば幸運だったところもあります。その幸運をもたらしてくれたのは、やはり不可知な存在で、そうしたものが歴然とあると信じていますよ。ただ、最後にそれを受け止めコントロールするのは自分だからね。自動車で高速を飛ばしていて、ふわーっと高揚してしまって、ハッと気がついてブレーキを踏むみたいな瞬間が時々ありますが。
斎藤——こういう経験はないでしょうか。何かをなさっているときに、外側の視点から、その自分を見ているという感じはありませんか。
石原——それはあります。
斎藤——ありますか、やはり。
石原——ええ。
斎藤——ああ、これは私なりの気質分類の一つの成果ですね。おそらくそれがあるだろうと予想していたんです。と言いますのも、石原さんと気質的に似通っている北野武が、そういうことをよく言うんですね。映画を撮っているときに「外の視点から自分を眺める」とか。これはまさに、自分自身が一種の他者なんですよ。おふたりの才能の一つの根源は、そこにあると私は思うんですね。
石原——才能というか、資質でしょうね。ビートたけしは大好きですから、人がそれを「才能」と呼ぶのなら否定もしませんし、それでいい。
斎藤——まさに脳が似通っているからでしょうね。同じタイプの脳だと思いますよ。物事をつくる過程にしてもそうです。石原さんは小説を書かれるの速いですよね。
石原——ええ。
斎藤——それは普段からノートに取られたりとかしているからでしょうか。
石原——ぜんぜん取らないですよ。けれども、ものすごい記憶力というわけではないけれども、エピソードとしてはよく覚えているんです。それぞれを一つの挿話として仕立ててね。
斎藤——そこですね。記憶には意味記憶とエピソード記憶とありまして、いわゆる記憶喪失(全生活史健忘)で損なわれるのは、エピソード記憶のほうなんですね。つまり自分は誰で、どんな体験をしたかということは忘れてしまうけれども、電話のかけ方とか電車の乗り方は覚えている。そういう違いがあるんですが、いまストレートにおっしゃられたので驚いています。エピソード記憶がものすごいわけですね。
石原——「文藝春秋」に連載した「人生の時の人々」についても、全部覚えています。「よく覚えていますね」と言われるけれど、逆に僕はどうしてみんな覚えていないのだろうと思うね。忘れてしまったことも多くありますが、エピソードはよく覚えている。これは自分の人生の中で、いちばん大事なものですから。
斎藤——体験したことや出会った人ですね。
石原——とにかく、自分にインプラントされたことを。
斎藤——体験されたときの主観のあり方が、やはり他の人とは違う感じがするんですよ。
石原——その主観のベクトルというのは、人によって違うんですか。
斎藤——違うと思いますね。風景として体験する人もいれば、テレビカメラの画面でモニターするような人もいます。単に視野の広さとか狭さと言ってもいいんですが、これも気質によってずいぶん違うものです。
 例えば分裂気質の人は、どんな体験をしても常に新しく感じてしまうというか、これは気の毒なところもあるんですが、それが上手く表現に結びつくと独自のオリジナリティとして昇華されるところがある。躁うつ気質のタイプは、何を経験しても、過去に経験したものの参照枠と照合してしまうために、表現としては凡庸なものになりがちだったりする。やはりいまのお話を伺っても、石原さんの体験の仕方は、いずれとも違うものとして理解できると思うんですね。
石原——「既視現象」というのは、どれにあたるんですか。
斎藤——デジャ=ビュですね。一般に記憶というのは、脳に刻み込まれた痕跡の正確な再生ではなくて、痕跡からその都度生成するもの、という見方が有力とされており、その際に生ずる同一性の錯覚ではないかという説があります。ただまあ、まだ詳しく解明されていないというのが現状ですね。ジャメ=ビュという現象もありまして、よく知っている風景をはじめてのように感じてしまう、ちょうど逆の体験です。これはデジャ=ビュと表裏一体のもので、同じ体験の構造を持っています。
 ところで、やはり北野武の映画を観ると、共感するものを感じますか。
石原——僕のつくった映画のほうがもっと残酷だけどね(笑)。
斎藤——そういえば監督もされているんでしたね。
石原——さり気なく波長が合っちゃう感じはするね、彼と話していると。
斎藤——彼の政治的なエッセイや発言についても、やはり共感するところは大きいですか。
石原——あれは日本社会の常識だと思うね。人間の逆説的常識だよ。
斎藤——それではオカルト的な体験についてはどうでしょうか。ふつうは体験できないからこそはまるのかも知れませんが、オカルトを対象として見ている限り永遠にはまれないという構図がある。けれども、石原さんはオカルトを生きているから、はまる必要すらないと言えるようにも思います。
石原——そうした経験はありますよ。人智を超えた領域はあるだろうという強い予感と期待みたいなものは持っていますから。
斎藤——福田さんは、石原さんのそうした資質の背景に「存在の光背としての海」があると指摘されていましたが、やはり人智を超えた存在論のよりどころとして、海は重要でしょうか。
石原——人間には抗しきれないものがあるということは知っておくべきだと思う。海は本当に恐いですよ。そうした自覚があると人間は謙虚にもなれる。「お前、少しのぼせているんじゃないか」と自分に言えるわけです。
斎藤——精神分析に「去勢」という概念がありまして、抽象的な言葉ですが、ペニスを取る「去勢」です。これは精神分析の世界では、人間が社会化される過程を指しているものですから、決して悪い意味ではありません。むしろ人間は去勢されなければいけない。そうした過程がないと社会化されないまま病気になってしまうわけです。誰にでも去勢の契機があるはずなんですが、石原さんの場合、どのような体験が「去勢」にあたると思われますか。
石原——自民党に入るときに去勢された(笑)。
斎藤——いやいや(笑)。例えば経済的に苦労された時期がありましたが。
石原——ええ。でも、それはたいしたことではない。当時は誰しも貧乏をしたわけですから、筆舌に尽くしがたい貧困とは違うんですよ。
斎藤——やはり政治家になられてからのほうが去勢されたという感じでしょうか。
石原——当時は派閥も含めて懸命に抵抗しましたが、もたないから二十五年でやめましたよ。派閥というのが生理的に合わなくてね。あれは人間のキャラクターを認めない、ファンクションとしては官僚よりも官僚的な世界ですよ。本当にくだらなかったね。
斎藤——そこにあえて身を投じられた。大体の予測はついてたと思うんですが。
石原——何かが余ってしまった、あるいは何かが足りなくて、政治家になってしまったんですよ。極めて僕プロパア、オリジナルな衝動としてね。
斎藤——先ほど「人生家」とおっしゃった流れでいえば、恐らく文学が政治よりも優位であるといった区分はなさっていないですね。
石原——僕にとってはイコールですよ。他のこと、ヨットやダイビングも。自己表現の手だてとして。
斎藤——その方法論だけ真似をするとか、石原さんと表層的にでも同じコースを歩むというのは、やはり通常は困難だと思われますか。政治をやりながら文学をやるみたいなですね。
石原——ルネサンス的人間とまでは行かないまでも、誰でも二刀、三刀を使うことはできるんじゃないんですか。いまだって知事の仕事をしながら、この間も「僕は結婚しない」という三百枚の小説を書きましたけど、これを発表するに当たっては、全くの新人としてペンネームを考えてたんだけど(笑)。でも旧知の編集者に読んでもらったら、「石原さんのいい読者には必ずバレますよ」と言うから、書き直すのもおかしな話なんで止めましたけどね。
斎藤——先ほど申しましたように、石原さんはスタイルに無自覚な分だけ、そういうところは弱いんじゃないでしょうか(笑)。これは変な話なんですけど、いま文章に対するセンスというのは本当に低下しているとしか言いようがなくて、福田さんが『作家の値うち』という本を出されましたが、あの採点は正鵠を射ているという感じがしたんです。文章に対する感覚の水位が低下してしまっている。
石原——そうだね。テーマだけで書くようになってしまった。
斎藤——ええ、それで逆に文体が損なわれてしまったわけです。
石原——文学は野暮でもいいから本卦帰りしたらいいんだよ。訥々として、稚拙なものでいいからさ。誠実ならいいんですよ。
斎藤——ただ、そうした素朴な野暮が最も難しいと、私はあえて言いたいんですね。それに読者の立場からすれば、小説にはやはり、分析や還元がどうしてもできない核を秘めているような手応えを期待したいんですよ。
石原——ドキッとするものね。
斎藤——石原さんの作品には、それが確実にあるわけです。文章の上手い下手というのは感覚的なことですから、なかなか言語化できないかもしれませんが、石原さんのなかで何か基準のようなものはありますか。
石原——小説という仕事の完成の難しさは、力量はあっても、技が下手ということもあるから難しいんだよね。高橋和巳はずいぶん愛読したけれども、いかにも下手だと思ったね。『邪宗門』なんぞ面白く読んだけど、資料が羅列してあるというか、もう少し咀嚼して書けなかったのかと。フットワークがないんだよね。彼は長生きすれば良かったと思うんだ。死んでしばらくしてから、文壇ゴルフの場で石坂洋次郎から彼が死んだって聞かされて、愕然としたな。高橋には一度も会ったことがないけれども、『悲の器』を読んだときも力量があると感じたし、小田実よりはるかに力量があった。やはり何か「本物」というものを持っていましたよ。彼には長生きしてほしかったね。
斎藤——そうですか。石原さんの場合ですと、一つには、リズムということが非常に大きいと思ったのですが。
石原——確かにリズムはある。言語というのはあるところ反復ですからね。でも文章のリズムというのは、意識してはできてこないね。いつか「行為と死」という作品について、手塚さんというドイツ文学者に時評で、石原は本能的にリズムを追っていると言われて、ああ、なるほどなと思った。あれも無意識過剰の証左かな。
斎藤——例えば北野武の映画は、ほとんどリズムだけで構成されていると思うんですね。だからこそ同じような素材で撮っているように見えるけれども、退屈せずに観ていられる。そういうリズム感というものは、これは一種の運動神経としか言いようがなくて、その点でも石原さんにも相通ずるものがありそうですね。
石原——運動神経だろうね。僕はそういいほうではないけれども、一流の運動愛好者ではある。天才的な運動神経の持ち主であれば、そもそも物なんか絶対に書かないよ。自分の肉体の中にエクスタシーがあるわけで、別の表現を借りようとは思わないでしょう。
斎藤——いわゆる真の肉体というものですね。そうしたものに対するコンプレックスは全く感じられないのですが、真の肉体を獲得できなかった意識といいますか、それは、ある種の挫折感として石原さんのなかにはありますか。
石原——いや、それは足りないものを補おうとする本能の発露でね。一種の、かなえられざる願望の持続ですよ。
斎藤——挫折感ということで伺いたいのですが、経歴を拝見すると、一般的な意味での挫折体験をいくつかされていますね。ただ、石原さん自身は、それをさほど決定的な挫折として意識されていないような印象もあります。
石原——いや、いまでも感じていますよ。今日も腰痛がぶり返しているんだけど、僕にとっての腰痛は「悪魔がまた来たな」という感じなんです。肉体があっての自分だから、それが変質するというのは、僕にとっては大変なことなんですよ。
斎藤——それはまさに肉体の外傷ですね。
石原——そうですよ。しかし、また精神の内傷なんです。
斎藤——両者がイコールなんですね。それが特異な資質だと思うんですよ。文学や政治の話ではなく、真っ先に肉体の怪我の話をされたことが象徴的ですね。
石原——人生なんて、考えてみれば肉体を機軸にするしかないでしょう。
斎藤——それがいまきわめて困難で、ひきこもりというのも、まさに肉体なきがごとしの世界で生きるような現象なんです。


分析不能な才能を求めて

斎藤——今日は石原さんの分析を通して、新人論に結びつけようと考えていたんですね。例えば私のような文学の素人でも、これは精神分析家でなくてもいいわけですが、それが自意識によって書かれた小説なのか、そうでないものなのかは何となくわかると思うんです。やはりそこには、決定的に異質な手触りがある。例えば石原さんと親しかった三島由紀夫の小説は、読み方によってはいろいろな解釈があるのかも知れませんが、やはり過剰な意識によって書かれた小説で、私なんかはある程度以上は読めないんですね。
石原——あの人は写真一枚撮られるにしても、過剰に意識していたからね。もうくたびれるだろうなと思っていたけど、三島さんは、やはりくたびれて死んでしまったんだろうな。でも、あんなに頭のいい人はいなかったな。
斎藤——非常に対照的な存在であるだけに、ある意味では相補的でもあったということでしょうか。
石原——僕は敬愛していましたよ。あれほど頭の回転の速い人はいませんでしたから。だけど、晩年の三島さんは衰弱していて、やはり文体がだめになっていたと思う。『豊饒の海』の四部作にしても、いまなお「三島伝説」で守られてはいるけれども、あまりにも無残だったから、僕は途中から読めなくなってしまった。だけどヨットで怪我をして、一週間安静を強いられて寝たきりの状態だったときにまとめて読んだ。僕は三島さんのことが好きだったから、読み終わって泣いてしまったね、あまりにも気の毒で。
斎藤——いま「敬愛している」とおっしゃいましたが、どのあたりに尊敬というか、畏怖を感じられているのでしょうか。
石原——とにかく、あれほど会話をしていて楽しい人いませんでしたよ。打てば響くというか、僕が何かでからかっていじめたりすると、とにかくキャーキャー泣いたりさ(笑)、とても面白かった。
斎藤——泣くんですか、なるほど。やはり石原さんは、いろいろな人から愛される資質を持っているんでしょうね。
石原——小林秀雄も僕をずいぶん可愛がってくれたというか、面白がってくれたな。彼を絶対化するつもりはないけれども。あの人は本当に自由な感性を持っていました。私の好きな日本人の一人ですが、情念に則っての自由というか、だからいい加減なこともずいぶん言ってたね。僕が「おかしいじゃないですか」と問いただしていくと、最後には「うるさい」ですよ。「うるさい」と言われてもね(笑)。
斎藤——それは逆じゃないですか(笑)。お二人の関係が逆ならわかるんですが。すごいことだな、それは。小林秀雄はちょっと気質分類を超えていますね。ただ一方で、石原さん自身がある特定の人間に惚れ込むとか、執着するということはないような気がするんです。対人関係においても、常に一種の距離感があると言いますか。
石原——んーっ、そうかなあ。三島さんにしても、僕にとっては大きな興味ある存在でしたけれど、関係を維持していくということにおいては、優越感とまではいかないまでも、あの人の自意識は手に取るようにわかってしまったな。ただ、参議院に出るということだけは読めなかった。
斎藤——それこそ三島は精神分析に親和性が高い作家で、その応用で『音楽』みたいな小説も書いていますが、自己分析もずいぶんされていたと思うんですね。けれども、分析だけに回収されるのはつまらないという意識も当然あったはずで、だからこそ肉体を鍛えたり、政治的なコミットメントをしていったのではないか。そこは手に取るようにわかるというか、やはり石原さんからは見透かされてしまうわけですね。いまはむしろプチ三島的な人間のほうが圧倒的に多いわけですから、いかに無根拠なものを回復するか、それを意図的にやること自体、本当はパラドックスなんですけれども、文学にとっては重要な課題かもしれない。
石原——僕と同世代の作家で三島さんに強烈なコンプレックスを持ったのは大江だよ。だからあえて僕の前で、「日本は西欧の周辺国です」なんてことをくり返して言うんだね。まあ、「それについては命がけで議論しよう」と応えたけれど。(中略)もう一つ江藤の死に対する発言だけは許せないね。「ああいう死に方をするのは脳梗塞で倒れてリハビリしている人たちに失礼だ」なんて、そんなことを死んだ人間に対して言うメンタリティは、本当に情けないよ。小島信夫も、これだけは怒っていた。僕も江藤のために怒りましたね。あいつは沈黙ということのイミがわからなくなったんだね。
斎藤——ある種の天才的な「愚かさ」がある方だとは思いますね。
石原——いや、彼も頭のいい男ですよ。それにとても政治的なところもある。江藤はそれをいちばん嫌っていたけどね。ただ、僕にはよくわからないけれども、何か不思議なコンプレックスがあって、知事になった途端、また拒否されてしまったけどね。
斎藤——それは相当あると思いますよ。大江さんは、紛うことなき分裂気質の作家でしょう。私が「愚かさ」があると言いましたのも、それがあるゆえに自己イメージを超えた作品が書ける人だと思うからです。三島由紀夫ほどは自己演出されませんし。
石原——三島さんは何型ですか。
斎藤——病跡学では、分裂気質というのが常識になっていますが、私は違うと考えているんですよ。精神医学に「ボーダーライン」という分類がありまして、これはヒステリーの一種なんですが、わかりやすい例では太宰治がそう言われています。私の考えでは、三島もこれと同じ系譜に入る。つまり、作品と作者が同一視されてしまうことが多く、これはパブリック・イメージですが、破滅型と申しましょうか、壮絶な人生を歩みがちなタイプでもあります。
石原——だから最後は自分と太宰をアイデンティファイしてしまうんだよね。
斎藤——非常に似ていると思いますよ。
石原——僕は「この人、いつか死ぬな」と思っていた。辻つまが合わないから。しかし、太宰と同じだったというのは驚きだったね。太宰も辻つま合わせで死んだわけでしょう。
斎藤——ボーダーライン型には、不安定な対人関係しか持てないという特徴がありまして、太宰以降、三島を除いては男性の作家では突出した存在はいません。(中略)才能の持続性という問題もありますね。
石原——アーティフィシャルなものを技巧を尽くして書く作家は、長続きしないですね。
斎藤——石原さんは何かに書かされているという感じはあるんでしょうか。意識を超えたところでと言い換えてもいいんですが、そろそろ小説を書かなければいけないといった計算はされていませんよね。
石原——そんなものあるわけないでしょう。
斎藤——すると石原さんの書くことへのモチベーションというのは、どこから来るんでしょうか。
石原——何かそろそろ体の奥に溜まってきたからというか。
斎藤——溜まるという感じ、何となくわかりますね。
石原——エクスタシーの問題でしょう。エクスタシーというのは表現だからね、それがないのであれば書かないほうがいいと思う。人生を重ねていくと、確かにいまの年代にまで来れば、それなりに多くの体験をしていますよ。でも、それをノスタルジックな追想として書くのではなく、現在の自分を表現するというのとも違うんだけれども、僕の場合は、やはり人と対話をしていると強いヒントを得ることがありますね。
斎藤——やはりエピソードですか。
石原——ええ、人の人生を感じるのは、それしかないからね。
斎藤——こうした言い方は非常にまずいという気もするんですが、限られた人間にしか許されない状況でないと、文学性は持ち得ないようなところがあるのかも知れません。
石原——本当にそう思いますね。だからセンシビリティの問題で、それはもう分析しきれないものですよ。
斎藤——それは認めます。私はとにかく、大半のくだらないものは容易に分析できると言っているにすぎませんので。
石原——これまで自分の資質というものを考えてきて、僕が小説を書き始めたというのは、本当に偶然というか、僕にとっては一種の奇蹟だと思いますよ。必然も蓋然もない。滴れ落ちた雨垂れが、こっちに落ちるか、向こうに落ちるかの話ですよ。
斎藤——それが石原さんにとってはエピソードであり、創作の動機であったりするんでしょうね。残念ながら、そうした感覚が決定的に損なわれているということが、今の文学を貧しくしているのだろうと思います。これは、ひょっとしたら様々な病気が軽症化しているという時代の流れと同じことなのかもしれません。才能もまた軽症化していると言ってもいいでしょうね。
石原——今日は本当に面白かったな。今度は福田和也も呼んで三人で話をしようよ。多分、僕は聞いているだけでも、凄く面白いと思う。

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