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全てが新鮮☆

訪問をありがとうございます。

先日は介護を始めるきっかけについて書かせていただきましたが、今回は、短大入学後から就職までの話を書きます。


【先入観がないから抵抗もなかった:短大編】

以前、高校進学時の話を書かせていただきましたが、短大に入っても、私はあいかわらずフワフワしていました。

短大と言っても専門学科だったため、私以外の人はほとんどが何かしらの想いを持って入学をしており、最初の自己紹介の時からレベルの低さを露呈してしまった私です。

皆が『祖父母と同居していて・・・』『家族が・・・』等、高尚な経験談を聴きながら、『さて、私は何と言おうか?』と冷や汗をかいたことは、今でもよく覚えています(部活で鍛えた体力で・・・とか、めちゃくちゃなことを、もっともらしく言った覚えがあります)。


また、実際に介護というものを学んで理解したことですが、介護は高校の顧問が話していたとおり、『人として当たり前のことをしてお金をもらえる職業』でした。

歳を重ねて、自分で身の回りのことができなくなった方々の『できない部分』を手伝う仕事

心身に何らかの障がいを持ったため、行うことの困難な動作を手伝う仕事。

おむつ交換が汚いとか、他人のものには抵抗がある等、潔癖な方には合わないのかもしれませんが、幸いなことに私は潔癖症でもなければ素直な子だったので(?)、先生に『これをやりなさい』と言われたら、何の抵抗もなく行うことができました。

今考えたら、介護に対して強い思いも知識もない分、抵抗感もなく学ぶことができたのだと思います。

それはそれは、(座学・実技両面で)乾いたスポンジが水を吸収するかのごとく、全てのことが初めての体験で、おもしろかったことを覚えています。

あぁ、短大入学まで無知で素直だった自分をほめてあげたいです☆


【人としてどうなのよ!:実習編】

そんな私でしたが、実は実習中に1度だけ、施設の職員とけんかをしたことがあります。

介護保険が始まる前の頃だったので、施設は今より『閉鎖された環境』でした。

で、当時は高齢者の人権も今ほど認められていなかったので、『身体拘束は当たり前』『ずっとベッドに寝かせきり・車椅子に座りっぱなしも当たり前』だったのです。

高齢者自身が、『痛いよぉ~』『(紐を)外してくださいよぉ~』と言っても聞こえないふりをしたり、『後でね』と言ってそのまま放置する。

職員の方々が精いっぱい頑張っていることはわかるのですが、“この状況は果たして誰が幸せなのだろうか?”と考えてしまったことを覚えています。

とはいえ、実習中の身だったため、『私が勤める時にはこういうことに気をつけよう』と反面教師的にたくさんのことを学ばせていただきました(慇懃無礼な書き方)。


そんな中、大半の職員は頑張っている中でも、いつもさぼって文句ばかり言う職員がいました。

その人は静かにさぼれば良いのに、文句をたくさん言ったり、高齢者に意地悪な言葉ばかり言うのですよね。

で、その職員さんに『その態度はプロとしていかがなものか?!』と怒ってしまったんです。

プライベートで何があったかわかりませんが、だからと言ってそれを関係ない人に当たることはダメ。

ましてや、介護を受けている高齢者に当たり散らすなんて言語道断。

そんなことを言った記憶があります。

その時は大げんかになり、反省文を書かされた記憶があります(けんかすると今後の実習先が減るので・・・)。

ただ、いくつかの実習を経て決心したことは、『大変かもしれないけど、私は現場の実態を理由に“仕方ないよね”と言い訳するような介護はしたくない』です。

そして、思ったよりも私自身は正義感があるのだということに気づき、『この正義感はちゃんとコントロールしなくちゃな』と思いました。


【楽しく悩ましい場所でした:就職編】

そんなこんなで2年間の楽しい短大生活を終え、いよいよ就職することになりました。

私の就職先の条件は、『新しい施設であること』『終末期まで過ごす施設ではなくリハビリメインで自宅に帰る一時的に過ごす施設であること』でした。

運よくすんなり就職は決まり、介護老人保健施設という種類の施設に勤めたのですが、ここでは本当にたくさんの驚きをもらい、たくさんのことを学びました。


今だから書けるのですが、まず、副理事長が『元ヤ〇ザ』だったのですね。

私は就職するまで知らなかったのですが、バリバリの人情派で、その業界の第一線を退いた後、『自分が親にできなかった孝行を少しでも今いる高齢者にしたい』という想いで、医者を探して理事長にし、自身は副理事長として立ち上げた施設でした。

いやぁ、本当におもしろかったです。

私はその副理事長と仲良く冗談を言ったりできたのですが、とはいえ、元は・・・です。

事務長は当時からの部下だった男性が担っていたのですが、彼の顔は1週間に半分以上は腫れている状況で、年に1回は行方不明になっていました(きっと、よほど辛かったのでしょう)。

とはいえ、職員は素晴らしいメンバーを揃えていてくれ、看護師は全員元国立病院の看護師(50代~60代後半のベテラン揃い)、介護職員は全員新卒、リハビリの先生も常勤としていたため、看護・リハビリの知識はスペシャリストから学ばせていただき、介護は仲間と創意工夫しながらスキルアップすることができました。

今では法人が変わってしまたためその施設は無くなってしまいましたが、高齢者の希望もできるだけ叶えたいとのことで、施設内に喫茶室をつくり、医師の許可の上アルコールを出したりと、かなり柔軟な運営をしていました。


仕事の中で一番好きだった時間は『夜勤(16:30~9:30)』です。

なぜなら2時間の仮眠時間は、看護師が私の代わりにフロアで待機をしてくれるからです。

本当は寝ればよいのに、看護師さんに疾患や薬のこと、介護スキルのことを教えてもらうことが楽しくて、毎回寝ずに看護師さんと話をしてました。

また、眠れないと訴える高齢者をステーションにお連れし、昔話をたくさん聴かせていただきました。

若かったからできたことと言えばそれまでですが、もう一度介護の現場に戻るなら、施設も楽しいと考えるくらい、私にとっては楽しく働かせていただきました。


日中も、入居している高齢者とは会話の機会を積極的に持ち、その中でたくさんの道徳とか昔ながらの慣習などを教えてもらいました。

当時は明治生まれの方がまだまだいたので、『女は結婚して子どもを産んでナンボ』という価値観も、ここで刷り込まれた気がします。

とまぁ、介護職員全員が若かったので業務自体はスピーディーにできたことと、今ほど書類に追われていなかったため、結構な時間のゆとりが当時はありました。

そのおかげで、全ての仕事に楽しく取り組むことができました。

そして、この時期に人として大切なもの、介護の専門職としての倫理観を習得したと思います。

そう考えると、今の施設は、職員に課題があるのではなく、制度の在り方に課題がたくさんあると、介護保険創設前後を知っている身としては、感じています。


・・・と、またしても長くなったので、ここで一度切ります。

次は、介護保険施行後の状況について、書かせていただきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました☆

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