見出し画像

花ひらくニュー・ジャポニズム


日本人は自然を人間化する知性を残している稀有な民族です。私はそれを誇りに思い、日本人に生まれたことを有り難いと思っている。

しばしば花のレッスンで、生徒さんたちは自分が扱う花を「この子が…」とか、「この人は…」と、まるで人間と接しているかの様に語る。

そのことを「日本人は西洋人に比べて幼い」と私は思っていた。しかし、それはプリミティブというべきなのだと最近わかった。

プリミティブと言ってしまえば、日本語では原始的なものと訳されてしまいがちだけれど、実際は根源的なものと私は解釈している。

フランスの民族学者であり、人類学者のクロード・レヴィ=ストロース著「野生の思考」という大変難解な書物を読んでいるのですが、体感覚として「わかった!」ということがこんなにも嬉しい本に生まれて初めて出会った。(ああ、もっと若い頃に出会いたかった!)

彼は1960年代にすでにgoogle検索機能の前身となるものをその研究の中で導入しようとしていた。にもかかわらず、「私の知能は新石器時代の人間の知能なのである」と著書にある。

それが何を意味するか。自然から切り離された社会構造は袋小路だと、真の発展はないと言っているのだ。

レヴィ=ストロースは常に即興で講義を進めるタイプだったとか。それは実に珍しく、フランスの多くの教授は(多分フランスでなくとも)あらかじめ原稿を作って用意する。しかし、彼は簡単なメモや資料を手にし即興で講義を進めたそうです。それを農耕民族ではなく、狩猟民族派だと感じていたのでしょう。「一定の土地を上手に耕しておき、年毎にそこから収穫を得る資質に私には欠けていた」と、書き残しているところがなんともチャーミング(笑)。

しかし、これを読んで私は俄然元気になってしまった。なぜなら、私のレッスンも常に即興だから。市場で気になる花材を買い求め、あとは野となれ…的なブリコラージュをしてきたからです。それが私にとって、プリミティブであるからだ。

レヴィ=ストロースが言う新石器時代とは、日本では縄文時代くらいのこと。現代人の脳と同じ構造へ進化を遂げた時代です。

しかし、歴史が人間をもっと賢くした様に思わされているけれど、単なるハリボテを作っただけなのかもしれない。いずれ劣化するものを。

縄文時代の知性を取り戻すことが実は新しいのではないか。なぜなら、数千年の歴史が覆い隠してしまったプリミティブな思考だから。再発掘する事で現在に生かせたらそれは新しい秩序を生むのではないだろうか。

そんな希望が私の中にあり、今とってもしあわせなのです。
言葉で伝わらないものを私なりに花で伝えて行きたい、そんな気持ちです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?