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【 優しく包む手〜解決しようとしない〜】

このnoteは「玉城ちはる」と「なお」の共著です。
今回は「玉城ちはる」の執筆です。


なおちゃんが私の娘を優しく抱っこしてくれました。

近づいてきたなおちゃんを先に力強く
優しくぎゅっと握りしめたのは娘

どんなに小さな手も 
赤ちゃんたちの力強く握り締める指や
手のひらはとても優しく 

抱いているようで抱っこされているような
包まれるような幸福感がある


久々に再会したなおちゃんは、初めて息子と共同生活をしたときのような動揺もなく
「赤ちゃんは泣くもの」と腹を括り堂々と向き合っていました笑

よく2人目の子供を産むと助産師さんに「さすが経産婦さん」と声をかけてもらうのを思い出すような

『そうよね、2人目ともなれば慣れたもんよね』となおちゃんに言いそうになるほど、堂々としてみえました笑

また、お互いこのエッセイを書いてきてお互いこんなことを思っていたのか!?
という気づきを経たからなのか
多動な息子への対応も慣れたものとなり、少しくらいあっちこっちに息子が走り回って消えて行っても
私が動じてないとなおちゃんも、
『まぁ大丈夫なのだろう』と細かく息子に言う感じもありませんでした。

息子は相変わらずなおちゃんが大好きなようで、
なおちゃんを見た瞬間から一緒に暮らしていた頃にさっと戻って、
まるで何事もなかったように「お姉ちゃん、ゲームしよう」と、さも昨日もしているいつもの事をお誘いする感じで甘えまくっておりました。


そっと娘を抱き上げてミルクを哺乳瓶であげる様子も様になっており、ありきたりですが幸福感が漂っているように見えました。

また1年近くぶりに再会して、私が勝手に思った事ですがなおちゃんが纏っていた「死にたいオーラ」みたいなものがかなり薄れ
たまに起こる死にたさみたいなものは抱えてはいるものの、

「はいはいまたいつもの死にたさね」と流せるようになった感じ?といえば伝わるでしょうか?
深刻に悩み私に捲し立てるようなLINEをすることもなく(笑) 昔から論理立てて物事を見る所は変わりませんし、ヒステリックな所は全くありませんが
受け流せる余韻のようなものを纏ったとでもゆうのでしょうか

すっかり雰囲気が変わっていました。
もちろん浮き沈みはあるのだろうけれど
昔からの同僚と久々に再会して、
まるで仕事の愚痴程度に死にたさについて客観的に日々の話をする会話をしました。

なおちゃんとの深い関わりがもう3年以上となったおかげだと思うのですが
私の中で寄り添いで必要な事として

「解決しようとしない」という思いは、蓄積された経験から確かなものとなりました。
子育てと似ているというと大の大人のなおちゃんに失礼ですが
「どんなあなたでも一緒に生きてゆきますよ」という寄り添い、それをできれば何年も積み重ねることで気がついていたら解決していたという事を共に歩いてくれたおかげで得ることが出来ました。
これは、私もなおちゃんを愛し、信頼しているし、
なおちゃんからも愛され信頼されているからではないかと思っています。

誰かれなしに助けるという事は出来ないまでも

解決しようとしない 

という私の思いをプラスの意味で理解して受け入れてくれる方と
長く向き合ってゆくことができれば
ひきこもりという課題に対してのひとつの解決策になるのではないかと思いました。


単身赴任先の主人のマンションに
主人、息子、娘、私、なおちゃんで
仲良く雑魚寝 笑


不思議な私たちの一風変わった家族?親戚?仲間?の形がそこにはありました笑笑

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