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自殺の影響力


自殺の影響力


先日、友人と話している中でこんなことを言われました。

「あなたは自分に影響力があると思いすぎだ。
 そこに関しては自信満々だよね」

私は、何かにつけて「自分のせいだ」と思う節があり、究極的には自分がいなければすべての人が幸せになると思っています。
友人は私のそんな自責癖を和らげようとしてそう言ってくれたのだと思いますが、私はこう考えました。

「それなら私が死んでもなんにも影響しないじゃん」

そういう話じゃない、ということは分かっているのですが、影響力がないのであれば、生きていても死んでいても何も変わらないと思ったのです。
そこで私は、また「なぜ死んではいけないのか」考え直すことになりました。

その結論が
「私が死ぬことには大した影響力はないが、自殺そのものには影響力がある」
というものでした。

ニュースでは毎日のように、誰かが死んだという知らせが流れてきます。
病気であったり、事故であったり、殺害であったり、自殺であったり。
中でも、「殺害」「自殺」は、病死や事故死よりも大きなショックを残すと思います。
そのとき、「誰が死んだか」ではなく、「自殺で死んだ」ということそのものに、私たちはショックを受けているような気がします。
死んだその人のことを、私たちは知りません。
でも、悲しんだり、憤ったりします。
それは、「自殺」や「殺害」そのものに対してであって、死んだその人に対してではないのではないでしょうか。

以前読んだ本に、「幽霊人命救助隊」という作品がありました。
自殺した4人の幽霊たちが、天国に行くため、100人の自殺志願者を救うという物語でした。
数多くいる、様々なパターンの自殺志願者たちを、あわてふためきながら救い続けるうちに、自分自身の自殺とも向き合うことになるストーリーです。
その中で私が最も心に響いたのは、「自殺の影響力」を物語る場面でした。
ネタバレになってしまうので詳細は省きますが、あぁ、だから自殺は駄目なんだ、と思わされたエピソードでした。
また、その作品には、芸能人の自殺によって自殺者が増えるということも書いてありました。
それはウェルテル効果と呼ばれるものだそうです。
マスメディアの自殺報道により、影響を受け、自殺者が増える現象のことをいいます。

自殺そのものの影響力というものは多大なものがあるようです。
私は、「私が死ぬ」ということにばかり固執して考えていて、「自殺」そのものの影響力についてはあまり考えてきませんでした。
「幽霊人命救助隊」を読んだことで、自殺の影響力を思い知ることになりました。

しかしそこで「あなたには影響力がない」と言われて、私は疑問を強くしました。
「自殺には影響力があるはずなのに、私に影響力がないなんてことがあるのだろうか」と。
しかし確かに、「私」にはそこまで影響力がありません。
なんでもかんでもが私のせいであることなんかありえません。
私はどうしても、「私がいなくなればみんなが幸せになる」という考えから抜け出せませんが、冷静に考えればそれは非現実的です。
私がいなくなったからといって、急に誰もが幸せになるなんてことはありえないでしょう。
結果として、「私には影響力はないが、自殺という行為自体には影響力があるのだ」と考えました。
「私が死ぬ」ことが悲しいのではなく、「自殺」という事象が悲しいのではないか。
勿論、近親者や知人友人では、違うと思います。
私は学生時代後輩を自殺で亡くしたことがありますが、私は「彼が死んだこと」がとても悲しかった。
カラオケで、一人では歌えない歌を一緒に歌ったり、ゲームをして楽しんだことがありました。
控えめだけれど聡明な彼の笑顔を思い出すと、やっぱり悲しいです。
そのときは「自殺」という死因に衝撃を受けたのは確かですが、やはり「彼が死んだ」ということが一番悲しかったのを覚えています。

死というものは、多かれ少なかれ、人に悲しみを残し、影響します。
しかし、私たちは「自殺」というワードに影響を受けすぎているのかもしれません。
「自殺」ときくと同時に無意識に原因を探し、いじめや社会に怒りを持ちすぎているのかもしれません。
結果として「自殺をすれば自分を認めてもらえる」と思える人を増やしているのかもしれません。
もちろん「よくあること」で済ませてしまったりしてはいけないことで
今の社会は変わらなければならないとは思います。
ただそのための方法が、悲しみと憤りを噴出させるだけではいけないのかもしれない、と私は思いました。

自殺には影響力がある。
それはどんな影響なのか。
他者を自殺に巻き込むのかもしれないし、誰かを鬱にさせるのかもしれない。
鬱にさせた結果、その人もまた自殺に走るのかもしれない。
また、別の誰かが「自分も」と自殺を選ぶきっかけになるのかもしれない。
自殺を考えるときは、そんなことを考えている余裕はありません。
自分が死ぬか死なないかだけで精一杯です。
自殺は一世一代の決断。
理由がどうであれ、すべての自殺はそうだと思います。
そんな時に他人のことまで考えていられません。
だからこそ、自殺を考える人は、余裕のある時に、なぜ自殺はいけないのか、ということを考えておく必要があるのだと思います。
自殺は自分の責任で行うものです。
すべての責任から解放されるために行うとしてもです。

先にご紹介した「幽霊人命救助隊」という作品は、
自殺に発展する社会問題に深く切り込み、自殺する人の気持ちを丁寧に描きながらも、何故自殺はいけないのか、という部分までしっかりと描かれた作品です。
ご興味のある方は、是非、読んで頂きたいと思います。


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