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悪夢の中で生きているよ。

ちゃんと、した、大学生や高校生をそのまま大人にしたような人たちの中で、いきています。
タバコの煙を肺に入れ、自分のちゃんとしてなさをきちんと考えながら、いきています。
アーティストの曲がだんだん明るくなって、ライブのチケットが取れなくなるように、人気になっていく中で、生きています。
大事な子が、食いつぶされ、その様を、聞き、あぁやっぱりちゃんとした大人って無知で考えなしなんだなと思いながら、現場に乗り込まずに、きちんといきています。
眠れずに、明るくなって、けれど散歩に出ようとも目眩と痺れがあるこの身体では、外にも出れず、自分から願って入った大学に、この春からは1週間も行けずに、こもるようになりました。久しぶりに行った部室で、歌えもせず、ただ先をゆく人の優しい歌を聴いて、音を聞いて、泣きそうになりました。
傷も増やし、真っ赤になり腫れている、それを、嫌いながら、けれども嫌いきれずもできずに、いきています。

もうお湯もぬるくなった湯船で、体をふやかしている、今日の夜。
新しく考えられた、いちごの甘い飲み物で少し微笑み、不器用な人と共に時間を過ごし緩んだあと、またすぐに戻ってきたこの私の日常。ふと、思い出したのは、私の不甲斐なさと、掴んで、すがって、追い払ったいつかの記憶。そんな日。

いつか、よくなることがないのは、もう十分に、十二分に、学びました。目の当たりにしました。
楽しかった日々も過去になり、それが哀しさや、自分の愚かさ、自分勝手さに気づくものになります。
甘えてばかりの私は、たくさんの人に刃物のような言葉を吐きました。今もそれは変わってないでしょう。
未来なんて、いつかなんてわからない。たくさんの中から得たものはそれだけではなく、たまに過去の自分が考えつかないようなことが起こること、そしてその事柄の中に自分が、飛びこめてしまうこと。そんなことも判りました。いきています。

悲しんでくれる人や、興味ないよと言いながら一緒にいてくれる人、何も言わずに帰っておいでと言ってくれる人、いつもそばにいると言ってくれる人、歩いては到底行けない距離から、時間をかけ何度も私を訪ねてくれる人、会った時に微笑んでくれる人、私が通えていない場所から気遣ってくれる人、予定を断ってもそれでも気遣ってくれる人、たくさんの人の想いをうけ、助けを受け、ぎりぎりかもしれないけれどいきています。

私の悪い癖や、気分の落ち込み高ぶりに、変化はないです。薄々気づいてた病名はもしかしたら、もうすぐ確実になるのかもしれない。悪いことではないけど、未来は怖いものです。
先生たちの思いやりや、いかなくても単位を取れるようにしてくれる配慮のメール。その待遇を受けてなお、そのことすらできない私は、その想いの糸を、切ってはしまわないか、心配しつつ、しかしやっぱり、動けない。これは、怠惰でしょうか。それとも、疾患でしょうか、欠陥でしょうか。

体さえ動いてくれれば、できることもあるのに、体さえも思い通りにさせてくれないのは、私の期限がきたんでしょうか。
少し前に通っていた病院の先生が言った言葉も、今の私に深く刻まれています。就職の時、仕事に就いた時、この診断書にある鬱傾向なんてことは、内定から、継続的な勤務から遠ざかる。そんなことはわかっています。けれど、それを聞くには私の準備ができた状態ではなかった。逃げるように薬も何もかも切れるのを放置して逃げました。ずっと頑張って通っていたけれど、もう無理でした。
アルバイト先の店長に言われた、言葉が、こだまする。全てをなくすのではなく、何かはやってみたほうがいいのではないか。確かにそうです。それにそうありたいと思っています。体が動けば。以前、彼は、キツイ人なんだと思っていたけれど、思い返してみれば、かけられる言葉には優しさがあります。働き始める時に言われた、この4年間ここで働いて、それから社会に出た時、社会のことを少しわかるようになっていると思う。という言葉の通り、教えてくれています。理不尽の説明も、体調不良の時の身の振り方も、人との関わり方も、分かるように理解できるように説明してくれます。彼の仕事の一環かもしれないけれど、やってもやっても無くならない仕事の時間を割いて、私が理解できるまで説明してくれたこと、きちんと覚えているんです。そしてわがままばかりの私の名前を、休みばかりの私の名前を、まだ消さずにいてくれているのは、本当にありがたいのです。

眠りにつけるかわからない布団に入り、悪夢を見るかもしれないのに、また誰かを失う夢を見るかもしれないのに、眠りたいと願います。
生きてさえいればいいよと、私に思う人がいることが、重くてしんどくて、でもありがたい。でも重くて、おもい。ごめんなさい、ごめん。

おやすみなさい。1日。

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