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生還8・化学療法1コース目

出口の見えないトンネル

CVポート留置の翌日。ついに化学療法が始まります。
朝一番に採血検査があり、CVポートとカテーテルの状態を見るためのレントゲン検査もありました。その後の朝の回診は主治医のT先生で、インターンと思しき若いドクターたちを引き連れてのご登場。この病院の外科ドクターたちは徹底した患者ファーストの取り決めがあるのか、それとも仲がいいのか、回診のときもチーム制で何やら楽し気に回っていらっしゃるのが常です。そんな外科チームでも、ひとりのドクターが一度にこんなにたくさんの若いドクターを連れているのは珍しいことで、少し驚きました。そういえば、T先生は大腸癌の手術に関してかなりのエキスパートだと消化器内科のK先生が話しておいででした。若き精鋭たちよ、立派な先輩から多くを学んでください。あ、順番にCVポート見るんですね……これ最新式のポートらしいですし。皮膚の上からだと輪郭しか分からなくて、肝心な最新部分は見えませんが、わずかながら若いドクターたちの学びのお役に立てていれば光栄です。

血液検査の結果が出てから、先生のゴーサインで化学療法がスタートします。まずは吐き気止めの内服薬からです。アプレピタントカプセル125mg、嘔吐恐怖症(仮)の私にとって命綱のようなお薬で、化学療法開始の1時間前に飲みます。さらに開始間際になると、心電図モニタの電極が取り付けられてゆきます。このモニタにはパルスオキシメーターもついていて、心臓付近の電極と指先からにょーん、と何本ものラインが本体に向かって伸びており、私のサイボーグっぽさがさらに強化されました。本体は厚みのあるスマホ、というサイズ感のモバイル式で、専用のネットに入れて点滴台にひっかけたり、入院着のポケットに入れたりして常に身に着けています。というのも、抗がん剤投与初回は特に入念なモニタリングが必要だから、だそうです。(後述しますが、私は初回のみならず結局6コースすべての回でこのモニタくんと行動を共にしました。もはやペットです)

そうして準備が整い、ついに点滴が始まりました。CVポートも初仕事。末梢静脈からの点滴だと、針を刺すのに看護師さんも苦労されることが多いのですが、これは確実に一発で針が入るうえ、ちょっとチクッとする程度ですから刺すほうも刺されるほうも楽ちんです。
初めの15分間は前投薬。これも吐き気止めがメインです。この薬でもたらされる眠気が実は救世主なのですが、このときは知る由もありませんでした。その事実に気づくのはもっと後のことです。緊張もあったし、好奇心もあったし、頻繁に状態チェックしていただくという事情もあったしで、初回は眠ってしまうことがなかったのです。
前投薬が終わり、いよいよ抗がん剤が入ります。まずはエルプラット(オキサリプラチン)から。初めのうちは特になんということもありませんん。何やらカッコいい輸液ポンプもついているし、末梢からの点滴と違って腕を動かしたら落ちにくくなるなんてこともないし、順調に滴下されてゆきます。途中でトイレに行った折、手を洗ったらかすかにピリピリっとしたので「おっ! これが副作用の説明で聞いた『しびれ』というやつね!」と未知の体験にちょっとワクワクしてさえいました。
2時間かけてエルプラットが終わると、イリノテカンとレボホリナートが続きます。ここまでは幸い軽いしびれだけで、特に気になる副作用は出ていません。副作用がまったく出ない人もいるそうですから、もしかしたら私もそんなタイプの人なのかも? と、思ったところで。
強烈な腹痛がやってきました。
イリノテカンの副作用のひとつ、下痢症状のようです。ここで焦ったのは、ストーマのことでした。ストーマになってからこんな下痢症状は初めての経験なのです。ストーマ造設以降、便意とは無関係に排泄があったので、この強烈な便意と排泄器官が結びついていないことにどう対処していいか、わかりません。自力で排泄できないのに、便意だけが強くなるというのは、かなり恐ろしいことです。理論上、大腸が閉鎖されている以上トイレへ行っても意味がないだろうと思いつつ、どうしようもなくてトイレへ立ちました。
すると突然、全身から一気に汗が吹き出し、手足が震えてきました。
尋常ではない、と直感し、ナースコールを押そうと思うのですが、一旦降りてしまったベッドがとても遠いのです。もうストーマのことも忘れてとにかくトイレへいきたいし、どうしよう……と切羽詰まったところで、別の患者さんのところへいらしていたスタッフさんが丁度通りかかられました。看護師さんではないようだったので「すみません、具合が悪いのでナースコール押してください」と、お願いしました。
が、このとき、呂律が回らないことに気づいたのです。その瞬間に、パニックに陥りました。今になって自分なりに分析すると、実は、私は作家以外の複数の生業のひとつとして、ずっと以前からしゃべる仕事もしてきましたので、呂律が回らない、というのはプロ野球のピッチャーが腕を上げられなくなるのと同じくらいの衝撃だったのです。CVポート留置で喉に違和感があったところへ、思うように舌が動かないという症状が現れたことで、しゃべることにはプロとしての矜持があった私のアイデンティティが瞬間的に崩壊したような、強烈なメンタルダメージだったのだと思います。

メンタルのダメージは体にも非常に大きな影響をもたらすのでしょう。思うようにしゃべれない、と自覚した時点から、私の体は私の制御下から完全に外れてしまいました。
イリノテカンを入れてからの副作用は強烈でした。ストーマにも水様便は溜まりますし、閉鎖されている大腸も激しく動き排泄するものがないはずなのに便意が止まりません。体の震えもどんどん強くなり、舌から喉にかけてのなんともいえない不快感も増してきて呂律が回らないどころか声も出なくなりました。何とかトイレから出ても、正直なところ呼吸をするだけで精一杯、ほんの数歩分しか離れていないはずのベッドまで中々たどり着けません。しかも、全身汗まみれです。
ナースコールを押していただいたので、看護師さんが駆け付けてくれたのですが、しゃべれないため症状を伝えられないことが、更にストレスと恐怖感を煽ります。声が出せないこと、下痢でお腹が痛いこと、全身が不随意に震えて気持ち悪いこと、鼻水や唾液が次々と湧き出してくること……伝えたいことがたくさんあるのに、言葉は出ないし、震えに加えてこわばりもでてきてジェスチャーさえうまく使えず、もう八方塞がりなのです。
しかし、そこはさすが看護師さん。第三者の目にも見える、異常な発汗という症状だけからでも色々察して、ドクターを呼んでくださいました。

落ち着いてから知ったのですが、主治医のT先生はこの時手術中で、そのほかの外科の先生方もそれぞれ手が離せなかったようでした。そこで登場したのが、朝の回診でお会いした若きインターンのドクターです。考えてみれば、このドクターに連絡がいくまでには相当多くの内線電話が飛び交ったのでしょう。その時の最速最善の方法をチョイスするために、手を尽くしてくださったのだと思います。若きドクターは、途切れ途切れに不明瞭な声でしか話せない私の説明を辛抱強く聞いて、状態を見極めようと努めてくれました。
しかし、何か決断することはなく「ちょっと待ってくださいね」と、去ってゆき……しばらくして、別のインターンドクターがやってきて、更に乳腺外科の先生が……。このままだと脳神経外科とか、なんなら皮膚科やら産婦人科やらの先生がたにまでご迷惑をおかけするのでは……と、恐縮のあまり意識が遠のいてきたときでした。
「はい、イリノテカン一度止めましょう。マグネシウム、いきましょうか」
凛とした、初めて聞く声です。
「看護師のAと申します。辛いですね、一旦休みましょう。遅くなってごめんなさいね。もう大丈夫ですよ」
え、Aさん? って誰? 看護師さん? ええ? ドクターが決めかねた対処法を決定できる看護師さん?
っていうか、この登場の仕方はもうただのヒーローですよね!

そう。
この人こそ、この病院の化学療法センターを背負って立つスーパーナース、Aさんだったのです。専門看護師なのか、認定看護師なのかは確認したわけではないので定かではありませんが、このあと何度も私はこのAさんに救われることになります。誇張ではなく、本当にヒーローでした。
実際、イリノテカンの滴下を止めて、ほかの看護師さんたちが汗を拭いたり、溜まったパウチの処理をしたりしてくださっているうちに、少し落ち着いてきました。Aさんはマグネシウム点滴の様子やバイタルをチェックしつつ、「T先生には連絡がいっていますからね」「大丈夫ですからね」と声をかけてくださいます。自分で制御できない体の異変、しかも急激な状態の変化で一種のパニックに陥っていた私を、その声が救ってくれました。

結局、マグネシウム点滴を終えてから再度バイタルチェックをし、残りのイリノテカンが五分の一くらいだというので、滴下スピードを落として再開することになりました。まだ舌から喉にかけての違和感が強くて喋ることはできませんが、全身のこわばりと震えはややおさまってきていましたから、なんとか耐えられました。とはいっても、マラソンでもした後のような疲労感でぐったりしていて、5-FU(フルオロウラシル)のインフューザーポンプがCVポートに接続されるまでの記憶は曖昧です。ただ、この時初めて接続された実物のインフューザーポンプ内部のバルーンを見て「なんか可愛い」と思うくらいの余裕はあったみたいです。500mlペットボトル半分くらいのサイズ感の透明ボトルの中に鎮座するこのバルーン。中に薬剤が満たされていて、バルーンの縮もうとする力でCVポートから血管へ流される仕組みだそうです。こういう系統のことをド文系が深く考えるのは、元気な時でもやめておいたほうがいいので、この疲れ切った状態で「バルーン、丸っこくて可愛い」と思えれば充分でしょう。大体、この時点で私の体にはCVポート経由のインフューザーポンプ、心電図モニタとパルスオキシメーター、ストーマパウチ、そして水分と吐き気止めなどの追加薬剤を入れるため末梢静脈を経由する別ルートの点滴、と過去最多の付属物が接続されていたのです。人間の体によくここまでいろんな難しいものをくっつけられるな、と思考を放棄したくなるのも無理はないと思います。立ち歩くたびにそれぞれのラインが絡まないようキープするのが精いっぱいでした。ただ、5-FUにはあまり激しい副作用がない、というのが唯一の救いです。おかげで1コース目開始から約8時間後、ひとまず最初の山場を乗り越えました。

しばらくして、T先生が手術着のままでベッドサイドまで来てくださいました。お疲れのところ、すべての情報を把握して、説明にかけつけてくださったようです。私自身はとてもきつかったのですが、何しろ初めてのことなのであの副作用がどの程度のレベルのものか分かりません。実はたいしたことのない副作用症状だったのに、大騒ぎしてその情報を手術中のT先生の耳に入れる事態にまでなってしまったのだとしたら、大変申し訳ないことです。
しかし先生によると、副作用そのものも強く、アレルギー反応で余計に症状が激しく出たのだ、とのことでした。そのうえで、先生から「次回からは、前投薬にアレルギーを抑える薬と、副作用を抑える薬を何種類か追加して、点滴のスピードも遅くしましょう」とご提案いただきました。なるほど、副作用軽減のための薬というのは制吐剤以外にも色々あるのですね。
それなら楽になるかも……。
……それでも、残りはあと5回あります……
これが、あと5回。
少しは楽になるのかもしれないけれど、でも、あと5回。
出口の見えないトンネルの中に立ち尽くす気分でした。






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