【「咲きたい場所で咲く」ではなく、そもそも咲ける場所は決まっている】
今日は私のこと。
四柱推命を約一年半学んでおります。
10年経ってやっと一人前といわれる世界。
人間というのはつくづく面白いものだと、そういう観点から人生の運気などを知るために四柱推命学を2022年から学んでます。
人と比べてしまうこと
「あの人はすごいなー」
「あんなこと、私にはできない」
そんなことを感じなかった人っているのでしょうか。
自分は自分とキッパリ割り切れる人は、なかなかいないのではないでしょうか。
人は人と分かっていながらも、やはり比較して憂いでしまうことありませんか?
私も、ずっと同じようなところにいる自分の甲斐性の無さに嘆くこと、しばしばあります。
四柱推命の観点からみますと、わたしのもつ命式(生年月日と生まれ時間から割り出した宿命のこと)のうち、生まれもった本質(日干)を表すのは「乙」です。
乙は草花をさします。(四柱推命では、干支や五行(木火土金水)を用いて、宿命を表します。 甲乙丙丁戊己庚壬辛壬癸の自然界の10パターン(十干)と十二支にそれぞれ当てはめます)
草花の乙は、粘り強く切られても踏まれても起き上がる。努力家でおっとりマイペースといった側面があります。人と群れて咲きます。
そんな草花の私が、ニョキニョキっと一人で突出したりドンドン突き進んでいくことは、本質的には難しかったりするんです。なるようにしかなれないといいますか。
どんな自分にもなれる! というのは、正解のようで不正解だと思っています。
もちろん、この自然界の10パターンだけで人の性格・特質は分類されているわけではないのですが、持って生まれた本質と違う生き方をすると生きづらさを抱えることになるのではないかと感じています。
自分の本質にあった場所でないと満開には咲けない
もちろん、生まれ年や月や時間(四柱)によって、干支との関わりによって、この10パターンの意味合いは少しずつ異なってきます。
乙の人は、庚のようには生ききれないのです。
(生きるのはできるでしょうが、心から生ききることは無理があるという意味です)
ネガティブでも何でもなく、人にはその人なりの生き方・活かし方がある。
ということです。
これって、現代でいうダイバーシティだと思いませんか。
行きたい場所、なりたい自分を目指すのも有りです。
ですが、本質を活かすという点では、自分の本質を分かったうえでどの場所がいいのか、本質を活かすならどんな風になりたいのか が遠回りなようで、あきらめのようで、実は最適なのです。
そんなことをここ数日考えていました。
みなさんは、どのような場所で咲こうとしていますか?
よりよく生きているのなら、それはあなた自身が選び取ってきた何よりの強み。
もし今、思うようになっていないのであれば、それは天命までの伸びしろがまだまだたくさんあるってこと!
そうなるには理由があり、そうなっていないには理由があるんです。
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