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BL小説『青春の頂』

【拓海】
もしこれから先、与えられた言葉しか口にできないのなら……。大地くん。僕はあなたの言葉を選ぶでしょう。
あなたが書いた言葉は、あなたのこころを表すだけでなく、僕の存在をくっきり浮かびあがらせていました。
あなたは、僕にたくさんの言葉を授けてくれた。僕は、あなたの言葉を朗読した。
高校までしかいっしょにいなかったあなたから連絡が来た冬の朝。あれから十年の月日が経ったんですね。
あなたが僕たちの故郷にいまも住んでいる。そのことにちっとも驚きませんでした。
街に残るひと。街を飛び出すひと。ふたりのあいだには何があるのか。僕にはよくわかりません。
ただ、高校三年生のあの日。"旅立ち届け"をあなたは僕の目の前で燃やした。ゆらめくちいさな炎を見つめながら、あなたは残るひとになるだろうと僕は確信しました。そして、僕は羽ばたくひとになるだろう。いや、羽ばたかなくてはいけないと強く信じた。だからこそ、僕は東京というさわがしい街に根を下ろしたのです。
もし僕がネットに自分の存在を示さなければ、あなたに見つかることはなかったでしょう。
この再会は僕たちにとって本当に、良いものだったんでしょうか?
あなたの小説を僕が読む。少し演技をかじったゆえに、あなたの幼なじみであるがゆえに、あなたの作品を僕は声にのせて、かたちにした。
そう、あなたのいのちに色をつけたのは、僕なんです。
その色は、言葉にするたびに、僕の身体にも染み渡りました。十年という月日を経て、僕という透明な役者にも姿形がつくられた気がします。
僕は『個性』というものを信じずに演じてきました。台本が、僕を舞台に縫い留めてくれる。僕というとらえどころのない布を縫い留める、しっかりとしたまち針。それが大地くん。あなたが書いた言葉だった。
十年のあいだに、僕たちは変わりましたね。
僕は白髪の俳優になり、あなたは覆面作家として名を馳せた。あなたは、僕を利用したと、何かのインタビューで話していましたね。それはちがうでしょう。いや、もしそうなら僕だって、あなたを"使った"のですから。
僕はあなたの小説を"使う"……朗読として世に送りながら、不安になります。
あなたの作品に色をつけたのは、まちがいなく僕の声でしょう。
僕の体にとってはとても幸福なことだけど、あなたの紡いだ小説にとっては幸せなことだったんでしょうか? あなたの作品に適した翼を与えられる役者が、この世界にいたんじゃないだろうか?
あなたが僕を……僕だけを頼れば、優越感と同時に至らなさを味わうのです。あなたの作品を演じるたびに思います。
僕は、あなたの美しい翼になれましたか?

【大地】
なんにでもなれるという若さゆえの無謀なこころ。
何かを書くたびに忘れてはいけない感情だと思っていた。しかし人間、三十五を超えると、どうしたって自分の歩む道の先が見えてしまう。
見えてしまうと終わるんだよ。青春が。恥ずかしいくらいまぶしかった青春が。俺は、俺にとっての青春はずっとずっと終わらないような気がしていた。故郷に残り、地元の文芸雑誌に小説を送る。
熟すことを知らない、あほな青い果実。それが俺なんだとちっとも疑っていなかった。
いつからだろう。周りの言動が幼いと感じるようになったのは。
感情の振れ幅が大きくてコントロールできず、ひらめくままに言葉をネットの画面に叩きつける。そんな人々を、幼なくて、幼なくて、ああ、愛しいと思った。そのとき、もしかしたら俺は自分をある程度コントロールできていると感じているんじゃないかと気づいた。
それは、作家としては恐ろしいことなのかもしれない。とらえどころのないこころから生み出す言葉だからこそ、一片、一片が輝く。そう思っていたのに……。
そんなときだ、拓海。きみを見つけたのは。
学生時代は言葉少なだったきみが、あんなにきらきらした大人になるなんて……。演技しているきみは、俺が見てきたきみよりも"生きている"感じがした。
東京という陽の光を浴びて、大きく成長して花を咲かせた。俺にはそう見えた。
じゃあ、三十五年間ふるさとを離れずにただ書いてきた俺は、熟す機会を失った腐った種なんだろうか?
十八歳まで俺たちは、同じように港町の空気を吸い、同じように何の役に立つかわからない授業を聴いていた。いや、同じようにと思っていただけなのかもしれない。
与えられたものが同じでも、身に宿したのは全く別の種だった。だから、きみは花が咲いたんだ。
俺は自分の小説に、きみの花が添えられたら、少しは派手になるんじゃないかと思った。
高校生三年のあの日。"旅立ち届け"を俺は燃やした。
賢い俺は、このちっぽけな街でしか生きられないとわかっていた。
世界が怖かった。世界を見れば、世界に絶望する。
都会の交差点を歩くより、ふるさとの裏通りを歩いて、物語の種を探す。
そんな人生を俺は選んだんだ。選んだのは俺自身だから、種が腐ったとしても受け入れるしかなかった。

【拓海】
誰かを愛したら、"旅立ち届け"を書いて街を出ていかなければならない。
僕らの街に住む学生たちは、みんな従っていましたね。街の人同士で愛し合うと血が濃くなるから……でしたっけ。
あなたの想いに僕が応えた翌朝。クラス担任が僕らに告げた言葉。
あなたは笑って、言い返した。
「男同士なら、体をつなげても何も生まれませんよ」と。
すると担任が、「可能性の話だ」と怒鳴った。
可能性……。もしかしたら僕らの血は特殊で、僕は大地くんの子を体に宿すことができたんでしょうか。あの夜のようなことを僕らが続けていれば……。
あなたが亡くなり、あなたが僕に渡せなかった手紙……これは手紙ですよね? あなたのお姉さんから僕宛てに届きました。
大地くん。あなたの綴った秘密の言葉を読んでいるうちに、願うようになったのです。
あなたの遺したものが、もっと欲しい。あなたが創り出したものを、もっと僕は受け止めたかった。
たった一晩のことなのに、あなたと愛し合った夜は僕の青春でした。
あの夜が青春の頂で、あの夜が青春の終わりだった。あなたがくれた熱を、僕はいまでも思い出します。自分でも怖いくらいです、何十年経っても体が覚えているなんて。

【大地】
もし自分の命がまもなく尽きるとわかったら、俺は拓海に会いたくなるだろう。ずっとそう思っていた。なのに、本当に死期が迫ると、俺は……。
拓海。"旅立ち届け"を書いたふたりはな、一生会えないんだ。
俺はわかっていて、でもきみにふれたくて、自分の衝動を肌で味わいたくて、きみを……。
"旅立ち届け"を書きながら、きみは泣いていた。こんなのおかしいって。俺は何も言えなかった。この街を飛び出して離れ離れになっても、きみは俺を探し出すだろう。
俺もそうしたかった。
……ずるいよなあ。あのクラス担任。もし再会したら街に連れ戻す。俺にしか警告しなかったんだから。
いまの時代は便利になったな。きみと顔を合わせなくても、たくさんの言葉をきみに届けられた。
俺は言葉で、きみを作り変えていったと思っている。きみが何を食べようか、何を着ようかと考えるとき。その選択にはきっと、俺がきみに読んでほしいと伝えた小説の人物の選んだ道がひそんでいるはずだ。
これが作家が役者にしかける罠だ。無意識にみんなやっている。
俺は考えて、やった。本当に旅立ったあとのこと……この世からいなくなるときのことを考えていた。
この街で人生を終える。覚悟していたけど、もっともっと、きみにふれたかった。
きみにふれたあの夜は人生のほんの一瞬のことなのに、いまでも思い出す。
俺はもっと、きみの体に痕を残したかった。きみの生きる道に、俺の想いを滲ませたかった。悪く言えば……きみがわからぬままにきみを支配したかった。
これはもう愛情ではないだろう? 少なくとも純粋な気持ちではない、あの頃とは変わってしまった。執着だ。東京で輝くきみをかつて愛した男の自惚れ。そう片付けていい。
……ああ、やっぱり。俺はきみに、もっと言葉を告げたいようだ。こうして書いている想いをぶつけて、きみをぐちゃぐちゃにしてやりたくなる。そうすれば、きみは俺を忘れないだろうか?

【了】

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