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目先の楽しみで生きてた私が思いがけない小さな幸せの良さに気づいた話


TAMAKI WILL YOU MARRY ME!

ある朝友達が、「プロポーズされてるよ!」って送ってきた一枚の写真

I love you!とか、Marry me?(質問文)とかではなく、TAMAKI WILL YOU MARRY ME!(ほぼ命令文)って…

いや、予想外すぎるでしょ!!?ナニコレめっちゃ嬉しい(もちろんガチのプロポーズではないと分かってますが)


フォルケホイスコーレでの生活は、とにかくこういう思いがけない、小さな幸せに溢れていた。

例えば、

暇になって見学してただけの合唱のクラスで、友達が一人だけ表現豊かに踊りながら歌ってたりとか、

誕生日でもなんでもないのにちょっとした手作りプレゼントをもらったり、

普段あまり話さない子と共通の趣味の話題で盛り上がるとか、

朝の集会で校長先生が「昨日、おじいちゃんになりました!」って発表して拍手が沸いた後ひとりの生徒が立ち上がって「昨日、叔父さんになりました!」って発表して更に拍手が沸いたり、

予測できない違う毎日を届けてくれる。


私はつい最近まで「目先の楽しみ」を目標にして生きてた。「目先の楽しみ」は友達とご飯行くとか、お金がこれだけ貯まったらこれを買うとか、海外旅行行くとか、叶いやすい目標ならなんでもいいんだけど、なんとなく最近その「目先の楽しみ」がそう簡単に叶わない気がしてきた。特にコロナで。

いわゆる自粛生活が始まって間もない頃、私はその「目先の楽しみ」がなくなり、なんもやる気が出なくなった。

でも、フォルケで思いがけない小さな幸せの素晴らしさに気づいて「目先の楽しみ」に縛られるのは辞めようと思った。なんとなくそれって考え方が都会的というか、何か追われているような、余裕がなかったり、もしかしたらその目標以外のことが見えなくなっていたり、気付けなかったりしたのかもしれない。あと、いざそれがなくなるとやる気も無くなる。

ただ勘違いしないで欲しいのは、決して否定してるわけではない。なくなったら違う目先の楽しみを探せばいいとも思う。星野源も目先の楽しみは大事、ってどっかで言ってた。ただ、それが唯一の幸せ、生きがいだ、って思い込むのは良くないのかな…と。

フォルケで感じたことはいろんな人と過ごしてるからこそやってくるものなのかもしれないけど、例えば思いがけない幸せと孤独と言えば…

孤独のグルメ

ただただおじさんが美味しいもの食べてるだけのドラマ(漫画)なんだけど、すごい好きなんです、孤独のグルメ。

あれも、主人公の鋭い感とか強運とかあるのかもしれないけど、事前情報無しに住宅街とかを歩き回ってめっちゃ美味しいお店に出会うとか思いがけない幸せでしかないでしょ。まあ、フィクションなんですけど。

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あとは、タルマーリーのパン作りのような。

タルマーリーは自家製酵母を使ってパンを作るパン屋。パンを発酵させるのに適した菌を純粋培養したイーストとは違い、菌の都合によって味も変われば、上手く発酵できない時もある。そうやって単一化されたパン作りではなく、失敗もあるが予想できない喜びを味わえるパン作り、仕事って素敵だと思う。タルマーリーの店主、渡邉格さんが書いた『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』良かったら読んでください。


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とにかく、予測できる楽しみもいいけど、予測できないからこその嬉しさって何倍も嬉しい気がする。期待、裏切りとかないし、ちょっとしたことでハッピーになれる。私も小さな幸せを届けられる人になりたい。