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雲間から光が差して

うちから徒歩10分ほどのところに
小さな神社がある。

氏神様ということで
三人のこども達のお宮参りは
そこでご祈祷していただいたものの

長男が生まれる4ヶ月ほど前に
この地に移り住んだ私達にとって
そこまで馴染み深い神社でもない。

私は神社に行っても
特別なものは何も見えないし
聞こえないし感じない。

うちには神棚もないし
神様の存在を思い出すのは
強烈な腹痛に見舞われ
どうにか治まるよう祈るときくらい。

そんなエセ信者の私なので
その神社にもたまに家族と散歩がてら
お参りする程度だ。



秋風が心地よい一粒万倍日の日
家族が出払い一人になったとき
お参りでも行こうかと思いついた。

おうち大好き引きこもり主婦の私を
そうやって誘い出してくれるだけでも
ありがたい存在だと言える。

神社への道は幾通りかあるけれど
いつもの道から途中
車の通りがほとんどない道を選んだ。

神社に近づくにつれ
別ルートは工事中で
通行止めになっていたことに気づき
この日の私はすでにツイてると感じる。



鳥居をくぐり手水舎へ向かったが
手を清めるのもためらわれるくらい
水はほとんど流れていない。

こじんまりとした境内では
数十歩で賽銭箱の前に到着する。

気が向いたときだけたまに来て
お願い事なんてするのも
厚かましい気がする。

全く見返りを期待していないとも
言い切れないのだけれど

今ある幸せへの感謝の気持ちを込めて
お札を一枚そっと入れる。

社務所も閉まっていて
私しかいない静かなこの空間で
なんとなく控えめに
鈴を鳴らし拍手を打った。



さて戻ろうと振り返った瞬間
目に飛び込んできた清々しい景色に
思わず息をのんだ。

五月のお祭りには巫女さんが舞う
壁のない開けっ広げな建物を通して
その先に参道が見える。

刈り入れからしばらく経ち
孫生えと呼ばれる新しい稲が
生えてきているのか

参道の両側には
黄緑色が鮮やかな田んぼが広がっている。

木々の濃い緑に雲の白と
すこしばかり空の青。

日の光に照らされた屋根は
輝いて見える。

今日初めて気づいた
この景色を拝めただけで
十分なご利益をいただいた気がした。



帰り道、ふと空に目をやると
ぽっかり開いた雲間から
光が降り注いでいる。

頑張ることこそが生きる意味と
いつからかインストールしていた私は

欲しいものを手にするためには
自分なりに全力を尽くし
それなりに望む人生を
歩んできたようにも思う。

ときにそれが無理だとわかると
散々悶え苦しみ

その執着をようやく手放せたときには
訪れた心の平穏さに
もう期待や欲望なんて持たずに生きようと
心に誓う。

それでもまた
心惹かれるものに出逢うと
誓いを忘れつい夢中になってしまう。

楽しむことこそが生きる意味と
思うようになってからも
今でも

そんなことを繰り返しながら
私は生きている。

今十分幸せだからと言って
それ以上望んじゃいけない
なんてルールはない。

この人生は一度きりだから
今ある幸せに気づけたら

それに感謝しながら
「欲張り」になってみても
いいじゃないか。

この空を眺めていたら
そんなふうに思えた。


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