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ぴかぴかのお弁当

午前中は書き仕事、
午後はオンラインでのうち合わせや取材をいくつか終えて、
晩御飯をあたふたと作っていると、娘が帰ってきた。

お弁当を流しに出して、「ありがとう、おいしかったよ」と言う。
このところ、毎日、言う。
娘は律儀だよなぁ、と惚れ惚れし、感心する。

いや、本当にいい子だわ。なんて感動していると、小さな声で娘が続けた。

「やっちゃん、今の中学に行かせてくれて、ありがとう」

一瞬、なんて答えたらいいか分からず、驚いた。
確かに、小学生の時には週に2、3回は一度は休んでいた。
それを思えば、
電車とバスを乗り継いで毎日学校に通えているのだから、奇跡的だ。

今の学校は割とあっているんだろうな、とは思っていたけど。
なんだか改まったその言葉が、今の娘の毎日が、
以前よりもずっと彼女にとって明るいものであるということを
くっきりと教えてくれているようで、ほっとした。

最近、「子どもが学校に行きたがらなくて」
「もうずっと家でゲームをしてしまっていて」
というような相談?をよくされるようになった。
娘が小学校で五月雨登校をなんとかやっている状態だったと言うことを
知ってのことだと思う。

でも、私にはアドバイス的なことはもちろん何も言えなくて、
「心配ですよねぇ」と言いながら、
娘をはじめ、何人かの、“学校に行けなくなった“子たちの話を
思い出す。

彼や彼女たちが、小さな時、どんなに可愛いぷっちょりした指をしていたかとか、どんなに優しい笑顔をしていたか、とか、
どんなにひょうきんで面白かったか、とか、
どんなに美しくてうっとりするような姿形をしていたか、とか、
どんなに美味しそうにお弁当を食べていたかとか。

そのお弁当を、ピッカピカにして、
流しに置いて、急いで遊びに出掛けていた時もきっとあっただろう。

でも、もし今それができなくなっているとしたら、
それは別にその子のせいじゃない。

親御さんのせいでもない、と思う。

もちろん、学校だから、面倒なこともしんどいことも子どもにとってはあるだろうけど、学校のせいだとも、最終的には思わない。

ただ、しんどい場所にいるなら、少し離れたらいいんじゃないかなぁ、と思う。

私は幼稚園児の時から、集団の中にいるとすぐ熱を出し吐き気がする子だったから、しょっちゅう休んでいた。

頑張るとすぐ倒れた。それでもなんとか大人になれた。
大人になれば、しんどい場所にずっといなくてはいけないと言う以外の選択もできるようになるから、ずっと楽になった。

学校も、自分で選べたり選べなかったり、いろんなしくみの中で
手探りに進んでいくしかないけど、
とにかくしんどいなら休憩して、
お弁当が全部食べられるようになることを優先するのが、いいんじゃないのかなあ、と思う。






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