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ずっと専業主婦だった母(67才)が突然洋服作家になった理由

babanofuku という小さなブランドを母娘で運営しています。

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私(娘)の本業はライターということになっていますが、ライター以外にも色々やっているので、最近は何が本業かもうわからなくなってます。

babanofukuは、古い着物を解いてワンピースやスカート、パンツなど洋服に仕立て直す、いわゆるリメイクのブランドです。

ブランドといえるほど、大きな規模でやってはおらず、お客様も小さな輪の中で、少しずつすこーしずつ広がっている感じです。
儲けはほとんどありません。いえ、経費をきちんと計算すれば、それはもう

美しい赤 です。

服を作っているのはbaba=母(69才)で私(娘)は運営という名の雑用をしています。正直大変ですが、最近、babanofukuは、「働く」ということに対する自分の思いが詰まっているような気がしてきました。


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先日は、ありがたいことにIDEAS FOR GOOD というウェブマガジンの取材も受けました。

①母のこと(戦後の専業主婦とは)
「戦争を知らずに、僕らは生まれた♬」世代の母は、あまり裕福ではない大阪の田舎の家に生まれ育ちました。二人姉妹の長女でした。祖父(母の父)は糸を紡ぐ仕事をし、祖母(母の母)は電話交換手をしていました。
祖母は身長が138cmくらいしかなくて、電話交換手の試験で身体が足りず落とされそうだったところを、思い切り背伸びをしてどうにか合格した、という話しを幼い私によくしてくれました。戦火をくぐり抜け、多くを失い、生きた、優しい人たちでした。(私は大のbabaっ子でした)

そんな親に育てられ、しっかりものの長女であった母は、花を育てることや絵を描くことが好きで、年頃になった時には雑誌などで見るおしゃれなデザインの洋服を自分で仕立てて着ていたそうです。とはいえ、それらの趣味を仕事にするなんて夢にも思わず、高校を卒業後、大阪にある画廊で事務員をし、そこで私の父と出会いました。父も絵画や骨董が好きな人でした。その後父はまるで好きな絵を離れ、生活のために不本意ながら全く別の商売をするようになるのですが……(それはまた別の話)その商売のおかげでバブル期には景気が良く、私たち家族は父のおかげで”何不自由なく”暮らさせてもらいました。

母はつまり、専業主婦でした。

時代の流れでそれ(夫にそれなりに収入があると妻は家庭を支える)が当たり前のようでもあったでしょう。母も、兄と私の子育てに専念してくれていました。いわゆる教育ママ的な厳しさは多少あったにせよ、愛情深く育ててくれたと思います。海外の珍しいレシピにも挑戦した手作りの料理はいつも美味しかったし、学校で使う裁縫はお手の物、幼稚園児の私に超リアリズムなコーヒーカップの絵を教えてくれたおかげで、私がそれをマネて描くと、幼稚園の先生が「この子、天才かも」と驚いて家に電話がかかってきたこともありました(母は「あー、あれは大人の絵を真似して書いただけなので。娘に絵の才能なんてないですよ」と断言していました。確かに特に絵の才能はないですが、絵を描くのは今も好きです)。

家にはたくさんの観葉植物がセンス良く並べてあって、床も天然無垢のヘンリボーンにするなど凝ったリフォームをしていたものだから、家に遊びに来る友達はみんな「素敵な家だ」と言ってくれるのが誇らしくもありました。

とにかく母は家のことを一生懸命やっていて、兄や私が中高生になって時間ができるとテニスを習ったりしながら、優雅に日々を過ごしていました。
働く気はどうやらゼロでした。

②期待と呪縛

母は、娘である私に期待をしてくれていたと思います。私は、勉強がそこそこできる方だったし、何にでも興味を持ってなんでもやってみて、そのうち飽きて新しいことをする(はっ・・・今と同じですね)ということを繰り返しながらも子供時代を謳歌していました。将来なりたいものはたくさんあって、作家、漫画家、弁護士、先生、通訳、翻訳家、旅して何か発表する人と夢は大きく、ワクワクしながら、まあそれなりに努力していました。

母はいいねいいねと応援してくれながら、「(その中なら)翻訳家がいいやん」と言いました。なぜ?

「将来は、家で子どもをみながら、空いた時間で仕事ができるから」

お、お母さん!!Σ(゚д゚lll) 全国の翻訳家の先生たちにいますぐ謝っていただきたいですが、母は本気でした。そしてこうも言いました。

「女の人は(結婚すれば生活費を)稼がなくてもいいから、時間をかけて自分の好きなことを追求できる。あんたも好きなこと一生懸命やったらいい」

おおおおお、お、お母さーーーーん!Σ(゚д゚lll) 
日本全国共働きで懸命に働きながら子育てをなさっている女性に、そして、好きかどうかはさておき、日々仕事を追求しながら必死に家族のために稼いでいる男性女性全ての皆さんに今すぐ私が謝りたいですが、当時の(高度経済成長期に育ちそしてバブル期に子育てをしていた多くの家庭の母親の)価値観としてはそれほど驚くものでもなかったのかもしれません。
そして私も、当時(中学生くらいだったのかな)「なるほど」と思っていました。甘い・・甘いすぎる。

その時はそれほど違和感があったわけじゃないんです。大人になり、なんとか「好き」に紐づいた仕事を得て薄給で会社員生活を数年過ごした後に、ベトナムに移住したり自分で仕事をするようになって、15年経ってそれこそ翻訳も通訳も、本を書くことも、旅をして何か書くことも、誰かに何かを伝えることも仕事にしてきた私は、だんだんと、自分が母の言っていた「理想の働き方」の中にうまくはまっているようでいて、残酷なほどにその「理想」の部分とはかけ離れていることに気がつきました。

日々必死のパッチなのです。

同時に気がつけば、子ども達との時間と仕事の時間を秤にかけて、そのコミット量がどうしても「子どもとの時間」に傾いていなければひどい罪悪感を覚えるという呪縛にも囚われるようになりました

そして何より、情けないこと、私は自分の子育てを、誰にといえば他の誰でもない母に、精神的にも物理的にも助けてもらってこそ、今なんとか親を続けられているのです

③誰かの生き方を否定したいわけじゃない

女性が働くということについてはどうしたって時代の流れや経済の動きや、そして”雰囲気”に左右されるところがあります。女性だけじゃない、男性ももちろんそうです。家族と仕事を回すために、一番効率が良くて時代にあっていそうなモデルロールがあって、そこに向かってみんな流れようとしている。だけどそれがどうもうまくいかないとわかると、少しずつ違う生き方をしている人たちに光が当たって、今度はそちらの方にまた流れが変わり始める。そんなふうに「働きかた」は、改革されてもされなくても移り変わっていくものじゃないか、とも思います。

そうして、みんな……優雅な専業主婦であっても優雅じゃない専業主婦であっても、会社員でも公務員でも、会社を経営していても、アルバイトでもパートでも、しがないフリーランスでも、あるいは今”働く”ことができない状態にある人でも、必死のパッチで生きているわけです。誰かに支えられて。

4年ほど前でしょうか。ある日、ふと実家(とも言えない、当時母と父が住んでいた下関の仮住まい)に行くと、母の部屋のラックに綺麗なワンピースがいくつも並んでいました。父の着物を解いて作った軽めのコート、母の喪服を縫い直した家紋入り洋服、ドレスのようでいて手触りがホッとする真っ赤なバルーンワンピース、ちょうど5歳の娘が発表会で着られそうな真っ黒のチュニックワンピースとお揃いの形のフォーマルなドレス。

「なにこれ。すごいな」

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私がいうと、「あ〜、お父さんと二人で暇やし、作ってみてん」と母は言いました。「ええやろ? これ。着たかったらあげるで〜。着物を着る機会も、もうあんまりないしな」

何枚ものドレスやスカートを試着してみると、肌に心地よく触れる正絹や綿の心地よさにハッとしました。デザインも全然悪くない、っていうか可愛い。派手な赤色のワンピースなんて普段買わないけど、これなら着たい。

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「これ、売ったらいいやん? 欲しい人、めっちゃおるんちゃう?」
私がそういうと、母は「またこの子の『売ったらいいんちゃう?』が始まったわ」と母は笑いました。
でも、幼い時から絵を描いたり服を作ったりするのが好きで、センス良く衣食住を整えるのが得意だった母が作ったものは、こんなに素敵なんだということを、私は猛烈に大きな声で周りに言いたくなったんです。

私には作れない。こんなものは。ずっと家族のためだけに、こういうセンスの全てを使ってきた母に、家族だけじゃない広がりがあってもいいんじゃないか。と思いました。これを誰かに届けたら、母の知らない誰かに届けたら、母の人生の中にまた新しい糸が生まれるかもしれないじゃないか。

「いいやん。売れんかったら売れんかったで」

その日のうちに母をモデルに何枚か写真を撮り、インターネットにあげました。友達や知り合いの何人かが、「わー!なにこれ! 欲しい。実際見たい」と声をかけてくれて。そのうちの何枚かが、その方の手元に届きました。母は言いました。

「素人やしお金は取られへん。もともと自分の着物やし。あんたの友達やったらあげてもいいよ」

お、お母さん!!Σ(゚д゚lll) ち、違う。

私は、その時はどうしても、「あげる」んじゃないところを経験してもらいたい、という気持ちがありました。すごく安くてもいいから、買ってもらうっていう経験を。

「いやいやいや、そうかもしれないけど、作るのに色々お金も時間もかかってるでしょう。じゃあこれくらい手数料としていただけば?」
「・・・高すぎひん?」
「じゃあ、これくらい?」
「・・・買ってくれた人には余った生地でバッグ作ってあげよかな」
「え? Σ(゚д゚lll)ま、まあ、お母さんの気がすむならそれでも、というかよろこばはると思うよ!ええよ、それで!(出費の方が多いけど)」

というような幾度かのやり取りを経て。母は服を手放し、最初は私の友人・知人へ、やがて人づてに興味を持ってくださる方に届けるようになりました。少しずつ少しずつ、空間を貸してくださり展示会をさせてくれるところができて、少しずつ少しずつ、母がこれまでの人生では出会えなかった人が母の服を手に取ってくれるようになってきました。

babanofukuを着てくれた人の写真を、母はせっせとアルバムにためています。

「若い人と話すのって勉強になるし楽しいな」
「買ってくれはったらありがたいし、大事に着てくれはったら嬉しいな」
と、言って。

そうやで、お母さん。お母さんの得意なことでみんな喜んでくれたら嬉しいやん。知らん人と知り合いになるのも嬉しいね。

そう言いながら、私は自分にとっての「働く」のもとや喜びはやっぱりここにあるんだとしみじみ気づきました。

それほど稼げなくても(稼ぎたいけど)、うまくいかないことが山ほどあって投げ出したくなっても、それでも誰かと繋がって、自分の少し得意なことで誰かに喜んでもらったら。「生きがい」になる。それが仕事だなあと。


と、いうことで・・・・


④松屋銀座さんに出店します!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

そんなこんなでめちゃくちゃ長い前置きのあとで宣伝で、すみません。
2020年10月21日(水)〜27日(火)に

松屋銀座さんで開催される
ワタシクリエイトCollectionにbabanofukuも出店します。

お、お母さん!! デパートだよ!Σ(゚д゚lll)

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ワタシクリエイトCollection
会期:10月21日(水)〜27日(火)最終日午後7時閉場
営業時間:10:00~20:00
場所:松屋銀座7階中央特設会場
トークイベント会場: 松屋銀座7階特別室
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【出展ブランド一覧】
・ablxs・リグルジャパン・NUGDE
・babanofuku・japanpaperhal・AMA Japan
・キルクルス・SALASUSU・ピープルツリー・ロゴナジャパン
・Knit Grace・La table verte
計12ブランド
企画運営企業:YoubeYou株式会社(アトリア運営会社)

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ちゃんと松屋銀座さんのHPにもbabanofukuの名前があります!

こんな私たちが出店してもいいのだろうか・・・と一抹の(いえ、大きな)不安を抱えつつもなんとかヒーコラ準備をして、
(母は最初から最後まで、「やっぱり辞退せぇへん??」と言ってましたが……)

なんとか明日に搬入をすませたら、明後日初日を迎えられそうです。babanofukuってどんな?と思われる方は、ぜひ、どうぞ松屋銀座さんにお運びください。

母の在廊は24日(土)の午前10時から13時ごろまでになりそうです。
私は22,24,26の10時〜14時ごろにおります。

他にもエシカル&エコソーシャルなブランド商品がたくさん並び、イベントも開催される予定です。


働くのって面白いね。大変だけど誰かに何かを届けられるのは嬉しいね。
そう言い合えるよう、
楽しもうね、お母さん。



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