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息子と娘を足して二で割りたい

 先日、息子と娘と3人で晩ごはんを食べていた。
いつもだいたい、ごはんどきは、
何かしらたわいのないおしゃべりをする。

 息子はちょうど定期試験の初日だったから、その話題を振ってみる。

「どうでしたか? 手応えのほどは」
「うん。だいじょうぶ」
「100点ですか」
「100点ってね、なかなか取れないように、先生たちも必死で問題作ってるんだよ。ある先生は、150点満点くらいになるように問題をつくってから、いらない問題を削って、完璧な100点満点のテストを作るって言っていたし、他の先生は、何パターンか問題をつくって厳選するんだってさ。テスト期間中ってのは、先生も屍みたいに疲れてるわけ。まじ大変なんだよ」

 へー。そうなんだ。まじ、大変、と言うわりにはテストを受けるのがどこか楽しそうだ。そしていつも自信満々だ。まあ、いいことだよ。

 息子の話がひと段落すると、娘が話しはじめた。

「今、風邪がはやっているよね。今日、小学1年生の子とおしゃべりしていたら、咳をいっぱいしててさ。だいじょうぶ?って聞いたら、朝から咳がとまらないんだ〜って言うんだよね」

「へぇ〜。今日も放課後、下の学年の子達と遊んであげたの?」

 娘は誰かの世話をするのが好きで、よく低学年の子たちの面倒をみたり、放課後や休み時間に遊んであげたりしているらしい。
 えらいねぇ、えらねぇ、と思っていると、息子が横からきつい声で割り込んできた。

「は? おまえ、それでそいつからすぐ離れたんだろうな」

 え? は? なんですと?

「え、鼻水が出て、咳がごほごほしてたけど元気そうだったよ」と娘が言うと、息子はあからさまに顔をしかめた。

「あのさー。俺、試験中なんだから、うつさないでよね」
 そう言って、椅子をがたんと後ろに下げる。

 え? はぁ? なんだこいつ。

「そんなこと言ってもしょうがないでしょう? P子は元気なんだし。大丈夫だよ」と援護射撃をするも、
「しょうがなくないだろ。気をつけろ。またコロナも流行ってるんだし」と、さらに椅子を下げる。

 に、 憎たらしい!

 娘は、もうすっかりしょげて、ごはんも喉を通らず、「ごちそうさま…」と消え入るような声で部屋にこもってしまった。

 息子よ! きみは! なんて! なんて! 嫌なやつなんだ!!!!! 

 こういう時、私の心は、瞬時に、はるか十数年前にタイムスリップする。
息子が赤ちゃんだった時、3歳児だった時、5歳児だった時、どんなにきみが癇癪もちで、泣きわめく子だったか。バスから両足ジャンプで降りられなかったから、と言って、1時間、バス停で泣き喚き続けたよね。

 自分の育て方がいけないからだと、泣きながら、息子を抱っこした。抱っこすると息子は火のように熱くて、ああ、この人は火の人だ、と思ったものだ。

 火の人は、その後成長し、家庭内にとどまらず、外の世界で夢中なことを見つけると、もう水を得た魚のように(火だけど)ぼうぼうとエネルギーを注ぐものだから、毎日すごく楽しそうになった。
 難しければ難しいほどいい。目標が定まってれば定まっているほどいい。
 一直線に向かっていく、その姿は本当に頼もしくもある。

 でも、こういう時はいつも、「こいつ大丈夫か?」と思ってしまう。

 一方娘は(兄に怒鳴られて、ぺしゃんこになって部屋に閉じこもって、いきなり絵を描いて自らの心をなだらかにしようと苦心している娘P子は)、いつだってまわりの人たちにやさしい目をむけている。
 自分がしたいことやほしいものを、そっと誰か別の、同じものがほしい人(ほしいと思っているだろうと感じられる人)に譲る。

「いいの一番ほしいものじゃなくても。こっちだっていいものだと思うし」
 いつもそんなことを言う。

 いやP子、君はそうやっていろんなものを兄に譲ってきたじゃないか。その結果がこれなのよ。自分をもっと主張してくれ。そうして、人生をもっと楽しんでくれ。どうか!

 私は娘を見ていると、もう心配で心配で、岡田あーみん先生の『お父さんは心配症』のお父さんのような気持ちになってしまう。
 もっと自分を出して、もっと自分を大事にして。もっと「あれ欲しい、これ欲しい」って言っていいんだよーーーーーーーーーー!!!と。

 だから私は、いつも二人を足して二で割りたい、と思う。

 息子よ、もう少しでいいから、あなた以外の人間にも心と、色々な事情があることを理解しましょうよ。「心によりそう」って別にあなたが損することではないんですよ。たまに損したって、大丈夫なんですよ。

 娘よ、もう少しでいいから、あなたが本当にほしいものをほしいと言って、手にしたものをぎゅっとにぎりしめてもいいんですよ。あの子のかなしい気持ちとあなたがうれしい気持ちを、天秤にかけなくってもいいんですよ。まずは自分を幸せにしてから、ほかの人のことを考えたって遅くはないんですよ。いや、むしろ、その方がうまくまわったりするんですよ。

 そう唱えながら、二人を一旦粘土のようにペッタンぺったん慣らして、そこから半分にして、またふたりの形をつくり直してみたら、どうだろう。

 どうだろう?

 息子は、強くてたくましくて、頭脳明晰で、やる気があって、人を思いやれて、いつも喜怒哀楽を上手に美しく表現して、人を楽しませられる人になるだろうか。

 娘は、優しくて柔らかくて、でも強くて、おもしろくて、自分の意思をはっきり伝えて、やりたいことに一直線に向かっていける、才能を発揮できるようになるだろうか。

 ペッタンぺったん・・・・ん?

 あれ??? 今書いた、この理想のふたりは、今、目の間に、いる。
 確かにそんなときもある。
 だけど、そうじゃないときも、ある。
 「にんげんだもの」(←誰、これ、思いついたすごい人)

 二人を足して二で割ってみても、やっぱりそれぞれに、息子は息子らしさを、娘は娘らしさをどうしたって抱え持ってそこにいるだろう。
 どうやったって、何度つくりなおしたって、息子は息子に、P子はP子にしかならない。

 ああ、足して二で割るなんて。足して二で割るなんて!

 ごめんねこどもたちよ。もう元からそこにある、輝きを足して二で割るなんてことを、想像するのは、お母ちゃん、二度としないから。

 たぶん。

 


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