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京都大学の西部講堂

僕が百万遍にある京都大学の西部講堂のことを意識したのは、中学生くらいの頃のフランク・ザッパの来日でした。彼が「世界でもっともビューティフルでクレージーな劇場」と評した”ハコ”は、その後、パンク/ニュー・ウェーブのメッカとなり、京都に来日したアーティストや東京ロッカーズのライブをそこで何度も観たわけで、今でも京都に帰ると訪れたくなる特別の場所です。
 でも僕が大学に入学したときは、学生運動の名残がまだ少しあったくらいで、1969年から始まる京大、同志社、立命館、芸大などの学生の自主運営というスタイルによる反体制とロックの関係は、断片的にしか知りませんでしたが、ウドー(商業側)が主催したポリスの公演で運営者側が、電源を切った事件につながる、西部講堂の歴史が詳細にまとめられた記事を見つけました。
 そのあとの世代である僕が、若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を観たときにも同じように感じた”若者が世界や社会に対して真剣に何かと戦い変えようとしていた時代”に対する稚拙ながらも一生懸命さへ憧れや失われたものへのノスタルジー。現代は改めて、日本全体が、そんな”青さ“を取り戻さないといけないかもしれません。
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