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孤独を感じた件

今住んでいる家と実家はかなり近いため、年末年始は実家に戻り、何日か泊まっていた。きのう家に帰ってきてから、あわただしい実家からリリースされ、ひとりになってホッとした反面、部屋は寒いし、誰もいないし、なんだかめちゃくちゃさみしくなってしまった。

実家では、常に誰かとしゃべるか、犬と遊ぶか、大画面のテレビを見るか(今の家にテレビはない/実家では常にテレビがついている)、という状況で、まさに「落ち着き」がない状態だったので、ふだんこれらをしない私は、とても疲れた。なので、ひとりになって、のびのびとした気分になった。けれど、のびのびするやいなや、静かな部屋にひとりでいることが、せつなくなり、しょんぼりしてしまった。

それから今回、実家に帰って、両親とも年とったなあと、実感してしまった。あの人たちは、わりと若い方だと思っていたけど、着実に年とってるなあと思った。(とはいえ、まだ還暦迎えたばかりなんだけど) ゆくゆく、手助けが必要になったとき、わたしはうまく立ち回れるかなと考え、その自信はまったくなく、というか、自分ひとりで生活するのもあまり上手じゃないのに、どうしよう、という不安感も、新年早々に感じてしまった。(今ひとりで暮らしているとはいえ、かなり母にフォローしてもらっているので、自分は生活力がまだまだだと思っている)

わたしが実家に帰る翌日、母ととあるライブ(@武道館)に行く予定だった。コロナは心配だけど、せっかくだし、ちゃんと気をつけて、行ってみようということになっていた。しかしライブ当日、母が体調不良になってしまい(腹痛)、結局ひとりで行くことになった。

観劇やライブが趣味のわたしは、去年の3月から生で観ることをしていなくて、ひさびさのエンタメに触れて、気づいたら泣いていた。内容は笑いがメインだったのに。

でもその涙には、母と一緒にこれが共有できなかった残念さ、さびしさが含まれていたと思う。それから、十数年後に母がいなくなっているだろうことを想像して、悲しくもなってしまったのだった。

人間はどんなステイタスであっても、孤独をかかえて生きる、ということは、日頃からきちんと認識しているほうで、ひとりで生きていく覚悟を持たねば、と思って過ごしているつもりだった。でもその覚悟はまだ、きちんと持ちきれていなくて、ほんとうの孤独の足音を聞くだけで、ビビってしまうのが、いまの自分なんだな、と思った。

今年はちょっとこのあたり、本気で考えて、備えないと行けないな、と思った。そうでないと、突然の喪失がやってきたときに、対応できないんじゃないかな。

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