見出し画像

紡いだ文の重み

業務のほかに、やることがあって、週末や平日のあいた時間にちょこちょこ進めている。やりたいことがあるので、それを企画書のようなものにまとめているのだ。そのしめきりが来週末。この週末ががんばりどころだ。

この「やること」は説明がむずかしいのだけれど、やらなくてもぜんぜん構わないもので、むしろやらないほうが業務にもっと注力できる。でも、これをやって、成果が出せれば、今後の就活や仕事につながりやすいものでもある。わたしの仕事は、今までもそうだが、数年単位の契約で、更新ができないものが多い(多かった)から、その都度就活が必要になる。その際に、これが使える、というわけだ。

で、その企画書のようなものは、わたしのやりたいことをプレゼンするものなのだが、なぜやりたいのか、何をやりたいのか、どうやるのか、これまではどういう形で他の人がやったか、やったらどんないいことがあるかなど、書かなければならない。じぶんの主張を支えるために、ほかの話を援用したいので、そのためにインプットが必要で、資料をかなりいろいろ読みつつ、やっている。

さっき、すこし形になったので、やったー!と思いながら俯瞰して見直してみた。文章量はそんなに多くない。けれど、これを書くためにずいぶんいろんな資料を参考にして、何度も何度も推敲したので、一文一文がかなり重く感じられた。よりよいものを目指して、ムダを削ぎ落とし、でも必要な情報を載せている文は、重い。

でも、これ以上重くなると、くどくなりそうなので、見直しはほどほどに、次のパートにとりかかろう。いいものができあがるといいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?