見出し画像

パートナーについての愚痴

ふと、数年前に女友だち数人で集まったときのことを思い出した。そのときは、ある人がだんなさんについての愚痴を話していて、それが会話のメインテーマだった。ああしてほしい、こうしてほしい、こう言われてつらかった、これをしてくれない、など、きっと「世の中」にいる「普通」の「夫婦」だったら、ありふれたコンフリクトの話だったと思われる。そんな、日々のあれこれ話を聞かされていた。そのとき私は、「そんなに文句があるなら、別れればいいのに」「別れることは考えていないの?」と言った。すると、その場のみんなから、「そういうことじゃないじゃん」と言われた。

当時は「そういうことじゃないじゃん」の意味がよくわからなかったけど、今推測するに、「文句は言っているけれど、別れるという方向ではない」とか、「単なる愚痴だよ」とかいう意味だったんだと思う。その場では、その彼女の愚痴を聞くだけでよかったのに、私はその愚痴を解決するための方法として、別れることを持ち出してしまったのだ。しかも、円満な解決の方向ではなく、すべてを終わらせる解決の方向に持って行ってしまったのだ。

私の両親は、長年夫婦をやっているけれど、どうも相性が合わないのか、私が小さい時からめちゃくちゃ衝突していた。円満に解決することなんてなかった。お互いにコミュニケーション下手なんだと思う。憎しみ(というには大げさかもしれないが、)もあって、お互いに聞く耳が持てないのだ。私は、10代半ばごろから母の愚痴を聞かされ続けている。そのおかげ(そのせい?)で私は反抗する機会を失って、30過ぎてからちょっと、いわゆる「メンがヘラ」って、家を出た。(家を出る口実や、経済力があってよかった) 家を出てからは、「メン」は安定している。

いろんな人のいろんな悩みや愚痴を聞くのは好きだし慣れているのだけど、どうもパートナー間や夫婦間の話を聞くのは、もう嫌なんだと思う。子どもの気持ちになってしまって、つらい。家を出たころ、愚痴を注がれる私のコップは満杯になっていて、表面張力が効いてあふれる寸前だった。

母は、専業主婦だし、年も年なので、別れることなくここまで来た。たぶん今後別れることはないだろう。そんな両親の関係性を見て、特に女性側は経済的自立はマストだと、私の胸には刻まれている。経済的に自立していると、身動きがとりやすいし、選択肢も広がる。なので、芸能人、特に女性が離婚するのを見て、「よくやった!」と、応援したくなる。俳優の杏ちゃんや、タレントのShellyさん、前田あっちゃんの決断と行動はすばらしいと思う。(あとはYoutuber?の男性と結婚しそうな元ナントカ坂の女性が未婚の母になることを勝手ながら期待している。未婚の母になったら、ぜひ応援したい。) 芸能人に限らず、一般人の女性だって、大変な時代ではあるけれど、フットワークを軽くしておいたほうがいいと思う派である。パートナーシップに縛られなくても生きられる時代だと思うから。

けど、その愚痴を話してきた女友だちは、こう思う派ではなかったはずだ。それなのに、当時の私は、私の意見を押し付けてしまったような気がする。今さら、自分の未熟さで恥ずかしくなった。きっと私は、パートナーシップを持つ人々には、常に仲のいい関係性でいてほしいとか、円満でいてほしいという風に、めちゃくちゃ求めているのだと思う。それが保てないのであれば、パートナーシップなんて辞めちまえ、と思っているのだ。(そして、そういういい関係が自分には築けないだろうなとも。) これはこれで極端なので、あんまり他人に押し付けないように気を付けなきゃ、と思った。

でもやっぱり、パートナーの愚痴を聞くのは、胸がしめつけられて苦しくなるので、私的にはつらいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?