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京都へのあこがれ

大学3年くらいからの4,5年、異常な回数、京都に旅行に行っていた。たいてい一緒に出かけるのは決まった友だちで、その彼女とは今も1,2年に1回、予定が合えば京都に行っている。

わたしたちが京都でやることといえば、街を歩く、カフェで甘いものを食べる、おやつを買う、本屋に行く、カフェで甘いものを食べる、雑貨や服を見る、おいしいごはんを食べる…こんなところだ。食べたい欲と買いたい欲の権化だ。

学生のときは、よく手作り市にも行っていたが、最近はしばらく行っていない。京都なのに神社仏閣にはあまり行かない。気が向いたら行くけれど。そして、合間合間に近況や仕事、社会のことなど、ざっくばらんに話す。疲れたら何も話さず、ぼんやりとまどろんだりする。無言の時間に耐えられる関係性なのだ。

その、異常な回数通っていたころ、くるりファンになった。わたしとくるりとの出会いは高2?のころに、アンテナというアルバムをMDに入れたときにさかのぼる。でも高校生のわたしはまだ魅力がわからず、当時ヘビロテはしていなかった。

でも、何がきっかけか覚えてないんだけど、いつしかピン!と来て、ipodでヘビロテするようになり、ライブにも行くようになった。ファンになったのと京都にハマったのは同時期だったと思う。京都(市内)の風景を思い出しながら聴く「飴色の部屋」や「街」、「京都の大学生」は格別だった。(今も)

京都は雑貨やクリエイターなどを大切にする風土があるような気がする。そういう専門の大学もある。それだけではなく、有名な大学も多く、モラトリアム期にある若者を受容する街でもあるとおもう。

わたしは東京の大学生だったのだが、京都の大学生になる世界線を空想し、森見登美彦の小説を読んでは憧れに拍車をかけていた。今から京都の大学生にはなれないから、大人になってお金が貯まり、仕事を見つけて、いつか住めたらなと思っていた。未来に対する期待とわくわく感を、ハタチ前後のころ、持っていた。

(ちなみに地方出身だった母は、京都か東京に進学することを考え、結局東京のほうに受かったので、東京に上京した。大学生当時のわたしは、京都に進学という考えをまったくもっておらず、結果てきに東京に来たけれど、京都も考えていた母に、すこしだけ嫉妬した。)

でも、いつしかこの思いは、薄れてきたようにおもう。外国人観光客があふれかえった京都に、いつからか行く気がなくなってしまったからだ。わたしの学生のころの京都と、外国人の多くなった京都は風景がすこし変わって、後者にはどうも行く気になれなくなった。まあ今は外国人もいないし、わたしも旅行になんていけない状況になってしまったんだけど。

京都の風景だけでなく、わたし自身も変わったのだとおもう。将来どうなるかまだわからず、いろんな可能性のある、夢想ぎみの学生から、可能性の狭められた現実的な大人へと変化したために、若者を受容してくれる京都を求めなくなったのでは、とおもう。それから、当時お金がなく、がんばって貯めたお金で安いプランを探して、やっとのことで京都に行っていたのが、最近はすこしお金がもらえるようになって、何も考えずにぽんと、新幹線とホテルを予約できるようになったので、ありがたみの質も変わったのだとおもう。

先日、くるりのトークが動画配信されているのを見た。かわらずくるりはがんばって活動している。紆余曲折あれど、20年以上かわらずに、新しいものを吸収しながら活動しているのを見ると、「ああ、すごい、尊敬する」とおもってしまう。

くるりを生んだ京都。京都の風景にマッチするくるりの音楽。精力的に活動するくるり。それを変わらず聴くわたし。

久しぶりに京都に行きたくなった。この状況だからこそ、なのかもしれない。行けないから行きたい、ないものねだり。変わったわたしを京都はどう受け入れてくれるのか、とても気になるのだった。

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