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アウトプットの密度と効率

議事録の話。

以前、職場のミーティングで議事録係だったのだけど、あるとき同僚に、「ちょっと書きすぎでは?」と指摘された。私は、前任者の書き方のように書いていて、それは議論でどんな話が出たかを書き、もちろん結果も書くという、かなり詳細な内容を記す方法だったんだけど、指摘されて、「確かに」と思った。確かに、前任者の前任者は、決定事項だけを簡潔に書いていた。でも私は、前任者の詳細に書く書き方が好みだったので、その方法を無意識に選んでいた。

20代前半のころ、自分は聞いたり読んだりすることばかりに熱心で、アウトプットが苦手だなあと思っていた。まわりにいる人たちはいつもおもしろく、内容のあることを話していて、常に「なるほど~!」と納得して、一方で私は中身がないなあ、もっとがんばらなきゃなあ、と思っていた。

やがて年数が経ち、単純に経験値が増え、少しずつ話せること・語れることが増えてきた。

私は「以心伝心」に懐疑的で(理由は家族関係に由来)、仕事も影響してか、すべてをわかりやすく言語化しなければ、と考えがちである。誤解がないように、言葉をたくさん尽くさなければ、と思っている。(そのせいで、「本音と建前」の「建前」の意味するところを読み取るのが苦手だと思う。わざと読まないようにするときもあるし、ほんとに読めないこともある。)

なので、書くときも話すときも、あまり高コンテクストな文章にならないように、注意している。

語れるコンテンツが増えてきたことと、「言葉を尽くせ」という考えから、最近、プレゼンで時間がオーバー気味になったり、友達との会話で(私はあまり会話の中心にはならないのだけど)、一度口を開くとわりと長々話してしまったり、している気がする。アウトプットの量が増えてきたように思う。ただ、質はいいのか、わからない。いいとは、言えないんじゃないか。

20代前半のアウトプット苦手、というコンプレックス時期に比べたら、状況は少しよくなってきた気がする。ただ、単にアウトプット量が増えただけで、それがちゃんと伝わっているのかどうか、わからない。冒頭の議事録もそうだけど、同僚から言われた「後で見返したときに、すぐにわかるようにしたほうがいいのでは」というコメントの通り、「わかりやすさ」と「効率」のために、「情報の取捨選択」をきちんとしないといけないんだな、と気付いた。これは今後、というか、今年の課題かなあ。

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