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マジカルミライとプロセカとVtuberを比べると面白いかもという話

マジミラの感想を先日前後編で上げたのですが、本題で話したかったのはこっちです。
ここ数年で「3Dモデルをモーションキャプチャーで動かす」という技術が急速に発達したことで、様々なコンテンツで3Dモデルを用いたライブが行われています(その源流を辿るとMMDには辿り着くと思うので、やはりVOCALOID文化の偉大さが身に染みますね)。

ボカロ系で最近流行りのコンテンツといえば「プロセカ」でしょう。実はプロセカでもライブが行われています。ゲーム内部でもライブが楽しめますが、今回は会場で行われるもので合わせたいので、1周年記念のヤツを持ってきました。

構成がとてもマジミラに近く感じますね。

さらに、ボカロを二次創作的に支えるコンテンツとしては「Vtuber」も侮れません。最近の歌ってみたは本当にVtuberが多いです。
何あるかな~と調べましたが、例えばフォニイだと「星街すいせい」「町田ちま」、神っぽいなだと「ラプラス・ダークネス」「ローレン・イロアス」が歌みた再生回数の1位2位だったりします。ヤバすぎ。
個人的ににじさんじ箱推しなので、東京リベンジ公演の回を貼ります。
(本当は最新のROF-MAOライブを貼りたかったのですが公式動画が無く号泣)

またもや構成がマジミラに近い。

ということで、この2つとマジミラの合計3つについて、色んな論点で
マ:
プ:
V:
という形でまとめてみようと思います。
※一部夢を壊す表現があります。仕方ないです。

0 共通点

  • リアルの人間のモーションキャプチャーを3Dモデルに投影する

  • 有観客のライブ形式

  • リアルの人間のバンドが脇に付くことが多い

1 同一性

マ:ダンスする人≠調声する人、歌ごとでも違う、MCを考える人は別
プ:ダンスする人≠声優、ライブを通じて同じ人がほぼ同じ担当、MCを考える人は別
V:ダンスする人=声を発する人=MCを考える人、ライブを通じて基本同一人物

2 同期性

マ:ダンス、調声、MCは別々に作られ、ライブの時間に同期性を持たせる
プ:ダンス、歌、MCは別々に作られ、ライブの時間に同期性を持たせる(それぞれリアルタイムに置き換えることも可能、特にMC)
V:ダンス、歌、MCはリアルタイム
(歌は前録りを使うことも可能)

3 物語性

マ:観客が共有する物語は「VOCALOIDであること」のみ
プ:オリジナルのストーリーを企業のストーリー担当(声優やダンサーとは別)が考え、すでに観客に提供している
V:日常で展開される配信自体が物語となっており、観客はその一部を切り取っている

これらの論点で比較してわかるように、マジカルミライは「多くの人が一人のキャラの形成に関わり」「時間的な同期がない」という特徴があります。そのため、アイデンティティが曖昧になり、「何に感動しているのか」「このライブの感動は誰に向ければ良いのか」という浮遊感が生じると思います。それこそが「偶像崇拝」でありVOCALOIDの自由さを強調しているようにも感じますね。

また、「共有できる物語が少ない」点については、マジカルミライでも十分に配慮されているように感じました。
というのも、選曲のほとんどが
「曲から作者の意志が感じられにくい=VOCALOID自身が感情を込めて歌っているように捉えやすい」
という目的を達成するために、
「単に盛り上がる曲」または「ソフトウェアとしてのVOCALOIDの物語」
に絞られていたからです。
特に後者については、『Loading Memories』『ODDS & ENDS』『ハジメテノオト』『愛されなくても君がいる』などが挙げられます。このような楽曲は黎明期のボカロ曲には多かったですが、現在はかなり少ないのではないでしょうか。だからこそ今のボカロ界には、異質に、かつ新鮮に届くのだと思います。

そう考えると今回のセトリで唯一の例外は『#心がどっか寂しいんだ』ですね。VOCALOIDの曲を通じてボカロP自身による独特の世界が展開される曲は、最近のボカロの主流の一つだと思います。キャラクター性を排除した楽曲とも言い換えられるかもしれません。

これに近しいジャンルとして、一昔前の「プロジェクト系」があります。kemu VOXXやカゲロウプロジェクトなど、VOCALOIDのキャラから離れたオリジナルキャラのストーリーがあるタイプです。このタイプは一番マジミラでは歌われないと思います。急に『アヤノの幸福理論』とか来たら戸惑いますよね(?)

では、「物語性のあるボカロ曲はマジミラで歌えないのか?」というと、そういう訳ではありません。回避方法としては、「VOCALOIDキャラに演劇をさせる」手法が自然かなと思います。例えば、ひとしずくP×やま△さんのような劇を想像してくだされば分かりやすいですかね?

これに似た手法を使えば、マジミラという枠でも物語性を付け足すことは可能です。例えば、『#心がどっか寂しいんだ』については、鏡音レンが学生服を着るだけで、「ネット世界に逃げ込んで嘆く少年」という皮を一枚被ることが出来ます(この手法は感想後編で話した超パーティーでよく使われていた印象があります)。

ということで、結論何が言いたいかというと、「マジミラってコンセプト的に色んな制約があるんだな~~その中で100%を出し切ってるんだな~~」ということです。プロセカのライブやVtuberのライブにも強みがあるように、マジミラにもマジミラの強みがあり、そこを理解した上で味わうとより良いボカロライフに繋がるのではないでしょうか?

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