見出し画像

こんにちは赤ちゃん。

『私、赤ちゃんが欲しい』そう思っていた。
心からそう思った少しの日々を忘れないために書いておこうと思います。
今でもちくちくと痛む、私の中に傷として残る赤ちゃんのこと。

若い頃から子供を産みたいと思ったことはなかったし、
むしろ自分が結婚するとも思っていなかった。
いや、実際結婚は今だってしていないが、10代20代は本当に強く強くそう思っていた。そんなことより自分を生きるのに必死だった。


私の姉は4人子供を産んでいるんですが(ほんとすごい)、姪っ子甥っ子が赤ちゃんの頃にお世話のお手伝いをよくバイトとしてやらせてもらっていました(ありがとう姉!)。
そのとき私に芽生えた感情は、

『やっぱ結婚とか子供とかないわ・・・時間がこんなに取られるなんて
考えられない』と、20代の私はしみじみ思ってました。
でも子供って可愛いな、好きだなって姪や甥のおかげで思えるようになったことはすごく嬉しかったし、新しい私発見でした。

しかしその頃の私はとにかく夢を叶えることに、本を出すことに、原稿することに一生懸命取り組んで猛ダッシュで生きていた。
自分のことで精一杯の24歳から35歳だった。
恋愛もしなかった。

そんな私に転機が訪れたのは35歳。
その時の私は仕事も猫との生活も楽しくて、
なんともいい感じに悩みからの息苦しさからも抜けていてけっこう気楽に安心して暮らしていた気がします。そんなときに不意に現れた人と付き合うことになった。
私はその人と出会う前に東京に住むことを決めていたので、引越しの準備を進めていま
した。ちなみにその人は東京荻窪の人でした。

東京暮らし。
はじめての東京で必死にいろんなことにしがみついた。
仕事も彼も外側に向けた雑なキラキラ感も、すべて必死にしがみついて
疲れ切っていった。
どんどん体重も自分の気力も落ちていって、このまま自分を見失ってしまうんじゃないかと思いながらもまだまだしがみついた。
「堕ちてなるものか」そう思いながら確実に堕ちていく日々。
実際この頃片耳が聴こえなくなって情緒もけっこう不安定でした。

東京に住んではじめての8月、私は珍しく高熱が出て変な湿疹が鎖骨あたりに出来てしまった。後から知ったけど鎖骨あたりには恋人運が出るらしい。私はまんまとその人と上手くいってなかったから湿疹が出たんだなって3年後くらいに知って笑った。

病院で診てもらって飲み薬をもらう時、薬剤師さんから
『ピル飲んでますか?この薬はピルの効果を薄めてしまうので、気をつけてくださいね』と言われた。
ちなみこの頃私はPMSの症状を和らげるためにピルを飲んでいました。
※PMSは月経前症候群のことです。

ピルの効果が薄まる、つまり妊娠するかもしれませんよってこと。
この時私の人生で初めて《妊娠》というワードがトレンドに上がった。
しかも急上昇で。急上昇トレンド入りをした!
まさか自分の人生にそんなトレンドが上がってくるなんて夢にも思わなかった。
そして「気をつけなきゃな」って思った。正直この時の私は自分が子供を産むだなんてことは考えられないわけで、だから「妊娠しないように気をつけなきゃ」って思ったのだ。ただ素直にそう思っていた。
でもこのときに私の中の見えない細胞は確実に変化を起こしていた。

薬のおかげで湿疹も良くなって、少ししてから生理がきた。
いつものこと、毎月あるいつものことだった、今までは・・・
私はガッカリしていた。
生理がきたことをはじめてガッカリした。

「あ、私、赤ちゃんが欲しかったんだ」そう気がついた。
どこかで期待していた、もしかしたらって自分では気づかないまま
赤ちゃんを期待していた。

そこから密かに私の子供を産むための小さな努力が始まる。
子供に会いたい、会ってみたいと日に日に想いが強くなっていく。

結果子供はできないのだけど、子供ができるまでのことを学んだ日々は私にとって会えずに終わった子供との蜜月だった。
子供は簡単にできるけど、簡単にはできない。
とても奇跡の確率なんだと知った。

私も奇跡の子、あなたも、どの人も奇跡の子。
道を歩いていて見ず知らずの人を見ると「奇跡の子なんだ」とじわじわ感じて少し優しくなれた(笑)

会えないその子を想うたびに嬉しかったし、私は会えると思っていた。
少しの変化も「もしかしたら!」と期待してGoogleで調べたりする。
風邪っぽいとか腰が痛いとか、少しでも生理が遅れたら期待する、でも期待はすべて裏切られる。
仕方のないこと。

私は三姉妹の末っ子で小さな頃から女として生まれてきたことを申し訳ないと思っていた。
「また女でみんなガッカリした」と言われて育った。
女であることが私にとって罪悪感でしかなかったから、なるべく男の子みたいに見えるように振舞ったし、服も男の子の服を着た。
女であることが罪だと思いながら大人になった。

女であることを認めてはいけない、私は私を許さなかった。
でも子供を産みたいと思った日、私は女であることを許せたのかもしれない。
とても自然なこと、本能だった。

でも当時の私は彼からひどく体を傷つけられていて何度も病院に行った。
女性としての尊厳を傷つけれる日々で、子供ができるような体とは程遠くなっていく。
せっかく産んで育ててくれたお母さんに申し訳なくて悲しくて泣いた。

そんな日々が続いたある日突然私と子供との秘密の蜜月は終わる。
ふっと私は気がついて冷静になったのだ。
「あ、こんな痛い思いを私にさせているのは私なんだ」と。
私は私を痛めつけたくてこの人を選んでそれを実行してるんだと気がついた。
そしたら急に笑えてきて、彼への愛も綺麗に消え去って(そもそもたぶん好きじゃなかった(笑))私は目が覚めた。

私は私への愛に目が覚めた気がした。
この蜜月の中での苦しく痛い日々は私が私を認めるために必要で用意したものだった。
私は自分が女であることを認めたかった。
女性が子供を持つには肉体的に期限がある。35歳を超えた私が子供を欲しいと思うことは本能的に自然なことだし、そう思うことで私は女である私をようやく許せたんだろう。
私は子供が欲しかった。
私は子供を産みたかった。
私は私の赤ちゃんに会ってみたかった。

本当に心からそう思えた日々だった。

そう思えた日々をくれた会えなかった私の子供に感謝しているし、
とても尊い時間を私の人生に与えてくれてありがとうと伝えたい。

彼とも別れ、私の日常に子供への思いは今はもう現れなくなったけど、残った傷は時たま痛む。
SNSで子供が産まれました報告を見たり、子供がいる人や子育てをしてる人に会ったりすると正直チクチク痛む。


どの子供にも幸せでいてほしい。
そして母になった人もみんな幸せでいてほしいと思う。
だけど子供を産み育てられる、育てた人がひどくうらやましいのです。

うらやましいのです。

この傷はきっとまだまだ癒えはしないけど、この傷が私が母になりたかったという唯一の証拠だとしたら今はまだ感じていたいとも思う。
この傷が私が女であることへの許しと誇りでもあるんだと感じています。

私は一度だけ赤ちゃんが欲しいと思ったことがある。
私は産むという選択も、産まないという選択もしていないのです。

ただ、私のもとに赤ちゃんは『こんにちは』とは来てくれなかったのです。

ここから先は

0字

たまごサンド

¥500 / 月

運気のことや、暮らしのこと、本には書いていない自分のこと家族のことなどのお話を書いています。その時々の言葉と日記のようなエッセイです。

サポートしていただけたら、とても励みになります!