お義父さん
つきみぐ(妻)のお義父さんが亡くなった。
8日の早朝4時に病院から電話が掛かってきて、急いで病院に駆けつけました。僕らが着いた頃は、まだ心臓は動いてましたが色んな所が痛いのか、とても苦しそうな表情をしていました。早朝4時の時点では、一分一秒もつか分からないと思われていたのに、結局そこから6時間耐えました。亡くなってからは全ての痛みから解放されて安らかな表情をしていたのが救いです。
つきみぐも安らかに眠るお義父さんの姿を見て
「お義父さんよく頑張ったね」
と労いの言葉をかけていました。
お義父さんは本当によく頑張りました。それに楽しく人生を謳歌したと思います。四年前に癌に罹るまでは、大きな病気や怪我もした事が無かったそうです。
趣味を貫ける人だったようで、お義父さんの部屋には大量の任侠もの、スパイもののDVDが大きな棚いっぱいに並んでいます。
冷凍庫の中には大好物のアイスが大量に今も残っています。
それにボートも好きで歩くのに苦労し出してからもTV越しにボートを楽しんでいたようです。
棺の中に入れるものを探す為にお義父さんの机の引き出しを開けた時に、何百枚ものボートレースに賭ける為の用紙が出てきて、つきみぐとお義母さんは笑っていました。何回賭けるつもりだったんでしょうね。あの世でもお義父さんがボートを楽しめるように、賭けるための用紙を棺にたっぷりと納めました。
そんなボートレースの紙を一枚だけ、家に持って帰りました。近いうちにお義父さんが大好きだったボートに行ってみようと、つきみぐと話しました。
悲しさとは厄介なもので、悲しみは時間差でやってきます。悲しさの大きさに波もあります。
つきみぐは少し平気かなと思う時間があったり、大きな哀しみの波に襲われてしまう時間があります。
「おとおちゃんの病院から電話あった?」
と、もう掛かってくるはずもない病院からの電話の有無を僕に尋ねてきたりします。
「ううん、ないよ」
と言うしかありません。
仕事に行く気力はもちろん無いし、YouTubeとかを観る気にさえ今はならないみたいです。
お義母さんはサバサバしていて、お義父さんが息を引き取った時も、棺に納められた際にも毅然としていましたが、顔見知りなお坊さんが来てくれた時に、何かが崩壊したかのように涙を流していました。
こうやって大切な人たちが悲しんでいる姿を見るのって辛いです。
案の定、僕の心も悲しみとストレスに蝕まれていて、気持ちの吐け口として、今こうやって書いています。
こういう時って何かしてあげようと思っても、結局寄り添う事くらいしかできません。
哀しみの大きさが薄れてくれるまでの時間経過をどうにかしてやり繰りしていく事しかできません。
僕は生前のお義父さんから、自分が死んだ時はおかあちゃんとつきみぐを頼む、と言われていました。
もちろん支えていくつもりです。
でも支えるだけではどうやら無理そうです。
僕のことも支えてもらわないといけないみたいなので、気持ちに余裕がある方がもう一方を支えながら、これから過ごしていきたいと思います。
またくだらない動画で無駄な時間を過ごせる日常を目指して。
ここまで読んでいただきありがとうございます。