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八年間で習得したのはエレベーターのボタンを押すこと

八年間勤めたホテルでの仕事を終えた。この記事では八年間の出来事や感謝を綴らせてください。

八年で僕はエレベーターの下行きのボタンを押せるようになった



食べさせてもらってばかりの八年間

仕事での出来事を振り返ろうとしているのに思い出すのはあの人やその人が作って食べさせてくれたもののことばかりです。

入社したてのころに同じ時間帯に入っていた定年間際の長井さんは毎朝お弁当を作ってきてくれました。弁当は唐揚げとかハンバーグとか見事なまでに茶色一色でしたが若い奴はこういうのが好きだろうと考えて作ってくれているのが伝わってきて嬉しかったのです。

長井さんはとてもパワフルな人でした。変わり者でもありました。誕生日プレゼントにブランド品ではなくブランド品を購入した時にもらえる紙袋だけをプレゼントしたりします。それで喜んでもらえると思っているのです。

また落語家なのかと思うくらい同じ話を何度も繰り返します。楽しそうに。特に仕事をズル休みしてハワイに行った話は100回聞きました。そのおかげで僕もまんまと新婚旅行をハワイにしちゃいました。

それでいて長井さんは洗練された部分も兼ね備えていました。抹茶の淹れ方も薔薇の生け方も長井さんから教わりました。喫茶の珈琲カップの殆どが長井さんの自前の高級品でした。長井さんの自前の食器達はホテルによく馴染んでいました。気品さ、と言えばいいんでしょうか。長井さんのおかげでホテルに合った接客の仕方を身につけることができました。

そんな長井さんが人を呼ぶ時は、あんちゃんと呼びます。笑う時はホホホと笑います。

長井さんは僕が入社三年目になるころに辞めてしまいました。そして昨年ガンで亡くなりました。余命宣告されてから、半年以上も生きました。ホテルにも友達を連れて何度も泊まりにきました。その姿は余命宣告されているのが嘘なんじゃないかと思わせるくらいでした。だから亡くなったと聞いて残念な気持ちもあったけど、人生を謳歌したんだろうな、長井さんのような死に様をしたいと思わせてくれたのです。

最後まで人生の先輩として生き様、死に様を教えてくれました。きっとあっちでも、誰かにあんちゃんと話かけてはハワイの話を楽しそうにしているはずです。

長井さん以外にも饅頭屋の曽我さんが夏になると胡瓜のわさび漬けやビール漬け、生ハムのトマトクリチ巻きを作ってくれたり、今でも共に働く沖田さんが料亭顔負けの玉子焼を作ってくれたりしました。その全てに優しさや思い遣りが詰め込まれており、働く活力をみなぎらせてくれたのです。


楽しかった思い出 夏祭り

ホテルの繁忙期はGW、夏休み、年末年始です。特に夏休みは最も長期間に渡って忙しい日々が続くので大変でした。しかし大変なぶん楽しい記憶も沢山あります。夏休みは子どもが沢山訪れるので、子どもたちの楽しそうな様子を見ていると、今日も明日も頑張ろうって思えました。

僕は売店も担当していたので子どもたちと親たちとの駆引きをよく目の当たりにしていました。買ってほしい犬のぬいぐるみを買ってもらえなくて、漫画のように地面に寝そべって駄々を捏ねる子。そうかと思えば戦略的にじいじに甘えて買ってもらい、次はばあばを連れてきては買ってもらう子。いろんな子がいました。いまだにキラキラしたボールペンや金色のドラゴンキーホルダーが売れるのを見て、子供の本質、人間の本質は変わらないものだなとも思いました。

昨年の夏休みには初めてお祭り広場での仕事も経験しました。射的やボール救い、輪投げなど懐かしい縁日でのゲームがあって大好評でした。街の縁日と違って子供のためのイベントだったので、子供たちに安心して伸び伸びと遊んでもらいました。楽しんでもらうことが目的だったので、普通では考えられない不正を横行させていました。射的だったら最終的には景品のニセンチ手前くらいまでピストルを近づけてあげました。ボール救いでは三個しか取れなかった子に五個好きなボールをプレゼントしていました。そしたら夏休みの前半で用意していた景品が無くなって、支配人に「あまりにもあげすぎ」と注意されましたが、「まあどんどん楽しんでもらってくれ」と追加で景品用意してくれました。

あれだけ間近で人々が楽しんでいる姿を多く見たのは久しぶりでした。今でも去年のお祭り広場の仕事ができて良かったと思っています。


楽しかった思い出 仲間たちとのやりとり

八年間で沢山の人たちと共に仕事をしました。その人達から様々な影響を受けました。殆どの人がネガティブな理由で辞めて行く中で夢への挑戦のために辞めていく後輩の姿を見て、めちゃくちゃ勇気づけられました。

岡本太郎の本ばかり読んでいた安田さんは、夢であった出版社での仕事を勝ち取って辞めていきました。安田さんは新卒入社組の後輩でしたが、辞める前に

「わたしが直した方がいいところはどこかありますか?最後なので正直に答えてほしいんです」

って言ってきました。

僕はその時

「安田さんは突き抜けている才能が何個もあるから、どこかを直すよりその長所をぐんぐんと伸ばしていけばいいんじゃないかな」

と答えました。

そしたら安田さんはそういう答えを求めてなかったんだけどなって顔してましたが、今はどうでしょう?長所伸ばしてくれていたら嬉しいです。

小木くんは夢であるゲストハウスを開くために、まずは一旦地元の沖縄に戻ってしっかり働くことを選び辞めていきました。小木くんも新卒入社組です。

小木くんは沖縄の太陽のように誰に対しても明るいし、かつての僕と同じような夢を持っていたので影響受けまくりました。夢について語ることってこれ程までに輝いているのか、と驚きました。きっと今も夢に向かって邁進していることでしょう。

そしてその時は小木くんの夢の話を聞いているだけだったけど、今は僕にも夢ができたので、次会った時はお互いの夢について語りたいものです。

因みに僕の今の夢は『ひとりでも多くの子に社会に対して良い印象を抱いてもらう』ことです。次の仕事はスーパーでの仕事になりました。かつての僕が初めて社会と接点を持ったのがスーパーでのアルバイトでした。同じようにスーパーが初バイトの人って多いと思います。そういう人たちに働くって悪くないな、むしろ楽しいかも、社会人になるのも楽しみだ、って思えるように環境を整えてあげられたら最高だな、と思っているのです。

こういう夢を抱かせてくれたのも、小木くんのように夢を語ってくれる人が何人もいたからです。ありがとう。



そして今ハマっているKPOPの話をできる後輩も何人かいてくれたのが、凄く楽しかったです。BTSが好きな蘭ちゃんには顔を合わせるたびに、「昨日の動画見た?テテの本気って芸術よな」みたいなことを話して、それだけで推し活がより一層楽しくなりました。

KPOP全般に詳しかったKPOP先輩には、CDの書い方とか、ボイプラでどの人が推しなのか、そしてそれは何故なのか、を仕事の話より熱心に語りました。コアな内容を理解してくれるので、それはそれは楽しかったです。

その子たちも辞めたり研修を終えたりして今は一人として残っていません。残ってはいないけど、きっとどこかで夢に向かっていたり、推し活しているんだろうな、と思うとなんだか元気が出てきます。

こうやって振り返ると仕事の業務も人間関係も楽しいものだったのが再認識できます。恵まれた八年間だったことを実感します。

そして八年間の仕事を通じて、沢山の愛情を受けとり、そのおかげで、僕はもう一度仕事にも比重を多めに熱量を注いでいこうって思えています。

次の職場でも共に働く人たちが働きやすくなるように懸命に働きます。

お客さんのためにできることを考え続けます。

そしてその対価として信頼を構築し、それによって年収も増やしていきます。

そしてお金を使ってできることであるならば、今までお世話になってきた親、妻、周りの人、地域社会に還元していきます。

こういう流れを作っていきたいと思えています。

これって八年前では考えもできなかった考えです。

八年前は自分だけが幸せならいいって思ってました。

自分だけだったのが、周りの人たちも幸せになってもらいたいって思えるようになったのです。



ホテルの地下には更衣室がある。

同僚が帰ろうとしている

そのことを素早く察知してぼくは笑顔でエレベーターの下行きのボタンを押す。

「下にまいります」

上ばかり見て勝手に自分の無力さを感じていた僕が今では足元をちゃんと見れるようになったのです。


本当にありがとうございました。


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宝積たまる
ここまで読んでいただきありがとうございます。