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3月のこと

2020年の季節をたどるようにして、2021年を過ごしている。前回noteを更新したのは3月だった。ずぼらな私の二回目はこうして8月に更新されているわけだけど、このタイミングには訳があるよ。

2020年の3月は、初めて離婚という選択肢がテーブルの上に載ってしまった月だった。始まりは私が夫のカバンの中を見てしまったこと。もともと夫は会社の仲間との飲み会が多く、またそれが夜遅くまで続くことも多かった。朝方になっても帰ってこなくて、ベットの中で携帯の時計がAM 1:00、2:00と進んでいるのを眺めていたのを思い出す。うとうとして少し眠り、目が覚めて5:00。「ああ、まだ帰っていないのか…」と悲しい気持ちになっていたっけ。

2020年の3月も、何かしらの飲み会がきっかけだったのだと思う。やめておけばいいのに、その時の私は夫のカバンの中身をみた。結婚して5年目で、そんなことをするのは初めてだった。内ポケットの中で、それはすぐに見つかった。コンドーム。全てを一般化することは勿論できない、けれど。コンドームは使われるために持ち運ばれるのであって。持ち運ばれるのは出先に使う相手がいるから、と考えるのは自然だろう。その考えに確信めいた感覚は持ったけど、「コンドーム カバンの中」みたいなくだらない検索をあれこれとして、楽観的になったり、やっぱり悲観的になったりした。少なくとも、その時点で私たちは2年ほどセックスレスだったから「前に一緒に泊まったホテルで使ったものが未だ残っていて…」みたいな楽観的な理由が成り立つ状況ではなかった。

世の中の皆さんは、パートナーのカバンの中にコンドームを見つけたら、どう反応されるのだろう?

私ときたら(または当然かもしれないけれど)心底ショックを受けて、過剰に反応してしまったと思う。その後数日間、まずは相手の顔を見て話しができず、それでも何か怒っているということを伝えたくて、会わないように避けたり、そっけない返事しか返さなかったり。同じ屋根の下で暮らしているのに、私達には個人の部屋があったから、それができた。そして私は手紙を書いた。飲み会が増えて、帰りが遅いことを気にしていること。その裏で他の女性の影があることを想像していること。そんな一連の行動からパートナーである自分に対するリスペクトを感じないこと。そして、離婚という選択肢も踏まえて話し合わなければならないのではないか、ということ。

こんな私の反応を、今の私は悔いている。

客観的に見たらどう見えるのか分からないけど、理由もわからず一方的に避けられて、突然手紙をつきつけられ、そこに勝手な推測と「離婚」という二文字がある。なんて幼稚で身勝手な反応をしてしまったんだろうと思うし、それにより相手を傷つけてしまったことが申し訳ないと思う。その一週間後だったか、相手も私に手紙をくれた。私たちは重要なことを手紙でしかコミュニケーションできない夫婦だった。そこには、革新には触れていないけれど「私が離婚をしたいなら検討しよう」という趣旨の文章が書かれてあったと思う。謝るような文章はなかった。

確信に触れずに空中で言葉をやり合い続けることはできなかったから、今度は私は口頭で、カバンの中にコンドームを見つけたことを供述した。相手に面と向かって。夫は、とても動揺していた。いつも冷静な彼からは考えられないほどに震えていたし、「ほんとにゴメン…」と繰り返していた。でも、コンドームが入っていた理由については「なぜ入っていたか分からない」と言っていた。

私は夫を愛していた。ちなみに別れた今でも、愛している。人間という生き物は、いちど愛情という記憶が心に刻まれてしまえば、その部分はなかなか風化しない生き物なんだなあと思う。だから2020年の3月も、コンドーム事件後それがすぐに発火して離婚という流れにはならなかった。私はいったん夫の言い分をそのまま受け入れて、普段通りの元の二人の生活に戻っていった。カバンの中で発見されたコンドームをきっかけに、私が幼稚に憤り、冷たく振舞い、お互い言葉を交わして、夫の謝罪を受け入れ、いったん終わり。ただ、生活が元通りに戻ったように見えても、二人の関係ももうそれ以前のものとは違っていた。

そしてその年中に、離婚に至ることになる。その方向性がおおむね決まるのが8月。去年の今頃は絶望の最中にいたっけ。

今日はここまで!もし読んでくださった方がいたのなら、こんなに拙い雑文ですのに、本当にありがとうございました。

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