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「変化を日常に。」 思考が止まる時って変化してないときなのだろうなと思う。何も新しいことが起きない。正確にいうと、起きているかもしれないけれどそれを捉えられなくなっている状態。変化を日常にというキーワードは一見矛盾しているのだけど、日常に変化をではないのがポイント。というのも、いつも変化があってほしい。私の好きなニューヨークという街がまさにそうで、せっかくなら、いつも変化が起きているのが当たり前という町で暮らしたい。 人は、基本的に、変化を嫌がる生き物だ、という。 でも
最近、40代の方と話をしているときに、自分は自分(40代)の感覚を信じていないから、若い世代の声を聞くようにしているということを言っておられた。 自分の感覚。 そういえば、立ち上げ当時に掲げた「ゴミのポイ捨てかっこ悪いぜ」というグリーンバードのメッセージも10年経つと普通(みんなの当たり前)になり、当時の新しさ・鋭さはなくなったという。時代の変化とともに、自分の感覚も受け手の感覚も変わるのだと改めて思う。 Facebookをやっている若者が、「ソーシャルな若者」と言われ