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『都知事選に関するある種の弱音と愚痴と決意と』

 候補者乱立の東京都知事選挙を観戦する日々である。

 僕はバイキング・ビュッフェ形式の食事が好きだ。
なんぼ食べてもええのである。
そして好きなものを多量に食べてもええのである。
そこには自由がある。
選択がある。
夢と希望に満ちている。

自由な食事を同胞、友、家族と囲む幸福。
子供はバカみたいにから揚げを食べ、おばあちゃんはジュンサイのジュレを食べる。
いったん休憩、なんて言いながら中途半端なタイミングでアイスクリームを食べ、盛り付けの美しさを競ったり、あるいは蕎麦用のネギ、ご飯用の昆布、つけもの、てんぷら、これらをご飯の上に載せて熱い茶をかけて天茶をこしらえて締めとしたりする。

ありとあらゆる食事上の自由がそこにはある。

皆がその夢と希望を求めてバイキング・ビュッフェへ足を運ぶのだ。

しかし、である。その夢と希望の花園、約束のユートピアたるバイキング・ビュッフェのその自由さは、付け込もうと思えば付け込めるかりそめの自由でもある。

いくらでも取っていいから、ということでタッパーを持ち込み大量の食糧をこのタッパーに収納。食料の確保に走る。
あるいは食べ放題なのだから、ということで、大量に取り放題に取ってきて、食べきれぬからと言って残す。
またあるいは好きなものを好きなだけ、ということで、かに玉のかに肉ばかりを選んで取って、ただの玉にする、などの行為もまず可能なわけである。

その末路は各種行為の禁止による自由の制限であり、そして最終的にはレストランの

「もうええわ!バイキング・ビュッフェなんか辞めや辞めや」

である。
そうなると我々の愛した自由の花園は一瞬にして消え去り、昔の幻となってしまう。

我々はユートピアを失わぬように、マナーを以てバイキング・ビュッフェと付き合うことによって、ユートピアは自由なユートピアであり続けるのだ。

 バイキング・ビュッフェは私企業による経済活動である。
一方東京都知事選は、そして選挙は公共の仕切りの、公共事業である。

法律によって東京都知事を選出するためには選挙を経なければならず
「都知事選なんか辞めや辞めや」
ということはできない事業だ。
そして選挙にはバイキング・ビュッフェのように自由があり、いつ頃までだろうか、僕たちはその自由を謳歌してきた。
自由だからこそ登場する候補たちに胸を躍らせ、その言葉にある時は笑い、そして涙してきた。
思わぬ熱戦、顔合わせに感動し、胸を熱くした。

しかし最近段々と状況が変わってきつつある。
いわば、マナーが悪い人々が現れ始めたのである。
そしてマナーが悪い人々が当選には至らずとも知名度等の利得を得、そのマナーの悪さを「ハック」という言い換えをしたことによって、マナーを破る為に選挙に参加する人々が増えてきた。
これは一種自由のユートピアであった選挙にとってはかなりの痛手である。
この問題にどのように相対するか。

一部では、マナーの悪い人々を選挙から放逐する。マナー良くしないと立候補できなくする。という言説も出てきている。
確かにマナーは守られるだろう。だがしかしそのマナーによって制限がかかった選挙は僕たちの愛した自由の花園、ユートピアたる選挙とは別物ではなかろうか。
そして僕たちは、選挙にある自由さ、誰でも出馬をできて、誰にでも投票をしても良い、どんな主張も基本的には認められる。そういう前提をを後ろ盾にして、民主主義社会に生活し、法律を守り、共同体として暮らしをしているのではないか。

だから簡単に制限をかけてはいけないのだ。
しかし、しかしである。
マナーの悪さというのはそういうものを忘れさせるくらいには怒りや不快感を生む。不愉快さを生む。
そんな不快なものを見るくらいなら制限をかけて欲しい、と発信する自由もまた我々にはある。
そしてそういう風に仕組みを変える権利も民主主義社会に生きる我々にはある。
これは素晴らしいことだ。

がちょっと待って欲しいのだ。
選挙に対する自由を制限するということ。
選挙に関わる言論に制限をかけること。
ということは、怒りや不快感を表明する権利、今享受しているその権利に手をかけて殺す、ということではないだろうか。
次に僕たちが、あなたたちが不自由や不条理に声をあげたい時、あげることができない、ということにならないだろうか。
そんな風な社会になっても良いわけがない、と僕は思っている。

だからこそ、選挙に対してマナーが悪い人たちに僕は、腹を立てている。
彼らだって自由を享受しているのに、楽しくやっているのに、何故その自由の制限へと社会が突き進むような行為を行うのか。

我々は自由である為に、越えてはいけない一線というのがどうしてもあるのだ。

一線を越える時は、準備をして、自由というものを守るための準備をし、作戦を立て、そして一線を越えなければならないのだ。

立川談志師匠の発した大好きな言葉がある。

「狂気に一歩踏み込むその瞬間だけは最も冷静でなければならない」

選挙は自由だ、と知っているあなた方こそ、その自由を維持する努力をしてほしいのだ。
もちろん自由を行使する権利はある。しかし、その自由な行為によって、自由を失っていいのか。勿論仕組み的には構わないだろう。しかし、本当にそれでいいのか。と言いたいのだ。
もっと考えれば、自由を守りながら、あなた方の目的を達成することは可能なのではないか。その自由は楽しくて、愉快で、素敵ではなかったか。
守るべき楽園を壊す自由も、自由の楽園にはある。
しかしそれは壊れたら取り返しがつかないのだ。

僕はそんな風な世界が来ようとしている感じがして、心底悲しい。僕の好きな民主主義社会の灯は消えつつあるのかもしれない。
僕は僕にできる抵抗をするつもりである。


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