ご報告


 突然なのですが、2022年12月25日に年季明けさせていただくことになりました。
講談師4年目も半ばを過ぎましたが、ついに芸人としてスタートラインに立たせていただけることになりました。12月25日以降は、自分でお仕事を受けたり、講談会をどんどん立ち上げたり、自分が面白いと思う、頼まれてもいないような新作講談も無暗に乱発していこうと思います!楽しみです!

 さて、これを読んでくださっている方々の中には7月の「コロナが明けたら年季明けである」というお知らせを読んでくださった方もおられると思います。

<参考>
『コロナについてどう考えればいいのか知恵をください』
https://note.com/tamada_gyokuzan/n/n5488f9fc673a

 僕は年季明け記念に24時間講談会をやりたい、と思っており、それを実現するにはコロナが明けないと難しいだろう。という師匠のご配慮により、コロナ明け=年季明けということになりました。
<参考>
『年季明け記念に『24時間講談会』をやりたい』
https://note.com/tamada_gyokuzan/n/n7643a9e199aa

 果たしてコロナ明けをしたのか。という問題があります。はっきり言ってしていないでしょう。ではなぜ年季明けをさせていただけることになったのか。

7月頃には「秋ごろにはコロナも収まっている」という説がありましたが、どうでしょうか。秋を迎え、コロナは収まったのでしょうか。
段々と報道は下火になってきている感もありますが、感染状況が良化してきているかというとそうでもなく、コロナ明けの定義が益々定義し辛くなってきているのが現況です。
そして、その定義の難しさはかなり長い間続いていくことが予想されます。
いっそ医学部に入る勉強をして研究者になって特効薬を開発してやろうか、とも考えましたが、それはもうヤケクソ状態です。

事は僕がコロナ明けをどう定義し、師匠に説明をするのか、という問題になってきました。しかしなかなかその定義を思いつくことができません。世の中はもとに戻っている気もするし、元に戻っていない気もする。フェイスシールドをつけて高座に上がることはなくなりましたが、普段のマスクは外であっても外すのをはばかられる。
客席制限はなくなりましたが、検温はなくならない。玉虫色であります。
「コロナ明けなんて無理だ」と落ちこむ夜もありました。コロナが憎くて涙を流す夜もありました。
しかし同期の旭堂南歩はとっくの昔に年季明けし、なみはや講談協会の旭堂一海さんも年季明け、旭堂南也、旭堂南喜も年内には年季明けの噂。
どんどんと同期に追い抜かれていく焦り。情報があんまり入ってきていないけれど、大阪講談協会所属の後輩、旭堂南璃さんは独演会までやっているという話。

段々と「自分でこれは何とかしなければならない。自分が動かなければ僕は一生このままだ」という気持ちになってきたのでした。

まずやりたいと思っていた24時間講談会。これは22時間配信と2時間講談の組み合わせで24時間にすることによって、一つの会場にお客さまや演者を留めたりしない形。感染対策を普段の講談会並みにする形を考えました。
22時間を配信にすることによって、zoom等で東京のゲストの方なんかも呼べるから、事によると24時間会場でやるより面白いんじゃないか、と思い立ち、まずは現状でも24時間やれる目途が立ちました。
ある種の24時間テレビのような構成も頭の中でだんだんと立ちはじめました。今のところマラソンもあり、です。ともかく。

 この形の24時間講談会をやりたい、と思った僕は、とにかく年季明けを申し出てみよう、と思い立ちます。10月に入ってからのことでした。

そして10月の師匠との旅の仕事の帰り道、岡山駅での乗り換え待ちの時間
「10月11日に政府の水際対策が緩和されます。それでコロナ明け、年季明けとさせていただけないでしょうか」
と提案をしたのでした。…正直かなり無理のあるコロナ明け定義であります。
「10月11日に年季明けさせていただいて、12月の後半あたりに年季明けの会をさせていただけないでしょうか。24時間はこうこうこういう形で…」という話をさせていただきました。
 師匠は「10月11日ってのは無理があるんじゃないかなあ、もう少し経ったらコロナも落ち着いていると思うけど」
という本当にその通りだなあ、と思うことを仰いました。
しかし僕も
「しかし、落ち着く保証もなく、これからどうなるかもわからず、一体僕はどうしたらいいのか、ああ、おおう」
というような動揺を師匠にお見せしてしまいました。もう半分泣き落としです。
そして師匠は
「今から大阪に帰る1時間でちょっとそのあたり考えてみて」
との指令を僕に与えて新幹線に乗り込んだのでした。
 新幹線の中、師匠とは別の車両。年季明けのことを考えますが、まとまりません。友人にも電話しました。しかしどうも考えがまとまらない。しかし電車は無常にも新大阪駅に滑り込みます。
 しかし師匠に話をしなければならない。
師匠に「何か思いついたかな」と聞いていただいて
「12月25日に年季明けしたいです。10月11日からその告知を始めたいです」
とお話しました。12月25日ってのはあんまり意図があって言った日付ではないのです。なんとなく、クリスマスとか、感じ、ええかな、くらいの気持ちです。

すると師匠が
「…まあ、12月にはコロナも落ち着いているかもしれないし、落ち着いていたらそれでいい。もし、コロナが落ち着いていないくても、そうやね、まあ…サンタクロースからのプレゼントということで、年季明けということにしようか」
と仰ったのでした。
僕は「12月25日って言ってよかった…!」と心から思いました。

 こうして、12月25日にコロナが明けていたら年季明け、コロナが明けていなくてもサンタクロース特例で年季明け、という次第になったのです。

 僕は『玉田玉山物語』という私講談、自分に起こった出来事を講談を作り続けているのですが、今回の出来事も面白い講談になりそうです。まさかこれだけコロナに悩んで落ち込んで、絶望して、最後にサンタクロースに救われるとは。
いや、突然サンタクロースを使役したのは完全に師匠なので、師匠に救われたのですが。

しかしサンタクロースが居てくれてこその年季明けでした。サンタクロースがクリスマスにプレゼントをくれる、みたいな物語がこの世界に生きていて良かった。と改めて物語の力を実感しました。物語が語り継がれていくことによって救われる人間ってのがいるのだということを実感しました。
そしてサンタクロースがクリスマスにプレゼントをくれる、という物語を僕の前に引っ張ってきて、年季明けに悩む僕を救ってくれたのは師匠です。
師匠の口癖は「物語の力で人を幸せにする」です。それが玉田家の根本原理です。
今回のことで物語で人を救うのが玉田家の講談師であるということを師匠から改めて学びました。

 年季明けしたら、そんな講談を、物語をたくさん語れる講談師を目指して、精進していこうと思います。ひとまず12月25日の年季明け記念講談会に向けて、走り始めます。どうか皆さま、よろしくお願いいたします!

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