笑の内閣 「マクラDEリア王」を見た


 今日は妻が出演している演劇を観に言った。場所は京都九条にあるシアターE9。
シェイクスピアの「リア王」を下敷きにした現代劇で、有能ながらハラスメント体質の演出家・千葉ジョー(リア王がモデル)が公営劇場の館長となり、演出する演劇に出演予定の女優3人に枕営業を持ちかけるが…という感じの話。
 僕の妻は枕営業に応じる女優を演じていた。付き合っている彼氏がいるのに、役の為に有能な演出家に(割と積極性を持って)抱かれる、という役柄で現在の夫たる僕は客席でなんだか複雑な気持ちになった。メタフィクション気持ちふわふわ。

 主題はハラスメントだ。
最近京都の演出家がハラスメント問題で演劇業界内でニュースになったこともリア王と共に話のもとになっている。

ハラスメントをする人は二種類いる。という仮説がイカしていて

1種類め ハラスメントを利用して組織を統治する人間
2種類め ハラスメントを絶対する人間、ハラスメントが習性である人間

この二つ。

ハラスメントを利用して組織を統治する人間はハラスメントを世の中が許容しなくなれば、それは統治の方法として機能しづらくなるので、ハラスメントを辞める。
が、ハラスメントを習性としている人間は自分が経済的、社会的に不利になろうともハラスメントを辞めることはできない。という話で。

 各人間が持っている、ハラスメントをはじめとした反社会性、にどうやって社会が折り合いをつけ、また、各人間はどのように社会と折り合いをつけていくのか、ということを考えざるを得ない。
 
僕も最近、怒らせるつもりが無いのに人を怒らせてしまって大変なことになる、ということがよくある。いつだって怒られるときは突然だ。こちらが機嫌よくしていると、突然目の前で、もう我慢の限界だ、人の感情が爆発する。そのたびに僕は非常に驚く。目の前の人が我慢をしていた、だなんて夢にも思っていないから。

昨日もあった。昨日は殴りかかられながら「ぶっ殺すぞ」と言われ心底怖い思いをした。
普段人が殴りかかりながら「ぶっ殺すぞ」などと言うことはあまり起こりえない。そうですよね?
その起こりえないことが僕の行動が引き金となり起こってしまったわけだ。つまり僕の行動はその人に「ぶっ殺すぞ」と言いながら殴りかかっても正当である、と思わせる何かであったわけだ。しかし僕にその自覚はなかった。

これは本当に恐ろしいことだし、申し訳ないことだ。本当に怖い。新しい人に会うのも怖ければ、知り合いに会うのも怖い。好きな人を知らないうちに怒らせてしまうのだからこんなに悲しいことはない。
僕には僕の気づけないそういう反社会性がある。
師匠にもそういうことはよく注意される。師匠は優しい方なので殴ったりはしないけれど、そういうところがある、ということは指導をしていただく。それではよくない。苦労をしてしまうよ。玉山がどういう気持ちでいようと、相手は悪く受け取るよ。と。
でも正直全然直らなくって、直し方もどうしたらいいのかわからないな、となっている最近だ。
自分を変えよう、とは考えているのだけれど、今日の演劇を見て「あ、変わるの無理なんかな、いやん」と思ったりした。

 僕の反社会性は、まあ、そうなのだけれど。いろんな人にいろんな反社会性が潜んでいるわけで、その反社会性がぬぐい切れない、となった時にどうするか。という答えはこの演劇は一応用意をしてくれていている。
「そのハラスメントを屁とも思わぬ人とだけ付き合っていくべし」ということだ。つまり皆の内なる反社会性を飼いならせないならば、それを許される場に居て生きるべし、と言っているわけだ。
 それではダメなのかもしれないが、社会からそれではダメだと言われて、でもダメな部分を直すことができないし、死ぬこともできない人にとっては生きていく福音になるかも、って思想だと思う。
自分の反社会性を受け入れて許してくれる人を見つけたり、許してもらえるような立ち居振る舞いをする、そんなことが関係ない煌めく才能で反社会性を無化する、ということにも多大な才能が要るので、なるほどそれで万事解決めでたし、とはならないのが悲しいところだが。

 シェイクスピアの「リア王」を読んだことはないが、あらすじを見るとリアはラストは狂死をするらしい。狂死(笑)

千葉ジョーのように飼いならせない反社会性を持った人間は狂死をしなければならないのか。
すべての飼いならせない反社会性を持った人間は狂死する運命にあるのか。狂死なんてとんでもない、みんなが幸せに生きる権利があるのだ。とはこの演劇は言わない。
でもそんなのは嫌だ、自分だってええ感じで生きていきたい、と千葉ジョー、全ての千葉ジョーに叫ぶことは許してくれる、叫ぶことには寄り添ってくれる。そんな演劇だと思った。

 演劇の感想なのにまるで自分語りのようになってしまったし、この文章もどうなんだ。反社会的な文章なのではないか。
 
 役者の皆さんはすごく素敵でした。
妻はもちろん最高に素敵ですが、のっぽの杉田一起さんという方が背が高くて背筋が曲がっていてすごく色気があって僕もう釘付けでした。
最近は何を見ても泣いてしまうのであまり信用できない我が瞳なのだけれど、カーテンコールの時には泣いてましたね。あれは、さわやかさに、だったのかな。
 明日26日で千秋楽だそうです。おすすめです。我が妻も権力と寝る女を演じていますよ。

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