トイレはある

DVDを借りようと自宅から自転車で2分の駅前のツタヤに出かけた。
自転車をツタヤの前に止めて店内へと入る。
あとはDVDを選んで借りて帰るだけ。
三船敏郎主演のドラマ「大忠臣蔵」が旧作落ちしていたので、第一巻を手に取ったところで便意。
もう一本二本とDVDを借りたいので、この便意には知らぬふり、店内を回ろうとしたが、任侠もののコーナーを物色しているあたりで限界が来る。
このまま「大忠臣蔵」の一巻のみを借りて帰ろうか、とも思ったがそれではわざわざツタヤに出てきたのにもったいない。
ここは一つ便意を解消してからだ、と店員さんに「トイレはありますか」と声をかける。
すると「すいません、トイレは貸し出していないんですよ」との返答。
危急の時だったが、悪い気はしなかった。
時々こういうお店でトイレを借りようとすると「すいません、トイレ無いんですよ」と返答をされることがあるが、そんなわけはないのである。
働いている人がいる、ということは尿意と便意も必ずある、ということで、どこかにトイレはあるはずなのだ。それにも拘わらず「トイレ無いです」と見え透いた嘘をつくその態度にカチンとくるわけである。
相当の便意が無ければトイレはあるかどうかなんて聞かないのだ。
便意がましなら、店内を探す、あるいは別の場所で、という考えにも至る。
しかし急を要しているから聞いているにも関わらず、それをせせら笑うように「トイレ無い」などと言われたら腹が立つが、だからと言って「なんだ君は、おかしいじゃないか」とこちらが言わないことは相手も織り込み済みなのだ。だって、便意で切羽詰まってないとそんなことを店員に尋ねないから。
つまり「トイレ無い」の店員は突然現れた自分に徹底的に有利な状況に淫して我々便意の族をいじめて爽快を感じていやがるのだ書いているだけで腹が立ってきた。

しかしこの日の店員は「トイレは貸し出してない」という返答。
この返答をされればぐうの音も出ない。もしかしたら貸し出したいのかもしれない、人の危機は見過ごせないというそういうタイプの店員さんかもしれないけれども、ルールの壁に規則の壁の前に無念さをかみしめているかもしれない、という想像ができるのだ。
そんな気持ちを持った店員さんでなかったにしろ、そういう想像で己の気持ちを救うことができるのだ。

だから駅前のツタヤの店員は偉かった。
僕も爽やかな気持ちで、便意だけはいやましているが、ツタヤを一旦辞去することができた。

結局僕の便意は、ツタヤの向かいのパチンコ店で解消されることになる。
パチンコ店のトイレ、結構使っている気がする。
パチンコはしたことが無いけれど。
そういう意味では僕はパチンコ屋には勝ち続けているな。僕の必勝法。

先ほどのツタヤに帰って結句五本のDVDを借りて帰宅したのだった。

さわやかな気持ち。
またあのツタヤに行こう。また、トイレが無いか尋ねよう。そうしよう。


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