自分の職業遍歴を書いたら落ち込んだけど最終的にやる気が出ましたありがとう

安倍総理が総理大臣の職を辞したが、僕も職を辞したことは数多くある。
しかしそのほとんどが後足で砂をかける、というやり方だった。

それまでの人間関係から切り離されたアルバイト、つまり求人誌に乗っている情報に応募して働く、というタイプのアルバイトをいくつか経験しているが、全ていわゆる「ばっくれ」という形で辞めてしまっている。これはよくないことである。

最初にアルバイトをした土産物店では午前中に怒られすぎて、そのまま午後の仕事に入るとその午後は永遠に近い午後になることが予想され、またその永遠は決して愉快痛快なものではなく、苦難に満ちた退屈と緊張感と疲労に満ちたものになると予想され、気が付いたら昼休みの間に脱走をしていたのだった。
しかし店からも電話で「かえってこい」などの追及はなく、非常にスムースに離脱をすることができたのであった。軍隊ならば大変なことになっていただろう。
そういう意味ではあの土産物店は素晴らしい店だった。

まあそんな具合で不義理をすることが多かったが、大きな理由としてはアルバイト先で全く人間関係を築かなかったこと、が理由に挙げられるだろう。
「ここでばっくれたらあいつに合わせる顔がない」というような後ろ髪引かれ状況に全くならないのだ。
常にばっくれへの気が熟し続けている。
嫌なことがあればすぐにそこを去ってしまうのだ。

僕もそのあたりのことに気づき、またアルバイトをしなければ生計を立てられない、という状況になる。
僕の頭は鈍く回転し「それならば人に紹介してもらったアルバイト先、元から知り合いがいるアルバイト先で働けばいいのではないか」と考えた。
これは割とうまくいった。
演劇の先輩が勤めていたピザ屋にアルバイトとして入店したのだ。
このアルバイトが一番長続きした。
確かにすごく怒られる。
やる気が全くなく、接客に笑顔はなく、そのくせ配達中バイクの上で細川たかしなどを上機嫌で放歌するので「歌うなっつってんだろ」と店長に詰められ、またチラシ配りの最中に録音しておいた『伊集院光の深夜の馬鹿力』や『爆笑問題カーボーイ』や『おぎやはぎのめがねびいき』『有吉弘行サンデーナイトドリーマー』ポッドキャストの『安住紳一郎の日曜天国』『角田龍平のオールナイトニッポンポッドキャスト』『未来世紀サクライ』などを聴いていると「聞くなバカ」などと叱られるものの人手不足。「辞めてくれ」とは言われず。
また店長も人間ができていて、僕の不行跡について僕を紹介した演劇の先輩(この先輩は非常に優秀なアルバイトだった。曰く「慇懃にしときゃあ怒られない」とふざけ半分バカ丁寧に接客などをしていたそうだ。なんて素晴らしい店員)に問いただしたりすることはない。
ただただ僕を叱ってくるので僕も何とか辞めずに済んでいたのであった。

本当に非道なフリーターだったと思う。
反省だ。

そのあと就職をしてフリーターではなくなったが3か月で辞めて無職になって、アルバイトもしたくない、でもお金が無い、ということで乞食を名乗って毎週1回2時間2000円で小屋を借りて漫談や一人芝居のライブをやってカンパ制で金を集める。
これで月に5万ほどを稼いでヘロヘロになる、という生活を続けていた。

結局僕はまともに働くという経験をせずにここまで来ているのである。
これは由々しいことだ。

しかし今、四代目玉田玉秀斎に入門を許され、僕は講談師となっている。
心の中は「絶対にばっくれない」と「師匠に辞めろ、と言われないように頑張る」の二点で満たされている。
弟子入りしたい、と思って入るとこんなに心境が変わるものか、と驚いている。
そしてそういうことを思いながら過ごすのがこんなに健やかだとは思わなかった。
確かに疲れは多少あるけれど、精神の健やかさをおもん見るにこんなに健やかであったことは今までの人生で無かったように思う。

今現在も師匠に許されて講談師でいさせていただけている。本当にありがたいことだと思う。
しかしここまで書いてきて思ったが、本当に不安になってしまう経歴だ。
職歴についていくつか飛ばして書いているけれど、全て書くとさらに不安度は増すだろう。

師匠は僕が入門するとき「過去は関係ない、玉田家は未来を見る」と仰っていた。
過去を鑑みると僕は入門を許されるような経歴ではない感じがする。
未来未来未来、だ。
過去を鑑みるに人よりもうまくやれないことははっきりしているのだから、人格改造、人並みならぬ努力、才能、運、稽古、何かしらで埋めていこうと思います。
ここからの作業へのロイター板になるような日記が書けた。面白くなくても許してください。僕の素晴らしい夜のための日記になりました。
明日はビッグイシュー講談会。

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