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㊴悟るって人生を変えるって事

僕の人生をより良くしたい。

自分の人生を変えたい。
正しい方へ導きたい。
それが現代で言う悟るって事なのか。

魂が輪廻する時
何の目的を持って生まれてきたか
思い出しそれに沿って生きたい。


つまり

今の人生は社会と言うシステムの中で
目的を見失って生きていて
遺伝子を紡いできた私という乗り物で
魂の目的に辿り着く様に運転出来る

悟るって、宗教を極めて
人を導くために
聖なる存在に我欲を捨てて
自分を律する。
そんなふうに思っていたけど

もしかしたら

自分に正直になるって事が
悟る事そのもの
なのかもしれない

悟りも他の人から頂く事なの?

シッダールダの様に苦行に耐え、菩提樹の下でひとときの安らぎを求めたそんなとき、そんなとき他人の施しが悟りに導いた、そう考えれば間違いない。

それでも苦行を耐え抜いた精神力と、
無の深淵に触れたからこその悟りに違いない。

仏陀は、それを経典として様々なお経の中に
新たな仏陀(悟った者)を導く為に後世に教えを残した。

彼が辿った、悟りへの境地を
求める者が、また辿り着ける様に。
そう考えると、悟りとは
その心の状況に辿り着く為に
他の人から与えられるものかもしれない。

よくある話で
運命の人が目の前を通り過ぎても
自分が運命の人を求めていなければ
その人は自分の目の前を通り過ぎてしまうかも
そんな例え話によく似ているのかもしれない。

運命の人と会う為には、
お互いの心が引力で惹かれ合うなんて
心の作用も必要なんだろうね。

自分さえ見失うこの時代

今の世は沢山の情報に溢れているからこそ
その情報の中に迷って自分を見失ったり
執着したり、物質世界に拘ってしまうんだろう。

そんな中で、自分が必要だと思うことに
意識を向けて、その道を明確にして
ゴールを授けるからこそ
それがどんな道であっても、迷わない。

そしてそれを体現することによって、
世の中はそれを認め、大衆が気付き
バズったり、ニュースになったり
テレビに取り上げられることで
何か大きな成果に繋がってゆく。

だから、達観していなければその悟りさえも忘れて
人はまた雑踏に巻き込まれてしまうのだろう。

見るもの全てに答えはある

花は宇宙の様にエネルギーを放出させて、
私達を誘う。どこへ?

それはその見た人の感性や感覚によって異なっていいと思う。

目標が明確ならば、それの極意を悟るべき方向へ導いてくれるんだと、僕は思う。

悟りは繰り返して訪れる

人は時々思いも寄らない行動をしたり、
道を逸れたり、利己的になってみたり
業を繰り返す

でも、また
時々、本当の自分に気づく
断片をその個の中に見出すのだろう。

昨日描いたことの上書きをしたりする事で
自分の言いたいことへの補足が加えられる。

記す事で自己を保つ

100日チャレンジのお陰で自分の心の動きを客観的に見る事ができている。

ありたい自分を心の中に留めておく事が出来て、
いつもの自分に戻ろうとする心の動きを
修正してくれる。

悟ったら終わりではなく、悟り続けることの難しさ
悟りを人に広める事で、それが正しいとわかる。
再現性のある気付きを悟りって言うんだろう。

悟りは惰性の中にはない。
だから悟りは人生を変える。

そう思える。

蘇我のかつ子さんのご自宅の庭から

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